人気ブログランキング | 話題のタグを見る

新年にあたって。

新年にあたって。_e0182926_14231398.jpg




年末からすっかりご無沙汰してしまいました。最近、よく思い出している映画があります。イ・チャンドン監督の「ポエトリー アグネスの詩」です。確かこのブログでも以前触れたことがあります。もしご興味がありましたら、右側の検索欄にキーワードを入れて検索してみてください。(わたしもあとで検索してみようと思います)

なぜ、この映画を思い出すかというと、主人公のミジャが詩を書こうと思い立った動機を思い起こすからなのです。彼女は、医師にアルツハイマー病の兆しがあることを宣告されたのでした。まず、名詞を忘れ、そして動詞も忘れてゆくだろう、医師は彼女にそう告げました。この映画を見た数年前、家族に認知症の母がいるとはいえ、主人公がアルツハイマー病になり、詩を書こうと思い立つ、その流れを、わたしはあまり理解できていなかったように思えてきました。実は、とても肝心なことかもしれないのに。

最近「私は誰になっていくの? アルツハイマー病者からみた世界」(クリスティーン・ボーデン著)という実際にアルツハイマー病を患っていらっしゃるかたの手記を読みました。「言葉を忘れてゆく」という苦しみがどういうものであるのか、著者はまだ残っている表現力で実に真摯に書き留めてくださっています。感覚は残っているのに、それを言い表す言葉が、頭になにも浮かんでこないというのです。どんなに粘って思い出そうとしても出てこない。そのうちに、周囲のひとたちは、次の話題に移ってしまっており、話の輪のなかに入る余地がまったく潰えてしまうようになります。この苦しみを繰り返すくらいだったら、なにも「感じない」ほうが楽、ということになってゆくのもわかるような気がします。

わたしは、母の認知症に戸惑い、非常に混乱した時期がありますが、そのときに、なぜか少し吃音気味に自分がなっていくのを自覚しました。周囲のひとと話しているときに、最初の一言がすっと出てこないのです。言おうとしていることがあるのに、それに適した言葉がふいに消えてしまうことが重なったといえばいいでしょうか。ですから、さぁ、このひとが今喋ろうとしているぞ、と周囲が身構えてくれているのに、わたしは、「あ、う、う・・・?」という調子になってしまうのでした。

その理由を考えました。おそらく、すっかり意思疎通がおかしくなってしまった母に、真顔で怒りたいこと、声を大にして抗議したいことがたくさんあったのに、相手は認知症だと思い為すことで、ぐっと飲み込んで暮らしていた精神的な負荷が、普通の会話の場に影響してしまったのではないかと思いました。

本当にそういう理由なのかどうか、よくわかりません。母との関係性に一応折り合いがつけられるようになった今でさえ、会話の出だしが「宙に浮いて」しまうことがよくあります。これはもしかしたら、アルツハイマーの前兆なのではないかしら、と気になりはじめました。そんなことがあるせいか、冒頭の「ポエトリー アグネスの詩」のミジャのことを思い出すのかもしれません。

書き留めておきたい。今、ここにある、美しいもの、清らかなもの、温かなもの、やさしいもの、わたしに見える世界のすべてを。孫とその友人達が、同級生を輪姦して自殺に追い込んでおきながら、その事実をお金を使って内密に済ませようとする親達に言い含められ、一度は自分が介護している老人に性を売って示談金にするためのお金を作ったミジャですが、最後は、それほど大切な孫を刑事に引き渡します。ミジャが失われゆく記憶への不安の前で、自分にできること、自分がすべきことを考えていったその経緯は、けして言葉で説明されるようなものではなく、ただのびやかな自然の景色が映像として時折そこに挟まれることで、それとなく、生きる尊厳について考えさせられるような映画になっていました。

映画の中では示されませんが、ミジャはやがて、自分の詩を忘れ、自分の孫を忘れ、自分が美しいと思うものを、誰かと共有する術も失っていったはずです。それがわかっているからこその、その手前の、静かに葛藤するミジャの美しい日々がありました。


殺伐として嘘のまかり通るこの世界、なぜかミジャが詩を書き始めた意味を考えてしまうわたしなのでした。



人間は所詮ミネラルと水と窒素の結合物なのに、それがくっついている間は、なにか様々なもの思いを抱え、それが解かれると、そのもの思いも消えてしまうと 友人に言われ、ほんとうに不思議だなと思いました。

わたしというミネラルと水と窒素の結合物がほどけてなくなる前に、なにか、やさしいものを残していきたいと、柄にもなく、素直な願いを持ちました。





by kokoro-usasan | 2018-01-03 14:24 | ごあいさつ


閉じられていないもの


by kokoro-usasan

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

最新の記事

格子なきあれこれの果て
at 2024-03-18 16:15
なげー、のだ。
at 2024-03-14 15:56
ふき
at 2024-03-12 11:44
与一
at 2024-03-11 12:12
竹取物語
at 2024-03-04 13:15
意地悪はしないにかぎる
at 2024-03-01 11:29
言い訳が多いのは、無いも同じと。
at 2024-02-26 12:40
遠くまで見晴らせるキッチン
at 2024-02-24 18:40
フジヤ君の弟
at 2024-02-23 21:39
晩御飯
at 2024-02-22 18:21

以前の記事

2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
more...

カテゴリ

全体
日々
つぶやき
ことば
音楽
映画

演劇

トピックス
スナップ
すてき
あやしい特派員
さまよえる消費者
すきなもの
あじわい~
気になるこの子
展覧会
庭の楽しみ
手をうごかしてみる
追想
ごあいさつ
きょうの新聞から
幕間
一枚の写真
ダンス


未分類

記事ランキング

外部リンク

検索