扁桃腺炎
某日
子供の頃から扁桃腺が弱かったことを,最近は思い出さずに済んでいたが、先日来、かなりしつこく扁桃腺炎にとりつかれている。病気などしている場合ではないという仕事への責任感と緊張感が、不条理な現実の前でついに崩れたのかもしれない。組織の無責任に打ちのめされつつ、テレビをつければ、ニュースではそれに輪をかけたような話ばかり。
「ムダニン・カタ」というアルバムを取り寄せて、その素朴な歌声にとてもこころ和んだ。台湾のブヌン族の人々の古くから伝わる歌にデヴィッド・ダーリングというチェリストが、その素朴さを邪魔しない控えめで美しい音色で寄り添う。音楽はやはりいいなぁと思う。
某日
咳が止まらない。「痒み」というのは、つまり「痛み」なのだと以前本で読んだ。痛みのもっとも軽微な段階。わたしのこの咳は、扁桃腺炎で傷んだ咽喉の傷が癒えてゆく過程で、皮膚が痒み(軽い違和感)を感じており、それを、指でかきむしることができないため、体が全身で反応している動きなのかもしれないと思う。痒みを掻きむしって出血させてしまうときのように、咳も、どこか麻薬のように、「もっと、もっと」と体に迫る。ぜいぜいするときのつかの間の快感は、痒みを掻いているときの、不思議な恍惚感を思い起こさせる。咳はわたしに執拗に迫る。「早く、追い出して、この違和感を」
Rhiannon Giddensの新しいアルバムを聴く。1曲目で繰りかえされるフレーズ、you can take my body,you can take my bones, you can take my blood but not my soul が、疲れた心に沁みる。
某日
このアルバム、Brad Mehldauの「elegiac cycle」は未聴。ジャケットがきれいだったので、取り寄せてしまった。昔、レコード屋で働いていた頃、わたしはクラシックの担当だったけれど、ディスプレイを考えるときに、一番、羨ましかったのは、ジャズの担当者だったような気がする。ジャズのジャケットは、ハイセンスなものが多くて、並べてて楽しそうだった。あと、R&Bかな。
あぁ、本当に役人の答弁は面白くないなぁ。口先でものをいう、とよく言われるけれど、「口先」しかないような言葉の浅薄さ。
しばらく前のことだけど、「南京事件」とは直接関係のなさそうな日本人と中国人が仲良くしている写真を出してきて、こんなに友好な関係だったのであり、「南京事件」などでっち上げだとネットにアップしているかたがいて、いたたまれない気がした。南京事件が、どういうものなのか、そもそものところを理解していないのかもしれないと思った。日本軍が中国全土で見境なく「虐殺」を行っていたということではない。「南京事件」が問題になっているのは、一部皇軍が制御不能となって、民間人を非道な形で不必要に殺し尽くした「事件」だからなのではないのか。この「制御不能」に陥ってゆく惨禍というものを、人間の歴史として、「忘れずに」検証し、二度と起きないように記憶しなければならない問題だと、わたしは思っている。
「似たようなことがどこでも起きていたのだ」という理屈で、すべてを封印して平気なタイプのひともいるかもしれないが、姑息に封印されたそれらが、時折、明るみに出てきたとき、それをも、もぐらたたきのようにまた埋め戻すのか、血を吐くような貴重な証言として、しっかり残しておこうとするか、「人道」はどちらにあるか、問いたい。
とはいえ、
じんどうかぁ。
わたしは、にんげんなのかなぁ。にんげんということでいいのかなぁ。
はんぶんくらいはにんげんのはずだけど、
あとは、なんだかえたいのしれないものかもしれないなぁ。
ふゆうれいかもしれないです。
もうしわけないですね、いろいろ、ぼやいて。
はいごれいではないので、あんしんしてください。
せきをするふゆうれいです。
くろいゆめと
しろいくもが
くるしそうに
あそんでる
^
子供の頃から扁桃腺が弱かったことを,最近は思い出さずに済んでいたが、先日来、かなりしつこく扁桃腺炎にとりつかれている。病気などしている場合ではないという仕事への責任感と緊張感が、不条理な現実の前でついに崩れたのかもしれない。組織の無責任に打ちのめされつつ、テレビをつければ、ニュースではそれに輪をかけたような話ばかり。
「ムダニン・カタ」というアルバムを取り寄せて、その素朴な歌声にとてもこころ和んだ。台湾のブヌン族の人々の古くから伝わる歌にデヴィッド・ダーリングというチェリストが、その素朴さを邪魔しない控えめで美しい音色で寄り添う。音楽はやはりいいなぁと思う。
某日
咳が止まらない。「痒み」というのは、つまり「痛み」なのだと以前本で読んだ。痛みのもっとも軽微な段階。わたしのこの咳は、扁桃腺炎で傷んだ咽喉の傷が癒えてゆく過程で、皮膚が痒み(軽い違和感)を感じており、それを、指でかきむしることができないため、体が全身で反応している動きなのかもしれないと思う。痒みを掻きむしって出血させてしまうときのように、咳も、どこか麻薬のように、「もっと、もっと」と体に迫る。ぜいぜいするときのつかの間の快感は、痒みを掻いているときの、不思議な恍惚感を思い起こさせる。咳はわたしに執拗に迫る。「早く、追い出して、この違和感を」
Rhiannon Giddensの新しいアルバムを聴く。1曲目で繰りかえされるフレーズ、you can take my body,you can take my bones, you can take my blood but not my soul が、疲れた心に沁みる。
某日
このアルバム、Brad Mehldauの「elegiac cycle」は未聴。ジャケットがきれいだったので、取り寄せてしまった。昔、レコード屋で働いていた頃、わたしはクラシックの担当だったけれど、ディスプレイを考えるときに、一番、羨ましかったのは、ジャズの担当者だったような気がする。ジャズのジャケットは、ハイセンスなものが多くて、並べてて楽しそうだった。あと、R&Bかな。
あぁ、本当に役人の答弁は面白くないなぁ。口先でものをいう、とよく言われるけれど、「口先」しかないような言葉の浅薄さ。
しばらく前のことだけど、「南京事件」とは直接関係のなさそうな日本人と中国人が仲良くしている写真を出してきて、こんなに友好な関係だったのであり、「南京事件」などでっち上げだとネットにアップしているかたがいて、いたたまれない気がした。南京事件が、どういうものなのか、そもそものところを理解していないのかもしれないと思った。日本軍が中国全土で見境なく「虐殺」を行っていたということではない。「南京事件」が問題になっているのは、一部皇軍が制御不能となって、民間人を非道な形で不必要に殺し尽くした「事件」だからなのではないのか。この「制御不能」に陥ってゆく惨禍というものを、人間の歴史として、「忘れずに」検証し、二度と起きないように記憶しなければならない問題だと、わたしは思っている。
「似たようなことがどこでも起きていたのだ」という理屈で、すべてを封印して平気なタイプのひともいるかもしれないが、姑息に封印されたそれらが、時折、明るみに出てきたとき、それをも、もぐらたたきのようにまた埋め戻すのか、血を吐くような貴重な証言として、しっかり残しておこうとするか、「人道」はどちらにあるか、問いたい。
とはいえ、
じんどうかぁ。
わたしは、にんげんなのかなぁ。にんげんということでいいのかなぁ。
はんぶんくらいはにんげんのはずだけど、
あとは、なんだかえたいのしれないものかもしれないなぁ。
ふゆうれいかもしれないです。
もうしわけないですね、いろいろ、ぼやいて。
はいごれいではないので、あんしんしてください。
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