「二度と飢えた子どもの顔をみたくない」
野坂昭如さんが亡くなったというニュースを読む。
その記事の中のこの部分が、今、とても切ない。
「戦後の食糧難で義妹を失った体験を生涯胸に抱え続け、74年参院選に無所属で東京地方区から出馬して落選した際のスローガンは「二度と飢えた子どもの顔をみたくない」だった。」(毎日新聞)
1974年当時、社会は高度経済成長を遂げており、野坂さんのそのスローガンは、ひょっとしたら、ひどく時代錯誤なものに聞こえたのではなかろうかと想像する。「想像する」というのは、その頃のことを、わたしは子供でよく覚えていないからだ。しかし、時代錯誤に響いたのではないかというわたしの想像は間違っているのかもしれない。当時は、「飢えた子どもの顔」をまざまざと思い出せるひとたちのほうが、まだ多かったのかもしれないから。むしろ、まさに、そういう野坂さんのような思いを胸に、日本の経済は発展していったということなのかもしれない。
わたしが冒頭で、「切ない」と書いたのは、今の政治家たちの、今のあの政治では、そう遠くない将来、日本には、また「飢えた子ども」がたくさん路頭に迷うようなことになるのではないかと感じたからだ。「二度と飢えた子どもの顔をみたくない」という悲痛さを、最近の政治家の顔から感じたことはない。
放射能汚染問題、基地問題、生殖医療倫理問題、非正規雇用問題、解釈改憲問題、等々、そのどれをとっても、子どもの命や幸せを守る方向には向かっていない。子どもを大事にできない社会に未来などないというのに。
その記事の中のこの部分が、今、とても切ない。
「戦後の食糧難で義妹を失った体験を生涯胸に抱え続け、74年参院選に無所属で東京地方区から出馬して落選した際のスローガンは「二度と飢えた子どもの顔をみたくない」だった。」(毎日新聞)
1974年当時、社会は高度経済成長を遂げており、野坂さんのそのスローガンは、ひょっとしたら、ひどく時代錯誤なものに聞こえたのではなかろうかと想像する。「想像する」というのは、その頃のことを、わたしは子供でよく覚えていないからだ。しかし、時代錯誤に響いたのではないかというわたしの想像は間違っているのかもしれない。当時は、「飢えた子どもの顔」をまざまざと思い出せるひとたちのほうが、まだ多かったのかもしれないから。むしろ、まさに、そういう野坂さんのような思いを胸に、日本の経済は発展していったということなのかもしれない。
わたしが冒頭で、「切ない」と書いたのは、今の政治家たちの、今のあの政治では、そう遠くない将来、日本には、また「飢えた子ども」がたくさん路頭に迷うようなことになるのではないかと感じたからだ。「二度と飢えた子どもの顔をみたくない」という悲痛さを、最近の政治家の顔から感じたことはない。
放射能汚染問題、基地問題、生殖医療倫理問題、非正規雇用問題、解釈改憲問題、等々、そのどれをとっても、子どもの命や幸せを守る方向には向かっていない。子どもを大事にできない社会に未来などないというのに。
by kokoro-usasan
| 2015-12-10 22:34
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