蟹の赤い子
a)
昨年の秋、なにがきっかけだったか失念してしまったが、新藤兼人監督の「第五福竜丸」(1959)のDVDを見直していた。1954年3月1日にビキニ環礁沖で行われたアメリカの水爆実験によって日本のマグロ漁船が被爆した事件から、今日でちょうど60年。映画は水爆実験の非人間性を告発する問題作とされたが、今の視点で見ると、なにか牧歌的な作品にも思えるくらい、真実の酷さは、当時の人たちの前から、遠く遠く引き離され、何重にも厚い幕で覆われてしまっていたのだろうし、それは今も大差ないのだろうが、それでも、福島原発事故後のわたしたちには、当時のひとたちよりもより多くの「事実」を知る機会が与えられている。そうやって得た知識を、どう生かし、なにを阻止すればいいのだろう。知る機会が増えても、世の中がどこもよくなってゆかないとしたら、それは何故なのだろう。
b)
今日、「X年後」というドキュメンタリー映画を見た。アメリカの水爆実験によって被爆したのは、第五福竜丸だけではなかったことを、地道に調査検証した作品だ。
1954年、アメリカは6回の水爆実験を行っており(「実験」では本質が見えない。要は核兵器の開発だ)、広島・長崎の悲劇などものともせずに、世界中に(日本には、嘉手納、三沢、東京、広島、長崎の五カ所)放射能のモニタリングポストまで設置して、その威力を記録していたという。
のちに一部公開されたアメリカエネルギー省の機密文書によれば、当時(1954年5月17日)、日本全土は、左記のように放射能にすっぽり覆われている。これらの事実は200万ドルというお金で闇に葬られ、日本国民は、放射能汚染された食品を食べ続けていたことになる。アメリカの水爆実験は1962年まで100回以上行われ、記録によると、1960年頃の汚染がもっともひどかったという。もちろん、2011年の福島原発事故では、それとは桁違いの高い汚染数値が記録されており、水爆実験の「X年後」という意味で作られたこのドキュメンタリーは、「福島原発事故」の「X年後」としっかり通じていることを、じわじわと突き詰めてくる内容になっている。「ただちに人体への影響はない」と繰り返し発表された政府見解は、「ただちに」でなければ、誰も大本の責任を負わなくていいのか、という究極の問題をはらんでいるだろう。このことから、目を背け、原発再稼動に前向きになっている現政府にとっては「X年後」は、自分たちの責任ではないということなのだろうか。
c)
映画のパンフレットを読んでいたら、昨今の「積極的平和主義」に似た言葉を発見し苦笑したくなった。1958年、アメリカ原子力委員会は、アラスカにおいて、原爆で海を破壊して一気に港を作ろうという構想を練っていたという。この構想は、「平和的核爆発」として位置付けられていたのだそうだ。「ヘイワテキカクバクハツ」。こういうクレイジーさが、時々、あの国には垣間見える。(それはきっと、どの国にも、なのだろうけど。それにしても・・・)そのうち、わたしたちは、「平和的絶滅」をとげなければならないのだろうか。
それでも、蟹の小さな子が岩にアナをあけるように、コツコツと、諦めずに、こうした理不尽を問いただすことを続けてゆかねばならないと、手弁当で自分の人生を捧げているかたたちを知って、自分も、心のなかに、自分なりの「蟹の小さな子」を見出さなければならないのだと感じる。
昨年の秋、なにがきっかけだったか失念してしまったが、新藤兼人監督の「第五福竜丸」(1959)のDVDを見直していた。1954年3月1日にビキニ環礁沖で行われたアメリカの水爆実験によって日本のマグロ漁船が被爆した事件から、今日でちょうど60年。映画は水爆実験の非人間性を告発する問題作とされたが、今の視点で見ると、なにか牧歌的な作品にも思えるくらい、真実の酷さは、当時の人たちの前から、遠く遠く引き離され、何重にも厚い幕で覆われてしまっていたのだろうし、それは今も大差ないのだろうが、それでも、福島原発事故後のわたしたちには、当時のひとたちよりもより多くの「事実」を知る機会が与えられている。そうやって得た知識を、どう生かし、なにを阻止すればいいのだろう。知る機会が増えても、世の中がどこもよくなってゆかないとしたら、それは何故なのだろう。
b)
今日、「X年後」というドキュメンタリー映画を見た。アメリカの水爆実験によって被爆したのは、第五福竜丸だけではなかったことを、地道に調査検証した作品だ。
1954年、アメリカは6回の水爆実験を行っており(「実験」では本質が見えない。要は核兵器の開発だ)、広島・長崎の悲劇などものともせずに、世界中に(日本には、嘉手納、三沢、東京、広島、長崎の五カ所)放射能のモニタリングポストまで設置して、その威力を記録していたという。
のちに一部公開されたアメリカエネルギー省の機密文書によれば、当時(1954年5月17日)、日本全土は、左記のように放射能にすっぽり覆われている。これらの事実は200万ドルというお金で闇に葬られ、日本国民は、放射能汚染された食品を食べ続けていたことになる。アメリカの水爆実験は1962年まで100回以上行われ、記録によると、1960年頃の汚染がもっともひどかったという。もちろん、2011年の福島原発事故では、それとは桁違いの高い汚染数値が記録されており、水爆実験の「X年後」という意味で作られたこのドキュメンタリーは、「福島原発事故」の「X年後」としっかり通じていることを、じわじわと突き詰めてくる内容になっている。「ただちに人体への影響はない」と繰り返し発表された政府見解は、「ただちに」でなければ、誰も大本の責任を負わなくていいのか、という究極の問題をはらんでいるだろう。このことから、目を背け、原発再稼動に前向きになっている現政府にとっては「X年後」は、自分たちの責任ではないということなのだろうか。
c)
映画のパンフレットを読んでいたら、昨今の「積極的平和主義」に似た言葉を発見し苦笑したくなった。1958年、アメリカ原子力委員会は、アラスカにおいて、原爆で海を破壊して一気に港を作ろうという構想を練っていたという。この構想は、「平和的核爆発」として位置付けられていたのだそうだ。「ヘイワテキカクバクハツ」。こういうクレイジーさが、時々、あの国には垣間見える。(それはきっと、どの国にも、なのだろうけど。それにしても・・・)そのうち、わたしたちは、「平和的絶滅」をとげなければならないのだろうか。
それでも、蟹の小さな子が岩にアナをあけるように、コツコツと、諦めずに、こうした理不尽を問いただすことを続けてゆかねばならないと、手弁当で自分の人生を捧げているかたたちを知って、自分も、心のなかに、自分なりの「蟹の小さな子」を見出さなければならないのだと感じる。
by kokoro-usasan
| 2014-03-01 21:45
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