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成人の日

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知人と電話で、認知症の話をしながら、埴谷さんの話になった。「晩年のハニヤさんを知ってるかい」と聞かれ、名前は知っているが、晩年はおろか、著作そのものを読んだことがないと正直に答えた。その率直さは多少知人を気落ちさせたかもしれないが、事実なのだった。埴谷雄高は、学生時代、よく話題にあがっていたが、それゆえにこそ、わたしはそれを読まなかったような気がする。臆しているのとも違う。なにか、不思議な線引きのようなものだった。それでも、知人のその問いをきっかけに、そろそろ、ハニヤさんを読んでみようか、という気になったが、その前に、偶然めぐり合うことになったのが、耕治人(こう・はると 本名の読みは「たがやす・はると」)という小説家の作品だった。

今、わたしの手元には、耕さんの「そうかもしれない 耕治人 命終三部作」という本がある。この本が手元に届いたときに驚いたのは、版元が、自宅からそう遠くないところにあったことだった。大きな出版社ではないのだろう。年譜に誤植があり、そこを目立つ赤いボールペンで直接訂正してあるのを見たときは、これじゃ古本扱いになってしまうんじゃないかと思い、その無頓着ぶりが可笑しく、妙に好ましく思えた。耕さんのこの「命終三部作」は、認知症になった妻との晩年の日々を綴ったものだ。認知症というものを現象としてとらえ描写する方法は、いくらでもあるに違いないと思う。そのどれもが、普段の人間関係では経験することのない、思わぬ「生のほころび」の、そのほころびにどう向き合うかという話になるのだと思うが、耕さんの筆致に、「解釈」はなく、何が問題だ、という提示のようなものもないように見える。ただ、鍋をいくつもいくつも真っ黒に焦げ付かせる妻、すこしずつ家事から手をひいてゆくことで、背中すら小さくなってゆく妻を淡々と語る。耕さんが、それを「解釈」しないことで、妻は、人としての尊厳を、その作品のなかで保ちつづけているようにも思える。赤裸々といえば、赤裸々なのに、ひとにおもねるような観念の滓がない。どれも短い小説なのだが、このところちびちびと読んでいる。時の流れのなかで、読まれなくなってゆく過去の小説を、これからも、折に触れ、探して読んでゆこうと思う。

ともあれ、この本は、編集者によって編まれた年譜の頁に作者への深い思い入れが感じられ、本を出版するとはこういうことなのだろうなと、妙に、しんみりとするものがあったことを付け加えておく。

成人の日。自分が、果たして成人なのかどうか、つとに、羞恥の念起こる。
by kokoro-usasan | 2014-01-13 11:48 | 日々 | Comments(1)
Commented at 2014-01-13 19:35 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


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