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井戸

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近所の家の塀を伝っている葉のその怖いような葉脈に見入ってしまう。先日、母が目を開けたまま、反応しなくなり、しかも顔や手が段々冷たくなってきたので、オカアサン、オカアサンとあの世から引き戻したい一心のような声で呼びつづけたのだが、心のどこかで、覚悟せよ、覚悟せよ、と奇妙に諦めを迫るものも感じていたのだった。父の臨終の場面がフラッシュバックした。わたしが少し席をはずしている間、静かに横たわっていた父は、わたしが戻ってきた声に反応するように、ガバっとベッドから起き上がると、もう何も見えていないらしい目を見開いてそのまま最後の息を吸い込んだ。そして、その息を吐き出すことはもうなかった。「息を引き取る」とは、比喩ではなく、文字通り、そういうことなのだ。(逆に赤ちゃんは、オギャーと息を吐き出して生まれてくる)

幸いなことに、母はふぅっと息を吐き出して、蘇生した。念のため、救急車で運ばれた病院で、夜更けまでいくつかの検査をしてもらい、緊急を要する事態ではなくなっているということで、一緒に帰宅した。不思議なことに、救急隊が室内に入ってきて、母に幾つかの質問をしたとき、母は普段よりも、受け答えがしっかりしており、認知症が一時的に治ってしまっているかのようだった。一人の人間の生というのは、外見や症状や、そういうものでは、けしてあなどれない深い井戸のようなものを湛えていることをあらためて感じた。わたしが知っている母などというのは、母のほんの一部分にすぎない。当然のことだ。当然のことだが、現実の暮らしは、人と人のその擦れ合う側面でしか、理解(誤解)し得ていないものだし、また、そうでなくては、とてもやりきれないものになるのかもしれない。その兼ね合いのようなものに関しては、結局クレバーということだけでは大して役に立たなくて、知り得ないという慎みが、心に必要なのかもしれないと思う。

母は、救急車騒ぎなどもう何も覚えておらず、きのうと今日も不確かな、しかしそれゆえに湖面のように静かな日々にまた戻った。わたしはといえば、少し、何かが変わったようにも思う。人に「井戸」を見る。
by kokoro-usasan | 2013-12-29 23:15 | 日々 | Comments(0)


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