その原野
a)
母を連れて市の健康診断の結果票をもらいにゆく。病院側の連絡ミスで、一度、わたしひとりで結果票を受け取りに行ったのだが、やはり本人が居ないとだめだということになり、仕事の日程を調整して、母を連れ再訪した。先日会ったばかりの医師が申し訳なさそうに、「すみませんね、規則なものですから」と苦笑した。それよりも、ちょっと可笑しかったのは、待合室でうつらうつらしていたわたしは、名前が呼ばれたような気がして、母の手を引きながらヨチヨチと(母がヨチヨチしているので、支えているわたしもヨチヨチになるのである)診察室に入っていったのだが、医師は、わたしたちを見るなり、「まだ、呼んでいません」と実にすげなく告げたのだった。呼ばれてもいない親子が、ヨチヨチ、入室してきたのだから驚いただろう。それでも、その「まだ、呼んでません」という一言と、そのまま、あらマチガエタと、またヨチヨチ出ていくわたしたちのタイミングが、なにやらコントじみた間合いで、わがことながら、ちと、ウケてしまった。医師の方でもそうだったらしく、程なく、本当に呼ばれて、再度入室した際には、妙に打ち解けた間柄となっており、それはそれでよかったようだ。
なんだろう、わたしたち親子は、他者から見たら、どこか、ドンキホーテとサンチョパンサのように見えはしまいかと思う。但し、このドンキホーテは、懐に夢、というよりは何枚もの診察券を忍ばせて、年老いたサンチョパンサの手を引きながらの病院めぐり、いささかも勇猛ならざる風情なのではあったけれど。サンチョは、今回、心電図にやや異常ありとのこと。気になる。
b)
先日、山崎豊子さんが亡くなられたとき、毎日新聞に載った追悼記事の中に、「ムッシュ・クラタ」について触れられていた記者のかたがいた。2009年に「運命の人」が毎日出版文化特別賞を受賞した際のインタビューにおいて、かねてから伝えたかったことを山崎さんに伝えたのだという。それは、数ある彼女の作品の中で、、「ムッシュ・クラタ」が好きだということだった。すると山崎さんは頬を紅潮させて、自分もあの小説には思い入れがあるので、そんなふうに言ってもらえて嬉しいと、とても感激された由。その記事を読んだとき、初めて目にしたその題名が、山崎さんの作品にしてはどこか異色な感じがし、その奇妙な感覚だけ心のうちにぶらさげて、あとはいつの間にか、すっかり忘れてしまっていたのだが、昨日立ち寄った書店で、まさにその「ムッシュ・クラタ」なる文庫本が、平積みされた他の山崎作品の山の片隅に一冊だけ置かれているのを見つけ、そのままレジに持っていった。そして、深夜、一気に読み終えた。有村さんというその記者のかたが、何度も読み返しているというだけあって、実に魅力的作品だった。
ムッシュ・クラタは、戦前・戦中・戦後と、フランスかぶれと揶揄されながらも、ダンディというおのれの信念を貫いて生きたひとりの実在の記者をモデルにしている。そういえば、しばらく前、「ナチスの手口に学べ」というシャレにもならない発言でわたしたちを絶句させた人物がいたが、彼の昨今の外遊の際の出で立ちなども、なにかに「かぶれて」いるとしか思えない奇妙な様子で、あれも本人にとっては、ダンディさの発露だとするなら、山崎さんのこの作品は、同じダンディでも、信念の拠って立つ場所によって、こうも違うものになるのだという、いい比較になるように思う。そもそもわたし自身は、ダンディというものに、持論はおろか、さしたる興味もないのであるが、ムッシュ・クラタのような孤高は、今の時代、実はとても大事なものになってゆくのではないかという気もする。
ダンディとはどういうものか、ムッシュ・クラタ、倉田玲の胸には、けして譲れぬ自恃の思いがあったわけで、山崎さんはそれらを、彼を知る人たちの証言から丹念に炙り出してゆく。彼は生前、仲間達から親しまれ、尊敬されながら暮していたわけではない。むしろ、非難や嘲笑の方が多かったかもしれない。現に山崎さんですら、彼の生前の印象はそれほど芳しいものではなかった。それがどのように覆っていったかを知るとき、読み手の心にも変化が起こる。わたしが印象深く覚えているのは、新聞社のフィリピン特派員として敗戦を迎えたクラタが捕虜収容所に入ったとき、敗走中自分が貴重な本を預けてきた教会が焼かれたことを知り、「米軍は教会と本さえ焼くのか」と米軍憲兵曹長に、その怒りを顕わにしたくだりだ。教会も本も焼き払って羞じることがなかったのは、日本軍とて同じだ。そして、それは過去の話ではなく今も起きていることに相違ない。「ナチスの手口に学べ」とはムッシュ・クラタなら、どんな状況でも語りはしなかっただろう。
彼の最期の言葉は、フランスかぶれらしく、フランス語だったという。
voulez-vous, attendrez un instant
彼の遺品のなかには1000枚の白紙の原稿用紙があった。彼はその1000枚の原稿用紙に何を書くつもりだったのだろう。人間ひとりが息をひきとるということは、1000枚、いやそれ以上の原稿用紙を白紙のまま残してゆくことでもあるかもしれない。
c)
voulez-vous, attendrez un instant
「ちょっと、待ってください」
与えられた(残された)その時間のなかで、わたしは何をしよう。今日は、チューリップの球根をこんなにどうするのだというくらい買い込んだ。少し、庭の土を調えなければと思う。
母を連れて市の健康診断の結果票をもらいにゆく。病院側の連絡ミスで、一度、わたしひとりで結果票を受け取りに行ったのだが、やはり本人が居ないとだめだということになり、仕事の日程を調整して、母を連れ再訪した。先日会ったばかりの医師が申し訳なさそうに、「すみませんね、規則なものですから」と苦笑した。それよりも、ちょっと可笑しかったのは、待合室でうつらうつらしていたわたしは、名前が呼ばれたような気がして、母の手を引きながらヨチヨチと(母がヨチヨチしているので、支えているわたしもヨチヨチになるのである)診察室に入っていったのだが、医師は、わたしたちを見るなり、「まだ、呼んでいません」と実にすげなく告げたのだった。呼ばれてもいない親子が、ヨチヨチ、入室してきたのだから驚いただろう。それでも、その「まだ、呼んでません」という一言と、そのまま、あらマチガエタと、またヨチヨチ出ていくわたしたちのタイミングが、なにやらコントじみた間合いで、わがことながら、ちと、ウケてしまった。医師の方でもそうだったらしく、程なく、本当に呼ばれて、再度入室した際には、妙に打ち解けた間柄となっており、それはそれでよかったようだ。
なんだろう、わたしたち親子は、他者から見たら、どこか、ドンキホーテとサンチョパンサのように見えはしまいかと思う。但し、このドンキホーテは、懐に夢、というよりは何枚もの診察券を忍ばせて、年老いたサンチョパンサの手を引きながらの病院めぐり、いささかも勇猛ならざる風情なのではあったけれど。サンチョは、今回、心電図にやや異常ありとのこと。気になる。
b)
先日、山崎豊子さんが亡くなられたとき、毎日新聞に載った追悼記事の中に、「ムッシュ・クラタ」について触れられていた記者のかたがいた。2009年に「運命の人」が毎日出版文化特別賞を受賞した際のインタビューにおいて、かねてから伝えたかったことを山崎さんに伝えたのだという。それは、数ある彼女の作品の中で、、「ムッシュ・クラタ」が好きだということだった。すると山崎さんは頬を紅潮させて、自分もあの小説には思い入れがあるので、そんなふうに言ってもらえて嬉しいと、とても感激された由。その記事を読んだとき、初めて目にしたその題名が、山崎さんの作品にしてはどこか異色な感じがし、その奇妙な感覚だけ心のうちにぶらさげて、あとはいつの間にか、すっかり忘れてしまっていたのだが、昨日立ち寄った書店で、まさにその「ムッシュ・クラタ」なる文庫本が、平積みされた他の山崎作品の山の片隅に一冊だけ置かれているのを見つけ、そのままレジに持っていった。そして、深夜、一気に読み終えた。有村さんというその記者のかたが、何度も読み返しているというだけあって、実に魅力的作品だった。
ムッシュ・クラタは、戦前・戦中・戦後と、フランスかぶれと揶揄されながらも、ダンディというおのれの信念を貫いて生きたひとりの実在の記者をモデルにしている。そういえば、しばらく前、「ナチスの手口に学べ」というシャレにもならない発言でわたしたちを絶句させた人物がいたが、彼の昨今の外遊の際の出で立ちなども、なにかに「かぶれて」いるとしか思えない奇妙な様子で、あれも本人にとっては、ダンディさの発露だとするなら、山崎さんのこの作品は、同じダンディでも、信念の拠って立つ場所によって、こうも違うものになるのだという、いい比較になるように思う。そもそもわたし自身は、ダンディというものに、持論はおろか、さしたる興味もないのであるが、ムッシュ・クラタのような孤高は、今の時代、実はとても大事なものになってゆくのではないかという気もする。
ダンディとはどういうものか、ムッシュ・クラタ、倉田玲の胸には、けして譲れぬ自恃の思いがあったわけで、山崎さんはそれらを、彼を知る人たちの証言から丹念に炙り出してゆく。彼は生前、仲間達から親しまれ、尊敬されながら暮していたわけではない。むしろ、非難や嘲笑の方が多かったかもしれない。現に山崎さんですら、彼の生前の印象はそれほど芳しいものではなかった。それがどのように覆っていったかを知るとき、読み手の心にも変化が起こる。わたしが印象深く覚えているのは、新聞社のフィリピン特派員として敗戦を迎えたクラタが捕虜収容所に入ったとき、敗走中自分が貴重な本を預けてきた教会が焼かれたことを知り、「米軍は教会と本さえ焼くのか」と米軍憲兵曹長に、その怒りを顕わにしたくだりだ。教会も本も焼き払って羞じることがなかったのは、日本軍とて同じだ。そして、それは過去の話ではなく今も起きていることに相違ない。「ナチスの手口に学べ」とはムッシュ・クラタなら、どんな状況でも語りはしなかっただろう。
彼の最期の言葉は、フランスかぶれらしく、フランス語だったという。
voulez-vous, attendrez un instant
彼の遺品のなかには1000枚の白紙の原稿用紙があった。彼はその1000枚の原稿用紙に何を書くつもりだったのだろう。人間ひとりが息をひきとるということは、1000枚、いやそれ以上の原稿用紙を白紙のまま残してゆくことでもあるかもしれない。
c)
voulez-vous, attendrez un instant
「ちょっと、待ってください」
与えられた(残された)その時間のなかで、わたしは何をしよう。今日は、チューリップの球根をこんなにどうするのだというくらい買い込んだ。少し、庭の土を調えなければと思う。
by kokoro-usasan
| 2013-11-01 23:53
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