運転免許
運転免許を持っていない同僚が、その理由を、「こどものころ、交通事故にあったから」と言うのを聞いて、そうか、わたしも、子どもの頃、目の前で恐ろしい事故を目撃したことが、免許をとろうとしてこなかった潜在的な理由になっているのかもしれないと思った。日頃、お転婆なわたしが、夜になっても、顔面蒼白、口をきけなくなっているので、そばにいた大人たちは苦笑した。それから程なく、母親のように思っていた担任教師が、大型トラックにはねられて休職することになった。小学校1年のときだ。先生が、事故でどうなってしまったのか、子どもにはあまり聞こえてこなかった。ただ、「眠っている」とだけ伝えられた。「ずっと、眠っている」と。それでも、大人の噂に耳ざとい子どももいて、先生は、頭を打ってぐるぐるまきのミイラみたいになったんだ、と教えてくれた。「ちいさいモモちゃん」や、「たつのこたろう」のお話を、いつも楽しく読み聞かせしてくれたのに。
どういういきさつだったのかわからないが、わたしが小学校3年にあがるとき、その女の先生は、同じ学校に復職した。相当なリハビリを乗り越えたのだろう。ただ、組替えがあったし、もうわたしの担任になることはなかった。それでも、大人たちの噂はやはり耳に入ってきて、どうやら、先生は、「すこしおかしくなって」しまったらしかった。授業の途中で、ぼーっとして、何をしていたか忘れてしまったり、ろれつもよくまわっていないので、そのクラスの保護者たちから、担任を降ろすようにと陳情が出ているのだという。なんだか、くやしかった。先生は、いつも笑顔で、優しくて、ユーモアのある楽しいひとで、そんなふうに言ってほしくなかった。「すこしおかしくなって」しまったと言いながら、中指を頭にあてる大人の仕草も嫌だった。
その先生のその後の消息は、わたしにはわからない。ただ、児童文学の同人誌に参加していた彼女が、まだ交通事故にあう前に書いた物語が、ある本に載っていて、その本は今も持っている。すてきなことに、わたしの好きな絵本画家の梶山俊夫さんが挿絵を描かれている。その物語は、先生の仕事がそのまま反映されていて、そこに出てくる子どもたちは、わたしたちひとりひとりに間違いなかった。先生が主人公に選んだ少年にも、なんだか心当たりがあった。すごく困った子だったのに、物語のなかで、先生はその子に安らいだ明日をプレゼントしている。穏やかなやさしさをプレゼントしている。そういう未来を約束している。
わたしは、愛されるには足りない人間だが、なにかひとつくらい、そういうプレゼントを、この世に残せたらいいのにと思う。事故にあい、思い描いていた未来と違うものになってしまったかもしれない先生は、あのとき絶望しただろうか。たくさん、涙しただろうか。頑張って復職しても、冷たい周囲に胸をえぐられただろうか。なによりも、こどもたちにうまく接することができない自分が、引きちぎられるように辛かっただろうか。わたしも、明日、そうなるかもしれない。愛されるに足りないどころか、生きていることすら厄介に思われる日がくるかもしれない。 どうしたら、これだけは、というものを去り行く前に残せるだろうか。
どういういきさつだったのかわからないが、わたしが小学校3年にあがるとき、その女の先生は、同じ学校に復職した。相当なリハビリを乗り越えたのだろう。ただ、組替えがあったし、もうわたしの担任になることはなかった。それでも、大人たちの噂はやはり耳に入ってきて、どうやら、先生は、「すこしおかしくなって」しまったらしかった。授業の途中で、ぼーっとして、何をしていたか忘れてしまったり、ろれつもよくまわっていないので、そのクラスの保護者たちから、担任を降ろすようにと陳情が出ているのだという。なんだか、くやしかった。先生は、いつも笑顔で、優しくて、ユーモアのある楽しいひとで、そんなふうに言ってほしくなかった。「すこしおかしくなって」しまったと言いながら、中指を頭にあてる大人の仕草も嫌だった。
その先生のその後の消息は、わたしにはわからない。ただ、児童文学の同人誌に参加していた彼女が、まだ交通事故にあう前に書いた物語が、ある本に載っていて、その本は今も持っている。すてきなことに、わたしの好きな絵本画家の梶山俊夫さんが挿絵を描かれている。その物語は、先生の仕事がそのまま反映されていて、そこに出てくる子どもたちは、わたしたちひとりひとりに間違いなかった。先生が主人公に選んだ少年にも、なんだか心当たりがあった。すごく困った子だったのに、物語のなかで、先生はその子に安らいだ明日をプレゼントしている。穏やかなやさしさをプレゼントしている。そういう未来を約束している。
わたしは、愛されるには足りない人間だが、なにかひとつくらい、そういうプレゼントを、この世に残せたらいいのにと思う。事故にあい、思い描いていた未来と違うものになってしまったかもしれない先生は、あのとき絶望しただろうか。たくさん、涙しただろうか。頑張って復職しても、冷たい周囲に胸をえぐられただろうか。なによりも、こどもたちにうまく接することができない自分が、引きちぎられるように辛かっただろうか。わたしも、明日、そうなるかもしれない。愛されるに足りないどころか、生きていることすら厄介に思われる日がくるかもしれない。 どうしたら、これだけは、というものを去り行く前に残せるだろうか。
by kokoro-usasan
| 2013-05-09 18:05
| つぶやき
|
Comments(2)
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by
あさ川四郎
at 2013-05-11 23:14
x
こういう文章を書けてるだけで充分人生オッケーだと思うが。
0
Commented
by
kokoro-usasan at 2013-05-12 00:41
閉じられていないもの
by kokoro-usasan
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