受容
久し振りに「ダカフェ日記」を覗きにゆき、見知らぬ子犬が仲間入りをしているのを知り、おや、かわいいと思いながらどんどんスクロールして日付を遡っていったのだけど、なんとなく、不安になってきたのは、おなじみの老犬ワクチンの写真が一向に現れないからだった。櫻の季節を前にして、ワクチンは死んでしまっていたことが、日記の記事でわかった。
わたしは「ダカフェ日記」の「海ちゃん」が赤ちゃんだったころからの読者だけれど、、森家への距離感は常に一定で、それは、「モリポン」の実に微細な配慮の上に保たれている距離感なのだと感じている。簡単なようでいて、実は難しいことだと思う。
それでも、このごろ、わたしは考えていた。森家に段々増える犬たちが、みな、まったく違う種類の犬で、それぞれに、とてもユニークで、それらの犬と、森家の「人間」たちのまた同じようにユニークである様が、とても自然に入り混じりつつ彼らの「ひとつ屋根のした」があることの意味合いを。
森夫婦の最初の子供である「海ちゃん」が生まれるより前から、ワクチンはいて、次の子供である「空くん」が生まれ、それから、他の犬たちがそれに加わっていった。(ちゃんと名前があるのに、犬たちなんてくくって書いてしまってすみません)「一人っ子」の子供がどこかで人生の味わいの幾分かを損するのと同じように、ワクチンも、たった一頭の飼い犬であるよりも、色々な仲間がいる家で余生を送れたことは、とてもよかったのではないかと感じられた。
そして、ワクチンが天に召されたあとすぐに、小さな子犬を家に招きいれた森家のありかたというものも、わたしには、とても自然でたくましいものに思えた。ペットを亡くした飼い主は、よく言うものだ。「もう二度とイキモノは飼わない」と。それは、実にイキモノ思いであるように感じられるが、本当にそうだろうか。かくいうわたしも、おそらく、そういう人間だ。そう思うことが、ペットへの愛情の深さを証明するものであるかのように、勝手な感傷も交えて、そんなことを言いそうだ。現に、中学2年の時に飼い犬を亡くし、その後次々に飼っていた小鳥も亡くして以来、一度もイキモノを飼っていない。(米原万里的に言うと、「人間の男」もだけど。笑)
結局、そういうこだわりのようなものは、他の様々な局面でもわたしを規定してきたかもしれない。久し振りに覗いた「ダカフェ日記」のその静かで清潔な新陳代謝のようなものを目にし、生きたり、死んだりすることは、もちろん、そこに深い哀しみや喪失感があったにせよ、つまりは、こういう感じに、硬直しないで、受け入れてゆけたら、本当は、一番、幸せなことなのだろうなと思った。ワクチン、とてもきれいな佇まいの犬でした。
わたしは「ダカフェ日記」の「海ちゃん」が赤ちゃんだったころからの読者だけれど、、森家への距離感は常に一定で、それは、「モリポン」の実に微細な配慮の上に保たれている距離感なのだと感じている。簡単なようでいて、実は難しいことだと思う。
それでも、このごろ、わたしは考えていた。森家に段々増える犬たちが、みな、まったく違う種類の犬で、それぞれに、とてもユニークで、それらの犬と、森家の「人間」たちのまた同じようにユニークである様が、とても自然に入り混じりつつ彼らの「ひとつ屋根のした」があることの意味合いを。
森夫婦の最初の子供である「海ちゃん」が生まれるより前から、ワクチンはいて、次の子供である「空くん」が生まれ、それから、他の犬たちがそれに加わっていった。(ちゃんと名前があるのに、犬たちなんてくくって書いてしまってすみません)「一人っ子」の子供がどこかで人生の味わいの幾分かを損するのと同じように、ワクチンも、たった一頭の飼い犬であるよりも、色々な仲間がいる家で余生を送れたことは、とてもよかったのではないかと感じられた。
そして、ワクチンが天に召されたあとすぐに、小さな子犬を家に招きいれた森家のありかたというものも、わたしには、とても自然でたくましいものに思えた。ペットを亡くした飼い主は、よく言うものだ。「もう二度とイキモノは飼わない」と。それは、実にイキモノ思いであるように感じられるが、本当にそうだろうか。かくいうわたしも、おそらく、そういう人間だ。そう思うことが、ペットへの愛情の深さを証明するものであるかのように、勝手な感傷も交えて、そんなことを言いそうだ。現に、中学2年の時に飼い犬を亡くし、その後次々に飼っていた小鳥も亡くして以来、一度もイキモノを飼っていない。(米原万里的に言うと、「人間の男」もだけど。笑)
結局、そういうこだわりのようなものは、他の様々な局面でもわたしを規定してきたかもしれない。久し振りに覗いた「ダカフェ日記」のその静かで清潔な新陳代謝のようなものを目にし、生きたり、死んだりすることは、もちろん、そこに深い哀しみや喪失感があったにせよ、つまりは、こういう感じに、硬直しないで、受け入れてゆけたら、本当は、一番、幸せなことなのだろうなと思った。ワクチン、とてもきれいな佇まいの犬でした。
by kokoro-usasan
| 2012-07-04 22:58
| つぶやき
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Comments(2)
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よもぞ
at 2012-07-05 00:00
x
わたしもこの間、ワクチンのこと知りました。
悲しいけれど、幸せだったね、ワクチン。
学生時代から2人と一緒で結婚して子供が2人になってもずっと一緒だった。
団子もおんぷもカモメもみんな種類がちがっててかわいい。
もし元気になれたら猫とまた暮らします。
悲しいけれど、幸せだったね、ワクチン。
学生時代から2人と一緒で結婚して子供が2人になってもずっと一緒だった。
団子もおんぷもカモメもみんな種類がちがっててかわいい。
もし元気になれたら猫とまた暮らします。
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kokoro-usasan at 2012-07-05 09:11
そうね、よもちゃん。また、猫と暮してね。よもちゃんの「ヨモギ」ちゃんもとてもベッピンさんでしたよね。「もし、元気になれたら」?大丈夫よ、よもちゃん。「元気」はよもちゃんの手の届かない遠く外側の世界にあるのではなく、よもちゃんの中に、いつでもいきいきと脈打っています。わたしにはそれが見えます。埋もれているそれをうまく外に出してあげられますように。
閉じられていないもの
by kokoro-usasan
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