紫陽花
しばらくアフリカ旅行に出かけていた隣家のご夫婦が帰宅され、お土産にお茶をいただいた。
南アフリカで買った本場「ルイボスティー」だ。職場に持ってゆくと、Fちゃんが、ルイボスティーはノンカフェインなのよと教えてくれた。夜中に濃い珈琲を何杯飲んでも、うたた寝ばかりしてしまう人間に、ノンカフェインの効用はあまり意味を持たないように思えたけれど、昨夜、じっくり淹れて飲んでいた。茶葉の薬臭い匂いも淹れてしまうとそう気にならず、くつろいで味わえた。それで判った。わたしはどこまでもヘソが曲がっているらしい。ノンカフェインのおかげで、明け方の4時すぎまで脳味噌がすっきりさくさくと動いてくれたのだった。
全然眠くならない。
普段なら、よれよれになっている時間に、新聞など読み始め、珍しく眺めたテレビ欄で、先日亡くなられた原田正純さんを追悼するアーカイブ番組が放送されるのを知った。午前零時から放送。もう7分経過していた。デジタル放送に切り替わって以来、テレビが見れなくなっている我が家だけれど、急いで簡易チューナーと簡易アンテナを引っ張り出してきて、テレビに繋いだ。テレビの前にほとんど正座の状態でじっと見入る。「圧倒的に力の差のある両者の間における中立とはなにか」と自問自答する原田さんの言葉がとても印象に残った。「圧倒的に強いもの」と「圧倒的に弱いもの」がいたとき、間に立った人間の中立は、その真中に立つことではなく、「圧倒的に弱いもの」に寄り添うことでしか果たせないのではないかという原田さんの訴え。胸に沁みた。このような信条を持つ医師に寄り添われて、その「圧倒的に弱い」立場に耐え、日々の苦悩と闘ってこられた水俣病患者の皆さんが、今、どんな気持ちでおられるだろうかと思わずにはいられない。
本棚にあった2006年刊行の「環」という雑誌を取り出してきた。春号で水俣病を特集していた。ちょうど、多田富雄さんと石牟礼道子さんの往復書簡の連載が始まった号で、「受苦ということ」で始まる多田さんからの第一回の手紙を胸詰まらせながら読んだ記憶は今も鮮明だ。(その多田さんももう故人となられた)その号には、当然のごとく原田さんの寄稿もあったが、医師としての色合いの濃い内容だった。本当はもっともっと生身の人間として訴えたいことがたくさんあられただろうなぁと思う。そういう文章もいつか読む機会があるだろうか。
特集の中で、あるジャーナリストのかたが、報道の問題について、こういう言葉を紹介していた。1968年当時新聞記者達の座談会で語られた反省の言葉の一片だ。「被害者がだまりこくってしまう。学者も論争しなくなる。それでわれわれもうっかり問題が終ったかのような気になり、工場の刑事責任を追及する面ではなにもしなかった」 当時はそうだったが、今のジャーナリズムはもっとましになったといえるだろうか。逆に、簡単にヒーローになれそうな上滑りな「問題」ばかり見つけてきては口汚い言葉で騒ぎ立て、叩きのめしてオワリ、という茶番ばかり繰り返し、余計に世相を混乱させている。
一人の医師が、自分の志で、何千人という患者を足で歩いて掘り起こし、その救済に当たろうとしたような情熱も誠意もない報道なら、わたしは読みたくないのだ。テレビにしても、新聞にしても。
でも、その言葉は、そっくり、そのまま、自分にも戻ってくる。
雨に打たれて庭で咲いている花をきれいだと思う心が残っているうちに、ささやかでも、自分なりななにかをしなくてはならないと思うのだけど。
南アフリカで買った本場「ルイボスティー」だ。職場に持ってゆくと、Fちゃんが、ルイボスティーはノンカフェインなのよと教えてくれた。夜中に濃い珈琲を何杯飲んでも、うたた寝ばかりしてしまう人間に、ノンカフェインの効用はあまり意味を持たないように思えたけれど、昨夜、じっくり淹れて飲んでいた。茶葉の薬臭い匂いも淹れてしまうとそう気にならず、くつろいで味わえた。それで判った。わたしはどこまでもヘソが曲がっているらしい。ノンカフェインのおかげで、明け方の4時すぎまで脳味噌がすっきりさくさくと動いてくれたのだった。
全然眠くならない。
普段なら、よれよれになっている時間に、新聞など読み始め、珍しく眺めたテレビ欄で、先日亡くなられた原田正純さんを追悼するアーカイブ番組が放送されるのを知った。午前零時から放送。もう7分経過していた。デジタル放送に切り替わって以来、テレビが見れなくなっている我が家だけれど、急いで簡易チューナーと簡易アンテナを引っ張り出してきて、テレビに繋いだ。テレビの前にほとんど正座の状態でじっと見入る。「圧倒的に力の差のある両者の間における中立とはなにか」と自問自答する原田さんの言葉がとても印象に残った。「圧倒的に強いもの」と「圧倒的に弱いもの」がいたとき、間に立った人間の中立は、その真中に立つことではなく、「圧倒的に弱いもの」に寄り添うことでしか果たせないのではないかという原田さんの訴え。胸に沁みた。このような信条を持つ医師に寄り添われて、その「圧倒的に弱い」立場に耐え、日々の苦悩と闘ってこられた水俣病患者の皆さんが、今、どんな気持ちでおられるだろうかと思わずにはいられない。
本棚にあった2006年刊行の「環」という雑誌を取り出してきた。春号で水俣病を特集していた。ちょうど、多田富雄さんと石牟礼道子さんの往復書簡の連載が始まった号で、「受苦ということ」で始まる多田さんからの第一回の手紙を胸詰まらせながら読んだ記憶は今も鮮明だ。(その多田さんももう故人となられた)その号には、当然のごとく原田さんの寄稿もあったが、医師としての色合いの濃い内容だった。本当はもっともっと生身の人間として訴えたいことがたくさんあられただろうなぁと思う。そういう文章もいつか読む機会があるだろうか。
特集の中で、あるジャーナリストのかたが、報道の問題について、こういう言葉を紹介していた。1968年当時新聞記者達の座談会で語られた反省の言葉の一片だ。「被害者がだまりこくってしまう。学者も論争しなくなる。それでわれわれもうっかり問題が終ったかのような気になり、工場の刑事責任を追及する面ではなにもしなかった」 当時はそうだったが、今のジャーナリズムはもっとましになったといえるだろうか。逆に、簡単にヒーローになれそうな上滑りな「問題」ばかり見つけてきては口汚い言葉で騒ぎ立て、叩きのめしてオワリ、という茶番ばかり繰り返し、余計に世相を混乱させている。
一人の医師が、自分の志で、何千人という患者を足で歩いて掘り起こし、その救済に当たろうとしたような情熱も誠意もない報道なら、わたしは読みたくないのだ。テレビにしても、新聞にしても。
でも、その言葉は、そっくり、そのまま、自分にも戻ってくる。
雨に打たれて庭で咲いている花をきれいだと思う心が残っているうちに、ささやかでも、自分なりななにかをしなくてはならないと思うのだけど。
by kokoro-usasan
| 2012-06-16 12:25
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by kokoro-usasan
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