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青嵐

1975年の今日5月19日、東京には氷雨が降ったそうです。それから37年の月日が流れ今日は快晴。5月の風が梢を揺らし、光となって空を翔け巡りました。ということは、三菱重工ビル爆破事件の犯人として大道寺将司が逮捕されてから、37年経ったということになります。1987年に死刑が確定した彼は、今も、死刑囚として獄中にあります。

テレビのない生活をしているせいか、新聞のテレビ欄もほとんど見ないため、この大道寺将司を特集したNHKの番組も知らないまま過ぎてしまいました。辺見さんが彼の全句集を出すために尽力されていたのは知っていたのですが・・・。今日になって、たまたま、そのことを知り、残念に思いながら、本棚にある大道寺将司の第二句集「鴉の目」を手に取りました。

大道寺将司の母、大道寺幸子さんは、彼が生後1年になるころ、彼の父親と再婚したかただそうで、彼の実の母親ではなかったのだそうです。ベトナム戦争などを契機に、社会正義という机上の観念にとらわれて、いつのまにか、手段を選ばぬテロリストになっていってしまった息子が、その事件を起こした日から、幸子さんは、温情の余地のない極悪テロリストの母として、その人生を送ることになったといえるでしょう。けれど、どんなときも、獄中の彼に面会を続けたのも、この幸子さんだったといいます。彼が、罪への自責の念の中で、俳句をつくることを覚え、手紙にそれを添えるようになったときも、その心の変化を一番喜んだのは幸子さんだったかもしれません。

2004年5月初旬、「5月19日に面会にゆきます」と幸子さんは、息子への手紙に書きました。けれど、幸子さんが、彼の面会に来ることはもう叶いませんでした。享年83歳だったそうです。わたしは、大道寺将司という人物を考えるとともに、この幸子さんの人生を思わずにはいられません。
「せめて、逆縁にはならなかったことだけが救いでした」という控えめな言葉しか、この死刑囚の息子には言えませんでした。なぜなら、自分があやめてしまった人たちの家族のことを思えば、自分の家族の死を大袈裟に悼むことなどできる立場ではないと思うからでしょう。

そして、それを、逆照射するなら、そのようにして、幸子さんはこの世から遇されて生きたということでもあります。でも、何故でしょう。天邪鬼だからでしょうか。幸子さんのことを思うとき、わたしも、「母」というものになってみたかった、と思うのです。

  母死せるあした色濃き額の花     大道寺将司





by kokoro-usasan | 2012-05-19 11:50 | つぶやき | Comments(0)


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