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どこでどのように。

どこでどのように。_e0182926_22284038.jpg日が長くなってきたなぁと思う。

「週刊金曜日」の3月25日号で田中優子さんが紹介していた渡辺京二さんという方の言葉が印象的だった。

「人間は土地に結びついている。土地に印をつけて生き、死んだ人間の想いとつながっている」


原発で事故が発生しているという知らせを受けたとき、わたしは「アレクセイの泉」の話をふと思い出していた。チェルノブイリ事故のあとも、放射能汚染された故郷に残り続けた人たちの話だ。その一方で、スノーマンを描いた童話作家ブリックスの「風の吹くとき」も思い浮かべた。さて、自分は、こうした事態に対して、どういう覚悟で臨むつもりなのか、なにもまとまっていなかった。

パリに行ったとき、夜、アパルトマンの窓から外の街並みを見下ろしながら、なにか、この街にはたくさんの死者が、まだうごめいているのだなぁと感じた。古い石造りの街並み。馬車の音さえ聞こえてきそうだった。もし、わたしがここで暮らそうとするなら、こういうもの(目に見えない歴史)に囲まれながら生きることを覚悟し、自分もその一部になってゆくことをよしとする気持ちがなければだめなのだろうなぁと思った。
前述の渡辺さんの言葉でいうなら、「パリに印をつけて生き、そこに横たわる死んだ人間たちの想いと繋がっていく」覚悟だ。

今日はニュースで、被災者のかたが避難所を出て、福島原発から至近距離の自宅に戻り、飼っていた牛の世話をしていたので、また避難所に移動させられたという話も耳にした。放射能の怖さを知らない人だと、呆れてみせるようなことは、わたしには出来なかった。わたしも、牛にえさをやりに行かねばと思ってしまうかもしれないのだ。

自分も、牛も、生きていきたい、牛を見殺しにはできない、と思うなら、牛を見殺しにしなくてすむ「世界」を考えなければならないし、それとは逆に、牛と一緒に死んでゆこうという選択を、自分の信条にすることもできるだろう。実のところ、今、世界は、ある意味で「核と一緒に死んでゆこう」という選択をしているのかもしれないのだけれど、とにかく、それはそれとして、自分は牛にえさをやりにゆくのかどうか、他人事ではなく、考えなければいけないなぁと感じている。
by kokoro-usasan | 2011-03-27 23:08 | ことば | Comments(0)


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