たあいないきもち

先日、ネットでこんな言葉を目にし、なにか胸に沁みた。

「石ころはつねに結果(偶発的な、また必然的な作用の結果)である。
行きどまり、句点、精算書、つねに過ぎてしまった時である。
石が墓標になるのは偶然でない。
石は過ぎてしまった時のしるし、等質で、等密な、
だが不可逆的な時間の保証者である。」(宇佐美英治)


旅に出ると、石ころを拾わずにはいられない自分の習癖を思った。逆説的にも思えるが、旅はわたしにとって、「行き止まり」の確認でもあった。そして、石は、確かに「精算書」のようなものでもあったのかもしれない。石で終わったもの、石に封じ込めたもの、そして永劫に沈黙を守り通すもの。「不可逆的」という一種の安らぎの着地点を、悲劇にさえ求める心。

持ち帰った石ころを手のひらにのせ、撫でさすり、凝視し、「なるほど」と、どこにも「なるほど」と言える思考もないままに、ささやかな「行き止まり」の姿を自ら承認し、本棚の上や、飾り棚の片隅、小さなガラスの器に置く。それは、土地の土産などではなく、やはり、私自身のなんらかの墓標といっていいものかもしれなかった。

その一方で、わたしは、種を買い、球根を求め、芽吹いては枯れゆくものにも「教え」を乞うた。「行き止まり」が「消失」である生命もまた、わたしには必要だった。一瞬の色、華やぎ、しなり、発散と、消滅。

そんなことをたあいなく考えていて、ふと、戸外の風の強さに気付かされる。風か。風は何と言っているか。





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# by kokoro-usasan | 2017-04-07 10:34 | つぶやき

my foolish heart

母の入院先から戻ってきて、ぼんやりテレビをつけると、竹原ピストルが歌っていた。あぁ、この人の歌、わたし、前にブログに書いたことあったよなぁと思い、自分で検索すると、
「雨がやむまでのあいだ。」という4年くらい前の記事で書いているのを見つけた。

catch me if you can というのは、トム・ハンクスと、なんとかなんとか(ど忘れ)のダブル主演映画なのだけど、天才的な詐欺師のお話。実話をもとにしているという。結構面白かった。ピストルさんがいうように、彼のこの歌は、その映画のタイトルを「ぱくった」わけね。でも、「捕まえられるものなら捕まえてみろよ」と歌ったあとの「オチ」が、彼らしくてあったかい。わたしはこういうのを聞くと、「探せるものなら探してごらん」と一生懸命に隠れているのに、誰も探してくれないタイプの自分に恥じ入る。どーんと構えてみたいものだなあ。


このひと月以上、どうも調子がよくないのだけれど、単身介護者というのは、自分が具合が悪くては、介護されてるひとが困るわけで、自分が入院するくらいだったら、母の方を入院させてしまったほうが、理にかなってる、なんて思う。まいったなぁと思っていたら、ほんとに母の具合が悪くなり、入院することになってしまった。これまで、入院するたび、「もう帰るーー」と看護婦さんを困らせて、夜中に電話で呼び出されたりしてきたので、それが心配だったが、認知症の進み具合がちょうどいい塩梅なのか、わたしが病院から帰るとき、「お留守番、よろしくね」と言うと、自宅にいるような気になるらしく、「うん」と素直にうなずく。「それじゃ、これから、仕事にゆきますからね。仕事が終わるまで、静かに待っててね。」「うん」

今回、母の主治医になられた医師が、「話の早い」かたで、ありがたく感じている。患者の家族が知りたいと思うだろうことを、自分のほうから、さりげなく設明してくださる。母が入院したので、わたしは、夜中に何度も起こされずに、朝までぐっすり眠れることとなった。これをひとつの機会として、自分の体調も回復させよう。ケアマネさんが、あなたのリスク判断は間違っていないと思います、と言ってくださった。そうだといいのだけれど。たとえ、そうでなかったとしても、後悔はしないと、わたしたち、老齢の家族を介護するものたちは、心を決めるのだ。つい数ヶ月前も、ひとりで親御さんを介護している友が、「自分の判断に自信が持てない」と電話をくれて、何度もやりとりしたとき、「たとえ、間違ったとしても、それが、わたしたちの、ぎりぎりなのであって、誰もあなたを責めることはできない。」と、ふたりで確認しあった。その友が、久しぶりにわたしに電話をくれ、そのような話をすることになったのは、偶然ではないのかもしれない。

新しい年になったというのに、見聞きすることのすべてが、心を荒ませる。その踏み荒らされた土地には、結局花ひとつ咲いていないように見える。

「泣きながらご飯を食べたことのあるひとは生きていけます」とは、先日やっていたテレビドラマのセリフだが、実際、本当にそうなのではないかとわたしも思う。泣きながら、ご飯を食べたら、自分が明日蒔ける種のことでも考えてみればいいのだろう。





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# by kokoro-usasan | 2017-04-04 23:16 | 日々

books A to Z に寄せて。

辺見さんが、「いかがおすごしでしょうか。さぞや不機嫌なことと拝察いたします」と書いておられるのを見て、「ほんとだよ」と心のなかでタメ口になってしまった。くすっ。友人たちに書きたい手紙がある。贈りたいメッセージもあるのだが、
いろいろ鬱陶しくて、あたまが動かない・・・。申し訳ないです。

e0182926_16304495.jpgそんななかでも、北村浩子さんが、長く担当されてきたラジオ番組 books A to Zが3月で終了と聞き、ずっと、ここでお礼を言いたく思っていました。北村さん、本当にお疲れ様でした。(ブログは保存されるということで、とりあえず安心しました。本当に貴重な記録だと思います。右欄にリンクをはらせていただきました。)

北村さんによると、数年前このブログでウィリアム・トレヴァーの小説を取り上げたときに、その拙記事を読まれたのが最初のきっかけだったとのことでしたが、先日、北村さんがご自身のツイッターで、あえてわたしのこのブログに言及されているのを知ったときは、かなりびっくりしました。しかも、ストレートに社会的な問題に触れた記事でしたので、北村さんとしても思い切った決断だったのではないかとやや心配しました。ただ、読んでくださっていたことに、非常に勇気付けられましたし、励まされました。感謝いたします。ありがとう。心強かったです。

これからまた様々な分野でご活躍になられると思いますが、あらためて「声」のお仕事が、なにかとてもいい形で、北村さんに降りてくることをわたしは期待しています。今はこの世にない分野、今はこの世に一般的ではない仕事、それを開拓してゆく希望もあるかと思います。

ほぼ同年代。まったく不透明な未来を前に、夢とか希望という言葉も、虚しく聞こえてくるのですが、あらがえないものに希望を奪われたと思うのは悔しいですから、自分から短気をおこして、希望を投げ捨てないようにしようと、自戒しているところです。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。





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# by kokoro-usasan | 2017-03-30 18:21 | ごあいさつ

彼岸の雨

e0182926_11494910.jpgチェブラーシカの話題があって。

チェブラーシカってどんな顔をしてたかなと、想像で描いてみた。簡単なはずなのだけど、意外に思い出せない。こんな感じだったかなぁとペンをおいて答え合わせをしてみたら、鼻のかたちが違っていた。

こんないたずら書きをするなんて、「アタシ、かなり凹んでるカモ」という感じ。道理が通らなすぎて、チェブラーシカなんか描きたくなってしまう。今日は雨。咳が少しおさまってきた。

チャック・ベリーの訃報。これ、ろっくんろーるの原点だよね。わたしがこどものころ、読売ランドの屋外ステージで、まだ売れてない野口五郎がこれを歌ってた。わたしは、となりのトランポリン広場で、トランポリンしてて、履いてたズボンのおしりが破けて、みんなに笑われたものの、「でも、この、ごーじょにー、ご、ご、ごーって、かっこいいじゃん」って思ってた。やぶけたズボンは、引率の先生が、「仮止め」してくれて、そのまま帰った。恥ずかしくなかったのかねぇって今になって思うけど、あんまり、その記憶がなくて、「ごー、ごーじょに、ご、ご、ごー」って、家に帰ってからも、鼻歌うたってたことのほうは覚えてる。


もう、すこし、心のリハビリが必要なので、雨の散歩にでかけてみることにする。そういえば、きのうは、ちゃんと墓参りに行ったでござる。自宅の庭の花や葉や枝をいい感じにまとめて、お供えしてきた。花屋さんにゆくと、この時期、やけに価格が高くなっていて、菊ばっかりだし。「ほら、おとうさん、庭の花だよ」なんて言いながら、おそなえしたけれど、なんか、「おとうさん」が、その墓のなかで一年中じっとしているとも思えなくて、「ま、いつも見てるとは思うけどね」なんて、ドライに自分でダメ出し。お墓の花たち、今頃、みんな濡れそぼっているのだろうな。





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# by kokoro-usasan | 2017-03-21 11:59 | つぶやき

扁桃腺炎

e0182926_11273570.jpg某日
子供の頃から扁桃腺が弱かったことを,最近は思い出さずに済んでいたが、先日来、かなりしつこく扁桃腺炎にとりつかれている。病気などしている場合ではないという仕事への責任感と緊張感が、不条理な現実の前でついに崩れたのかもしれない。組織の無責任に打ちのめされつつ、テレビをつければ、ニュースではそれに輪をかけたような話ばかり。

「ムダニン・カタ」というアルバムを取り寄せて、その素朴な歌声にとてもこころ和んだ。台湾のブヌン族の人々の古くから伝わる歌にデヴィッド・ダーリングというチェリストが、その素朴さを邪魔しない控えめで美しい音色で寄り添う。音楽はやはりいいなぁと思う。


e0182926_1129234.jpg某日
咳が止まらない。「痒み」というのは、つまり「痛み」なのだと以前本で読んだ。痛みのもっとも軽微な段階。わたしのこの咳は、扁桃腺炎で傷んだ咽喉の傷が癒えてゆく過程で、皮膚が痒み(軽い違和感)を感じており、それを、指でかきむしることができないため、体が全身で反応している動きなのかもしれないと思う。痒みを掻きむしって出血させてしまうときのように、咳も、どこか麻薬のように、「もっと、もっと」と体に迫る。ぜいぜいするときのつかの間の快感は、痒みを掻いているときの、不思議な恍惚感を思い起こさせる。咳はわたしに執拗に迫る。「早く、追い出して、この違和感を」

Rhiannon Giddensの新しいアルバムを聴く。1曲目で繰りかえされるフレーズ、you can take my body,you can take my bones, you can take my blood but not my soul が、疲れた心に沁みる。


e0182926_1145076.jpg某日
このアルバム、Brad Mehldauの「elegiac cycle」は未聴。ジャケットがきれいだったので、取り寄せてしまった。昔、レコード屋で働いていた頃、わたしはクラシックの担当だったけれど、ディスプレイを考えるときに、一番、羨ましかったのは、ジャズの担当者だったような気がする。ジャズのジャケットは、ハイセンスなものが多くて、並べてて楽しそうだった。あと、R&Bかな。

あぁ、本当に役人の答弁は面白くないなぁ。口先でものをいう、とよく言われるけれど、「口先」しかないような言葉の浅薄さ。

しばらく前のことだけど、「南京事件」とは直接関係のなさそうな日本人と中国人が仲良くしている写真を出してきて、こんなに友好な関係だったのであり、「南京事件」などでっち上げだとネットにアップしているかたがいて、いたたまれない気がした。南京事件が、どういうものなのか、そもそものところを理解していないのかもしれないと思った。日本軍が中国全土で見境なく「虐殺」を行っていたということではない。「南京事件」が問題になっているのは、一部皇軍が制御不能となって、民間人を非道な形で不必要に殺し尽くした「事件」だからなのではないのか。この「制御不能」に陥ってゆく惨禍というものを、人間の歴史として、「忘れずに」検証し、二度と起きないように記憶しなければならない問題だと、わたしは思っている。

「似たようなことがどこでも起きていたのだ」という理屈で、すべてを封印して平気なタイプのひともいるかもしれないが、姑息に封印されたそれらが、時折、明るみに出てきたとき、それをも、もぐらたたきのようにまた埋め戻すのか、血を吐くような貴重な証言として、しっかり残しておこうとするか、「人道」はどちらにあるか、問いたい。


とはいえ、


じんどうかぁ。
わたしは、にんげんなのかなぁ。にんげんということでいいのかなぁ。
はんぶんくらいはにんげんのはずだけど、
あとは、なんだかえたいのしれないものかもしれないなぁ。
ふゆうれいかもしれないです。
もうしわけないですね、いろいろ、ぼやいて。
はいごれいではないので、あんしんしてください。
せきをするふゆうれいです。


くろいゆめと
しろいくもが
くるしそうに
あそんでる





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# by kokoro-usasan | 2017-03-19 12:56 | つぶやき

もうだれも奴隷にならないように

7、8年近く前のことになるかな。たまたまネットで見かけた福岡のブックス・キューブリックという本屋さんのロゴ入りエコバッグが素敵で、欲しいなぁと思っていたら、友人が九州に転勤になったというので、もし機会があったら、その本屋さんに行って、ロゴ入りエコバック、わたしのかわりに買ってください、と厚かましいお願いをしたことがある。友人は律儀に行ってくれたらしいのだが、品切れで買えなかったとの返事があった。

先日、そのブックスキューブリックの店主である大井実さんの書いた「ローカルブックストアである福岡ブックスキューブリック」という本を見つけ、とても面白く読んだ。地域の書店が軒並み閉店してゆくなかで、それまで書店に勤めたことさえなかったかたが、「本屋さんをやってみたい」という夢だけで、お店をたちあげ、全国でも有名な人気書店になってゆくまでの経緯を綴った本だ。「夢だけで」とは言っても、イメージをかたちにしてゆくための現実的な努力は生半可なものではなく、もともと、バブル期にファッション業界で「イベント企画」をやってらっしゃったという、その企画力とコミュニケーション力のたまものという気はする。

わたしが住む街は、一昨年、駅前にあった書店が突然閉店し、「街に一軒も本屋さんのない」コミュニティになってしまった。多い時には、古本屋さんも含めて五軒あった時代もあったのに。ひどい話だなぁと思う。ネットで注文すればすぐ届くからいいやという話ではないのだ。その地域のひとが、みんなで眺めに行く「同じ本棚(書店)」があるということは、内容はともかく、そこそこ、文化的な了解事項のようなものを共有できるということでもあるのだと思う。背表紙を眺めて、だいたいあの本はあのへんにある、という了解だけでも、街の「文化的」財産になるような気がする。今、街に一軒も本屋さんのないわたしの街の住人が、最近、どんな本を読んでいるのか、わたしには、もう皆目わからなくなってしまった。寂しくもあるし、正直、なんとなく怖くもある。本屋もレコード屋もない、この街の住人は、どんな本を読み、どんな音楽を聴いているのだろうか、お互い、誰もなにもわからない。目星もつかない。

かつて須賀敦子さんが書いた「コルシア書店の仲間たち」のように、書店が果たしていた役割のようなものを夢見る。ネットでは、10年前に読んだ記事を、もう一度、読みたいと思っても、もはや、探しようがなくなっていることもあり、例えば、信ぴょう性よりも、感情的なものが優先されるポスト・トゥルースといわれる風潮なども、そうした、「出処をたどりようもない」情報を朝から晩まで浴び続けることによる知的麻痺からくるのではないかという気がする。

広告や情報ではなく、手間暇かけた「著作」に触れる時間がもっと必要なのではないか。

前述の大井さんが本の最後のほうで、イタリアのジャンニ・ロダーリという作家の言葉を引用しているのだけれど、この言葉、奥が深くてとても好きだ。

「みんなに本を読んでもらいたい、
文学者や詩人になるためではなく、
もうだれも奴隷にならないように」






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# by kokoro-usasan | 2017-03-10 22:58 | ことば

自由

かつて、ハンナ・アーレントが言いました。
神には「真理」がある。
しかし、「真理」には「自由」がない。

それはカントの次の言葉から啓示を受けてのものでした。
「わたしたちは、
人間的自由の可能性のために、
真理を犠牲にする覚悟がある」

そのとき、わたしは思ったのです。

神が、「沈黙」するのは、

神の真理からは逸脱して手渡された「自由」を、
人間がどう行使するのか
じっと忍耐強く見つめているからなのだと。

死ぬほどの苦しみも悲しみも、
おまえに与えたその「自由」で乗り越えよ、と。

その自由の意味を深く知れ、と。

「狭き門」とは

「自由をどう使うべきか」という問いかけなのだと
わたしは思っています。

履き違えれば、
その自由は腐り、門は遠ざかります。





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# by kokoro-usasan | 2017-03-01 11:46 | つぶやき

擦過傷

e0182926_1213665.jpg




















このところ
妙に
落ち込むことがあって、
人との間に垣根を作りそうになっているのを感じるのでした。

そこで、
昨日の休日、
普段は乗ることのない初めての路線を利用して
遠い映画館まで
ぼんやりバスに揺られてゆきました。

「彼らが本気で編むときは、」
を観ました。

監督は「かもめ食堂」「めがね」の荻上直子。
彼女自身が「荻上直子第二章」と言っている通り、
この作品は、これまでの荻上作品より
現実への寄り添い方がとてもリアルになっていて
それでも、彼女らしい、ゆるやかでやさしいテンポはそのままの
暖かい作品でした。














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# by kokoro-usasan | 2017-02-28 12:31 | 映画

アハ体験をする

昨夜、ふと浮かんだ言葉が、ふと浮かんだ瞬間に思い出せなくなり、そのまま、どうしても蘇ってこないので、布団のなかでなんども寝返りを打つことになってしまった。よし、気を落ち着けよう、と、起き上がって、台所で白湯を飲み、戻ると、ペンと紙片を持って、またベッドに潜った。この際、思い出すまで眠るのはやめることにした。同僚が、よく言っていた「アハ体験を重ねて脳の活性化」という言葉が、消えてしまった言葉の代わりに、これ見よがしに頭のなかをぐるぐるし始めたからだ。

最近、確かに物忘れはひどくなった。一瞬浮かんで、一瞬で消える、という切なすぎる迷宮体験も増えた。消失に任せることなく、脳のシナプスにエールを送らなければならない。アハ体験、アハ体験。

結果的に、忘れた言葉はひょっこり「父帰る」みたいに戻ってきたのだけれど、そこに至るまでに頭に浮かんだ似て非なる言葉たちの面白かったこと。試しにメモしておいたので、それを読んで我ながら楽しい時間を過ごした。ボケとツッコミをひとりでやるようなものだ。思い出そうとするときに、頼りにするのは、語感であったり、わずかに消え残っているように思える文字だったりするが、自分で変にまとめようとせずに、本当に思いついたままの言葉を書き留めたせいで、よくもまぁ、そんな、という「程遠い」言葉まで出動しているのがわかる。

認知症の母が、時折、ぷっと吹き出したくなるような、意味不明の言葉を投げかけてくるのは、ある意味、この「途上の言葉」で、取り急ぎお茶を濁しているからなのかもしれない。正確な言葉を思い出せないうちは、会話ができないとしたら、そんな苦しいこともなく、だったら、とりあえず、なんでもしゃべってしまえ、と、無意識のうちに思うのかもしれない。

でも、そんなことを考えていると、使い古された言い回しを、飽くことなく繰り返して、流暢に喋り、流暢に暮らすことが、本当に、自分の言い回しで、自分のスタイルなのかと、疑わしくもなってくるのだ。

ど忘れしてしまった事柄を思い出すアハ体験とは別に、ど忘れどころか、実はまだ一度も思い出せていない自分の言葉があるのではないか。その言葉で、まだ一度も喋っていないのではないか。それこそが核心であるにもかかわらず。

とにかく、昨夜、ど忘れした言葉はめでたく思い出すことができた。
思い出せた途端、安心してすぐ眠りに落ちてしまった。




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# by kokoro-usasan | 2017-02-23 23:04 | 日々

なんでもない休日。

朝。よく晴れていたので、洗濯をしてから、近所の歯医者に行き、その足で買い物に行った。買い物のついでに書店にも足を伸ばしているうちに、午後になり、昼食用のサンドイッチと、フリージアの花も調達して帰ってくると、急に春の嵐となり、ベランダの洗濯物が下に落ちてしまっていた。やれやれと拾い上げ、さっさっと埃を払いながら、仕舞う。生暖かい強風のせいで、庭の鉢植えの花が、乾燥してうなだれはじめていたので、ジョウロで水をたっぷりかける。居間に戻って、サンドイッチを頬張って、一度見たことがある推理もののテレビドラマを眺め、なんとなく、あらすじを思い出してきたところで、テレビを消す。カップのなかに残っている珈琲を飲み干して、自分の部屋に戻り、椅子に座る。なんだか、ぞわぞわと寒気がする。風邪?上着をもう一枚羽織ったら、寒気は消えた。肩が凝っているのは、歯医者で緊張していたせいかもしれない。急に、窓の外で雨音。シャワーのような雨音。このところ、こんな雨の音、しばらく聞いていなかったなと思う。なんだ、雨が降るのなら、花に水をあげなくてもよかったなと思う。

と、書いていたら、もう雨は止んでしまい、ヒヨドリが隣家の柿の木の上で、鳴いている。そういえば、朝は、その同じ場所に、山鳩がとまっていた。結構、長い時間とまっていたので、洗濯物を干しながら、話しかけてみたりしたけれど、首をちょっと動かすくらいで、ひっそりとしていた。まだ、体が幼い。

すこし前の新聞に、職員のかたの知らないうちに養護施設を抜け出してしまった少年が、行方不明となり、その2ヶ月後に、付近の山中で遺体で発見された案件について書かれた記事が載っていた。この少年は、わたしの職場にも「捜しています」というチラシが配られ、みんなで心配していた少年だった。まさか亡くなって発見されたとは知らず、その記事で初めて知ったのだ。記事は、亡くなったことを報じたものではなく、施設が遺族側に支払う賠償金をめぐり訴訟になっているというものだった。争点は、賠償額そのものというより、提示された賠償額の、その内訳のなかで、亡くなった少年の「生涯賃金予測」が「0円」で算出されていたことへの抗議だった。もし、生きていたら、その少年が、生涯にどれくらいの収入を得ていたかということが、賠償額を決定する際の重要なポイントになるが、遺族側は、その「0円」という算出に納得できなかったのだ。それにしても、どうしてまた「0円」などという算出をしたのだろう。似たような案件でも、それなりの人権に配慮した額が呈示されるものだ。「0円」という記載を見たときの親御さんの気持ちは冷水を浴びせられたようだったのではないだろうか。これは、大事な問題だと思う。

あ、また雨が激しく降り始めた。こうやって、すこしずつ、暖かくなってゆくのだろう。母がデイサービスから戻ってきた。つい先日は、回覧板を、下駄箱のなかに仕舞ってくれていた。あたまのなか、どうなっているのかなぁと思うけれど、そのちんまりと丸く小さな身体が必死に生きているということが、わたしの暮らしにとって、なんらかの和らいだ灯りになっていることは、確かなのだった。





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# by kokoro-usasan | 2017-02-20 17:30 | 日々


閉じられていないもの


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