せり、せり。

e0182926_10293471.jpg晴れ。スーパーで三つ葉を買おうと思っていたら、その横に根付きのセリが並んでいて、思わず買ってしまった。心変わり。七草粥の日はもう過ぎてしまったし、繊細な料理もできないので、味噌汁に入れた。いい香りがした。いつも、少しだけ汁を残すのが習慣のようになっている母も、全部飲み干した。春も近い。

昔から、よく眺めているアジア・アンティークのHPがあるのだけれど、何年か前から、気になってしかたがない民族衣裳が、そこで紹介されていて、ただただ、その手仕事と意匠に惹かれ、何度も見に行っていた。凝った手仕事のわりには、全体の雰囲気に静かな落ち着きがあり、見ていると気持ちが落ち着くのだった。落ち着くと同時に、なにか背中を押される気持ちになる。居住まいを正したくなる。そんな衣裳だった。

つい先日、また性懲りもなく見に行ったら、なんと、ヤフオクに出品したという。しかも破格値。破格値が嬉しいというより、せりに出されてしまったことがショックで、生まれてこのかた一度もやったことのないオークションに名乗りを上げざるを得なくなった。登録して、いざヤフオク画面のなかに分入ってみると、それこそ数えきれぬものがオークションに出されており、何年も何年も、ひとつの衣裳を眺めて楽しんできたわたしのような人間には、同じようなものがずらりと並んでいる様子に、「目からウロコ」状態でもあったけれど、一方なんだか虚しくもあって、お目当てのものだけ、落札すると、すぐその場から出てきた。「星の王子さま」のお話を心のどこかで思い出している。王子さまのバラの花のこと。


届いた衣裳は想像に違わぬもので、しみじみと手で撫でてみる。丹念な手仕事。着古されて綻びたところも味わい深い。オークションに出されたと知ったときは、「どうして!」と慌てたけれど、今となってみれば、どこかの神様が、眺めているだけじゃなくて、あなたが手元に置いたらどうですかと、取り計らってくれたのかもしれないと思う。感謝。




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# by kokoro-usasan | 2017-02-14 11:45 | 日々

ひこうき

e0182926_1112155.jpgきのうは午後から粉雪が舞い、今朝も、庭にはうっすらと白いものが残っていたが、空は晴れて、洗濯も済ませた。

先日ここでご紹介した池間さんと不破さんのライブの別の映像で「ひこうき」という歌が歌われている。印象に残るとてもしみじみとした歌で、今朝の空を見ていたら、その歌が心に浮かんだ。曲はたしか不破さんが作られたのではないかと思うが、詩は石川啄木だ。




飛 行 機    
        石川啄木 
            
見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたつた二人の家にゐて、
ひとりせつせとリイダアの獨學をする眼の疲れ……

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

1911.6.27.TOKYO.



今は個人がなんでもネットにアップできる時代だけれど、100年前は、「出版」というかたちを取らなければ、広くはだれにも読んではもらえず、自分の思いが、いつか誰かに届くことを切実に願いながら、叶えられずに一生を終えたかたがほとんどだったのではないだろうか。

見よ、今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを

祈るように言葉を書き起こす孤独のようなものが、この短い詩のむこうに垣間見え、それゆえにこそ、給仕勤めの少年の、その非番の日の光景と、空を横切ってゆく飛行機の機影が、もはや忘れることができないほど、わたしの心の奥の奥に届き、100年を超えてなお切ない。




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# by kokoro-usasan | 2017-02-10 11:17 | ことば

だませないもの

e0182926_1084932.jpgきのう、テレビでNHK1972年制作のドラマ「赤ひげ」のアンコール放送をしていた。山本周五郎原作。仕事だったので深夜帰宅してから録画を観た。赤ひげが若い見習い医師を叱る言葉、お上に楯突く言葉、どれもが心を打つ。当時、その見習い医師を演じた俳優が、自分の役を通して、こんなふうにコメントするのを聞き、それがまた胸にしみた。「ひとは騙せても、自分は騙せない。自分をどんどん嫌いになってゆく」 

自分の限界を超えた疲れから、患者の往診を断り、幼い子供を死なせてしまったその若い医師は、そのことを非難する赤ひげに、「医者だって人間だ」と返す。周りの同僚たちも、「みんながみんな赤ひげのように強いわけではない。彼は一種の狂人なのだから、彼の叱責など気にするな」と慰めてくれる。そうだ、そうだ、赤ひげの言い分は暴論だ、医者だって、治療に疲れ果てて睡魔に襲われている状態で、さらに往診などいけるものか、若い医師も、そう結論づけられたなら、それで話は終わるのかもしれないが、彼はだんだんに自分の気持ちを荒ませてゆく。小雪の降る街中を深夜まで、与太者のように彷徨う。酒をあおる。

「ひとは騙せても、自分は騙せない。自分をどんどん嫌いになってゆく」

赤ひげの「求めるもの」があまりに過酷であると糾弾したい思いの一方で、「医者は人間である前に医者だ」と、怒りに任せて彼を叱責してしまった赤ひげの「こころ」が、彼には見えている。見えていることを、見えていないことにはできない。同じ「こころ」がそれを拒み、葛藤する。

いいドラマを観ることができてよかった。



※ちなみにこの放送は連続ドラマだった放送のなかから一話だけ取り出したもので「ひとり」というタイトルです。「ひとり」というタイトルがまた意味深いと思います。







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# by kokoro-usasan | 2017-02-06 10:10 | ことば

春に爪を立ててしまい

e0182926_1130511.jpg立春。
きのうは、休日で、天気もよかったのだが、朝から顔も洗わずに、パソコンの前に座っていた。母に食事を出さなければならないので、そのときだけ、椅子から腰をあげる。考えなければならないことがあって、あれこれ文章を練ってみたものの、あざとさが見え隠れして疲れた。夜、同僚からメールが入り、体調が悪いので、シフトを別のひとと替わってもらったと連絡が入った。風邪を引くひとが目立ってきた。こんなふうに、普段と違う根のつめかたをして、食事もいい加減にしていると、自分も危ないな、自分がダウンすると、仕事も、母親の世話も危なくなるな、と思い、ワードの画面を閉じた。

宵闇のなか、隣家から、幼い子供たちの声で、「鬼は外、福は内」の声が聞こえてきた。毎年、福豆を買うのだが、今年はなんとなく買わなかった。「恵方巻き」の「一本丸かじり」の風習が、かつて花街で、旦那衆が、芸者さんに強要して楽しんだのが、そもそもの始まりだと聞いて、げんなりしていたせいもある。随分と趣味の悪いお遊びを、家庭の団欒の場に持ち込んで、商戦を盛り上げていたのだなと思う。便乗商法はもともとそんなものだと思いつつ、それでも、言われるがまま、そうなんだ、そんな風習があるんだな、みんなで丸かじりして、幸運をお祈りするのだな、と素直に受け入れてしまった去年までの自分を思い、あぁ、これだって、post truthの類ではないのかと、うっすら嫌な気持ちになる。

嫌な気分になった勢いなのか、深夜、よせばいいのに、映画「南京! 南京!」をyou tubeでまた見てしまった。日本語字幕の完全版は削除されてしまったらしく細切れになっていたので、字幕のないほうの完全版を、2時間余、じっと見つめた。中国語の映画だけれど、一度、字幕で見ているし、出ている日本人は日本語でしゃべっているので、だいたいの筋はわかる。怖ろしい映画だ。(気持ちの弱っているかたにはおすすめしません)それでも、実際の恐ろしさに比べたら、きっとソフトなものだろう。見ていて、どうしたって思うのは、日本人だろうが、中国人だろうが、いや、どこの国だろうが「なぜ、こんなことをやらなければならないのか」「なぜ、こんなふうに死ななければならないのか」 だった。

立春らしくない話題になってしまった。







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# by kokoro-usasan | 2017-02-04 12:08 | つぶやき

あなたの歌を聴かせて

e0182926_951316.jpgのどかな朝。

先日、you tubeで見た歌の映像が、そのときは、最初ちょっと意味不明な感じがあったのだけれど、あとになって、あ、そうかと腑に落ちた。

ある歌うたいの女の子の前に3人の男性が現れる。

最初の男性は、自分がどんなに音楽に造詣が深く、関係者の知り合いも多く、先日も海外の空港で有名なアーチストに会って言葉を交わしたことなどを延々と語る。女の子は退屈そうで、うん、うんと返事をしながら、部屋のなかの片付けを始めたり、庭に出て、知り合いの女の子に髪を切ってもらったりする。それでも、その男性は、女の子のあとをずっとついてきて、またぞろ、延々、様々なウンチクを傾け続ける。そして、女の子の歌もすばらしいから是非歌うといいとすすめる。

急に画面が変わって、今度は別の男性が、玄関から入ってくると、自分の家のように、無遠慮に椅子に座って、女の子に、インタビューにきたと告げる。女の子は相変わらず、気乗りのしない様子ではあるが、仕事の手を休めて、男性の前の席に腰掛ける。男性は、女の子の歌についての、事細かな分析をし始め、その歌の持つ意味あい、社会におけるその位置、及ぼす影響などについて、まるで、自分が歌ったものであるかのように、熱く語る。そして、ときどき、そのあたりどう思うか、と女の子に問いかけるのだが、女の子が目を点にして、なにか声を発しようとすると、自分が先ほど開陳した自説を自分でかみしめるように、わかりました、では次の質問です、と女の子の言葉を遮ってゆく。この男性も、女の子の歌がすばらしいから歌ってほしいと願っているのだが、結局、歌など聞こうともせず、自説だけ述べて、失礼いたしましたとまた玄関から出てゆく。

最後だけ、少しちがう。女の子が寝室で寝ていると、障子の向こうでギターの音がするのだ。その音色に惹かれて、障子を開けると、天気のよい縁側で、3人目の男性が、彼女に背を向けたまま、無言でのんびりとギターをつまびいている。とても気持ちのいいメロディーで、女の子は、そろそろとその男性に近づいてゆくと、そっと隣に座り、その響きに耳を澄まし、やがて身体を揺らしながら、幸せそうに歌い始めたのだ。そのギターの音色と、女の子の歌声がいつまでも、のどかな庭に流れ続けた。 





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# by kokoro-usasan | 2017-02-03 11:02 | つぶやき

巴里・のような

e0182926_11271041.jpg大学に入ったばかりの頃、医大を目指していた幼馴染は、一浪して、神保町界隈の予備校に通っていたようで、書泉グランデで配っている「しおり」を何枚も集めては、時々、わたしに持ってきてくれた。毎回、様々な絵描きさんの可愛らしいイラストが描かれていたので、いつのまにか、結構なコレクションになった。とはいえ、わたしはあまりしおりを本に挟む習慣がないので、それらは、とりあえず専用の箱に入れて保存されていた。

浪人生活に入ったことは、彼にとって非常に辛いことだったらしく、そうやってしおりを集めては、ノーテンキな幼馴染に届けるということが、わずかな息抜きだったのかもしれない。

後年、わたしはまさに、その神保町界隈、西神田2丁目という場所で自分が生まれたことを知るのだけれど、当時は、まだ知らずにいた。わたしにとって、神保町は、ただ単に「古本屋街」だった。幼馴染が、「おいしいカレー屋をみつけたから、今度、連れていってあげるよ」と言ってくれたのを覚えているけれど、実際に行ったのかどうかは、もう思い出せない。

12、3年くらい前だろうか。自分が、「実の両親」のもとで産声をあげた土地という認識を持って、ひとり、神田に出かけたことがある。映画「珈琲時光」でも撮影に使われた西神田の喫茶店「エリカ」は、まだ閉店しておらず、窓際の席に座って、静かに時間を過ごした。そばの席では、出版社のかたと、作家らしきかたが打ち合わせをしており、実に失礼な話だが、わたしは、彼らの、どこか「クロウト」っぽい言葉の選び方が、きざっぽく思えて、なんだか、聞いていて恥ずかしかった。

日が落ちて、夜の帳りの降りたあと、あれは、どのあたりだったのだろう、ふっと、通りに目をやったとき、その街並みが、まるでパリのように見えて、どきっとした。「いやいや、それはあまりに大げさだよ。ここは、神保町ですよ。」と、自分で自分に突っ込みを入れながら、あらためて、じっと、街並みを見た。ぐあんと、めまいのようなものに襲われて、パリだかどこだか知らないが、自分の知らない時空にタイムスリップするような変な気持ちになった。そして、やはり、それは、どこかパリに似ていたのだ。でも、ひととき、そんな気分に浸るのも悪くないなと思い直し、しばらく、そこに立って、パリの夜の街並みを思い起こしていた。

きのう、未知のかたのFBで、冒頭の神保町の写真がアップされているのを見た時、あ、と思った。なんとなく、やっぱり「そういう景色」が、ここにはあったのだ、と、自分のかつての「大げさな感慨」を、すこしは擁護してあげられるように感じ、ちょっぴり嬉しかった。


ちょっと、
似ていますよね。ふふ。







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# by kokoro-usasan | 2017-02-01 12:49 | つぶやき

あなたやま

くすっ。不破さん、たじたじで、なんだか、にた〜りと気持ちの緩む映像でした。
この女性はなかなかの「小悪魔」さんかもしれません。

わたしの場合、自分のほうが我を忘れて畑仕事してしまいそうで、怖いです・・・。






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# by kokoro-usasan | 2017-01-29 18:55 | つぶやき

人形

e0182926_18215390.jpg知り合いのかたにお線香をお送りしようと思っていつも行くデパートに出かけたら、ギャラリーで中川ふさ子さんの人形展がちょうど始まったところだった。左の写真は一昨年の人形展のときにいただいた写真。中川さんのお人形は、貴重な古代裂を使われていて、お人形そのものの成型も、型ではなくきちんと一体一体、ご自分で作られているという。だから、本当に、一体一体が味わい深く、一言では言えない、しんみりとした思いを呼び起こす。どうして、「しんみり」するんだろう。敢えて言えば、自分が年月の中で失ってきてしまったものを、このお人形たちが静かに内に湛えていて、どうも、それにちょっぴり心が傷つくというか、傷つきながらも、畏れに似た気持ちで、その幼いかんばせを愛しく思い、長々と見とれるしかないのだった。あぁ、欲しいなぁと思う。思うけれど、わたしがこれを手元で愛でられる時間はそれほど長くはないだろうし、それをどなたかに差し上げる機会があるのかどうかも想像がつかない。それに、わたしには、父親が買ってくれた古い古い雛人形がある。そんなことを頭のなかでぐるぐる考えて、妙に気持ちが疲れてしまった。煩悩というやつだな。

今回の人形展には、雛人形だけではなく、中川さんの本業というか、ご自分の芸術表現としての人形作品もたくさん並んでいて、これは伝統的な雛人形とはまったく異なる独創的なお人形たちなのだが、これはこれで、趣深かった。多くがお年寄りをモデルにしたお人形たちなのだ。椅子にちょっと背をかがめて腰掛けたその風情が、それぞれなにか優しく語りかけてくる感じで、すてきだった。

人形を見つめ、人形に見つめられ、ほっと慰められる気持ちだったはずなのだけれど、家に帰ってきてから、そして、一晩寝て起きてみたら、わたしはなんだか寂しくて、ホームシックみたいな気持ちになっていた。

 「ひと」に、友に、愛する人に、会いたくなっていたのだ。





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# by kokoro-usasan | 2017-01-27 18:57 | 日々

海人

海人というのは「うみんちゅ」ではなくて、kaijin、明石海人のことです。ふと思い立って、古書店から、彼の「白描」という歌集を取り寄せることにしました。1930年代の本なので、おそらくボロボロなのでしょう、くれぐれもその点をご了承ください、とお店のかたから連絡がありました。了解です。彼の歌は、岩波の文庫本でも読むことができるのですが、作者本人も生前に手にしたことだろう「白描」という本を、当時の体裁のまま触れることができるなら、また格別の感慨があるのではないかと、本の到着を待っているところです。


癩は天刑である
加はる笞(しもと)の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呷吟(しんぎん)しながら、
私は苦患(くげん)の闇をかき捜って一縷(いちる)の光を渇き求めた。

― 深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない ―
そう感じ得たのは病がすでに膏盲(こうこう)に入ってからであった。
齢(よわい)三十を超えて短歌を学び、
あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、
己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、
積年の苦渋をその一首一首に放射して時には流涕し時には抃舞(べんぶ)しながら、
肉身に生きる己れを祝福した。

人の世を脱(のが)れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、
明を失っては内にひらく青山白雲をも見た。
癩はまた天啓でもあった




「深海に生きる魚族のように・・・」の1行は何度読んでも、すごいと思います。


追記
思いがけず、すぐに手元に届きました。おそらく、海人はご存知でも、「白描」の本そのものはあまりご覧になる機会がないかと思いますので、ピンボケ写真で申し訳ありませんが、ここにご紹介します。

1939年改造社から出版されました。定価は壱圓四拾銭となっています。
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# by kokoro-usasan | 2017-01-24 06:48 | ことば

雪待ち

e0182926_1404614.jpg今日は、雪待ち顏の灰色の空が街を冷え込ませている。きのう、少しばかり気の重い会議が無事終わり、今日は休日だったのだが、このどんよりした天気では、もう腹を決めて、どこにもいかず、「持ち帰りの仕事」をやらねばなるまい、と、来月必要になる仕事の書類を、自宅でこつこつ作り始めた。なんだかお腹がすいたなぁと思ったら、もう14時をまわっていたので、とりあえず、仕事はここまで。なにか、湯気の立つあったかいものが食べたいなぁ。

ふと、そうだ、わたしはほかにも別の頼まれ仕事があったっけなぁと思い出す。いや、もし、その仕事をわたしに頼んだひとが、ここを見ていたら、「あったっけなぁ・・・じゃないっすよ」とため息ついていそうだが(笑)。とにかく、あったかいものをお腹にいれてから、気分を変えて考えてみようと思う。本当に、雪が降ってきそうだ。



(続く)

「あったかいもの」を食べたら続きを書こうと思っていたのだが、食べたら集中の糸が切れてしまった。日が落ちる頃、夕飯の買い出しに出かけたら、ちらほらと細かな雪片が舞い始め、額や鼻先に冷たいものが付いた。よほどのことがないと、赤の他人の額や鼻先や頬に、わたしたちは触れない。触れられることもない。そんななか、ことわりもなく、まぶたや鼻先にくっついては溶けてゆく雪片の傍若無人ぶりに、わたしはなぜか、暖かい気持ちになったのだった。

今朝は快晴。風強し。
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# by kokoro-usasan | 2017-01-20 14:21 | つぶやき


閉じられていないもの


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