ミラバル姉妹の誓い

独裁政権に抗ったドミニカのミラバル姉妹が誓い合った三つの言葉を、わたしはなぜか忘れられずにいる。特に最後のひとつ。

彼らを信じない  
彼らを恐れない   
彼らに何も訊かない

だから、心あるメディアのかたたちは、この最後の言葉の深い意味を汲み置いてほしいと思うのだ。「彼らに何も訊かない」という抗いかた。

独裁者の言葉に「質問」して、なにかを解き明かそうとすれば、彼らのレトリックに惑わされるだけのことになる。その膨大で空虚な時間。質問などではなく、もう要求や糾弾の段階に入っているというのに、二の足を踏むように、質問に留まるのは、そろそろ職務怠慢と言われても仕方ないのではないか。

もはや、質問ではなく要求の刻だ。

政治において、人々には、「質問する権利」があるが、それが有効に機能しないとき、逆に「質問しない権利」もあるのだということ。権利の二側面。質問せずに(答えさせずに)追い込むという道筋もあるのだということ。道理が通らない質疑応答であるならば、なおさら、それも考えてゆく必要がある。






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# by kokoro-usasan | 2017-06-20 19:18 | ことば

市民的不服従

もはや、クーデターと言ってよいことが国会で起きている。オカルト映画のようでもある。なにか不気味な病のようなものが蔓延してゆき、それまで話をすることが可能だった隣人が、ふと見ると異界の生き物に変わって、襲いかかってくるような恐怖。

悲痛な気持ちになって、自分の過去のブログから「市民的不服従」について触れているものはないか検索をかけてみた。政治の横暴に対して、市民が為せることは、それしかないことを常々確認してきたはずだからだ。にも関わらず、無力さに苛まれれば、いつしか語るべき言葉そのものが萎えていってしまう。

検索をすると、「市民的不服従」で2件ヒットした。おそらく、類似の投稿がもう少しあるはずだけれど、単語に特化すると、この2件なのだろう。自分のためにピックアップしてあとでもう一度考えるよすがにしようと思う。

参考1 2014年6月

参考2 2013年12月



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# by kokoro-usasan | 2017-06-16 02:18 | トピックス

その立場にありません

「仮定の質問に答える立場にありません」

官房長官は、このところ何度、この言辞で答弁から逃げてきただろう。
記者は「仮定の質問」をしているのではない。記者が投げかけているのは、様々な取材、証拠収集を行った上での「疑問」だ。

「こんな疑いが持たれている事案があるが政府としてどう究明するつもりか」
という疑惑の問いかけで、それに対する政府の判断のありかたを尋ねることは、しごく真っ当な質問ではないかと思う。

「仮定の質問」というのは、「もし、仮にこんな証拠書面が出てきたら、どうしますか」というような質問のことだ。提示すべき実際の案件がなにもないのに、その案件を記者が自分で空想して、もしこんなことが起こったらどうしますか、と聞いたわけではない。実際に疑われるような事案が発生していることについて、政府としてどう対応するのか政治姿勢を問うことは、「仮定の質問」ではなく、メディアとしての正当な「疑問」だろう。「仮定の質問」ではなく、「事実関係の確認を要求」しているのだ。

昨今の政府の答弁があまりに「?」なので、これまでの「普通の」政治家だったら、どう答弁していたかという、「当然」の言葉を、わたしは忘れそうになる。かつては、社会で大きな問題になっている事案、国民が懸念している事案に関しては、「事実関係を早急に調査し、国民の疑惑に一刻も早く明確なかたちでお答えできるよう尽力いたします」くらいは答弁していたと思うけどなぁ。




「言葉」が崩壊してしまった。詭弁が、正論として通るようになってしまった。








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# by kokoro-usasan | 2017-06-13 15:47 | トピックス

イムジン河

この映画のアンソンのモデルになった人物(朴安錫さん)の訃報を新聞で読んだ。ずっと、気になっていた映画だったけれど、やっと観ることができた。様々な意味で、今、観ることができてよかったと思う。


「パッチギ!」

とりあえず、1時間45分26秒あたりからのささやかなやりとりだけでもちょっとスッキリします。




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# by kokoro-usasan | 2017-06-11 15:08 | トピックス

共謀について

警察官の情報漏洩に関する報道などを聞いていると、共謀罪については、あくまで慎重に審議しないと、「危険な事態」になるように国家側が「一般人」に持ちかけて罪状を「創作すること」ができるようになってしまう懸念を強くせざるをえない。

専門家ではないので大雑把に言うが、共謀罪が、犯罪を未然に防ぐというよりも、犯罪を行うかもしれないように「見える」人物や、政権にとって邪魔な人物を未然に「逮捕して、社会から隔離してしまう」為の装置として機能した場合、たとえば、共謀罪に抵触するような内容の会話をするように国家側がうまく誘導して聴取し、それを動かぬ証拠とする囮捜査のようなことが盛んに行われる可能性もある。実際の犯罪組織の犯罪に現職警察官が関与することが可能だとするならば、皮肉にもそこに一種の共謀関係があったということになるわけで、「捜査」というものの闇は、「一般人」が簡単に人権をかざして、それを武器に解き明かせるようなたやすい暗闇ではないのだろうと思う。

「山でキノコを採取しそれを資金源にした場合」などという程度の審議に終始し、当の法務大臣が「今はお答えできない」などと言っている段階で、数え切れないほどの対象を持つこの法律を通すことは、現在の政権が、立法というものをあまりにも軽視し、行政上の恣意的な判断を強引に繰り返している現状では、絶対に止めなければならないものであることを、あらためて実感する。




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# by kokoro-usasan | 2017-06-05 14:42 | トピックス

ゆめみること

今朝、洗濯物を干しながら、ベランダから富士山を見ると、裾野が青くなってきていた。
数ヶ月前に、富士山の頂が白くなったと書いた記憶があるけれど、それが冬の始まりとすれば、今日のこの裾野が青くなってきた富士山は、夏の始まりを教えてくれるものだ。雪がどんどん消えていっている。

母の退院後の見守りをしなければならないために、ひとつきの介護休職を認めてもらった身だったが、入院していたときの導尿の影響もあったのか腎臓に問題がおきて、一昨日再入院になってしまった。認知症患者の入院はとても厄介なもので、本人が自分の状況を理解できないことによる身体の危険に晒される。病気を治すために入院しているのに、返って、多くの問題を呼び起こしてしまう場合が多い。

退院後も家族の協力が必須といっても、家族がわたし一人しかいないとなると、病院側もとても不安そうにわたしを見つめる。その雰囲気や視線に神経が萎えてしまうことがある。おそらく、長いあいだの葛藤で、過敏になってもいるのだろうが、在宅介護希望などと言わず、「はやく、施設に入れてしまえばいいのに」という周囲の視線が胸に痛い。

かつてわたしは「優等生」で、なんでも自分でできてしまう子と言われ、自分でもそれなりの矜持があったのに、今では認知症の親を抱えて物分かりの悪い「劣等生」になってしまったかのようだ。劣等生とは、こういう視線に晒されるものなのだなと知った。段々自分に自信がなくなってくる。もちろん、それは、ひとつの出来事として、わたしが感じたもののひとつに過ぎず、一方で、助けてくださるかたたちのたくさんの思いやりに十分感謝し、そのことを、これまで傲慢であった自分の反省に生かしていかねばと思う気持ちのほうが圧倒的に強いのだけれど。そもそも、わたしの自尊心などというものは、その程度のものだったのだということをよく噛みしめることだ。母は、みずからの認知症を賭けて、わたしにそれを教えてくれているのかもしれない。

とはいえ、以前とてもお世話になり、今は定年退職されたケアマネさんから昨日お手紙が届いたのだけれど、そこには、お母さんのことも大事だけれど、あなたに、自分の5年後、10年後を想像して、「夢見る」ことをしてほしいのだ、と書かれていた。そのかたが、なにをおっしゃりたいのか、もちろんわかる。結論を急げないわたしの性分を、十分承知の上で、そのかたは控えめに、でもやはり、そう書いてくださった。たくさんのかたの言葉の編み物の上に座って、わたしは午睡する。疲れにまどろみながら、でも、絶望からは遠く、生きていることを喜べる自分の命にも感謝しながら、あれこれと思いを巡らす。






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# by kokoro-usasan | 2017-06-03 12:39 | 日々

たべること

e0182926_1451449.jpgエアコンを買い換えたら、そうめんとカルピス(2本入り)がついてきた。2本のカルピスのうち、1本は北海道生乳使用のスペシャルヴァージョンなのだそうな。思いがけないオマケにとまどったけれど、これからの季節、確かにそうめんとカルピスは時宜を得ている。

それにしても、このごろ、朝から肉が食べたいときがある。自分でも、「ちょっと、待って。肉ってあなた、今、朝よ。」と笑ってしまうのだけれど、「ハンバーグ食べさせてください」と脳がささやく。「だめ」

「ハンバーグ食べさせて」

どうしたの?わたし。休職中で家に閉じこもっているのだから、そんなにカロリーもいらないように思うのだけれど。自分で自分がおかしい。このあいだは、小さめのハンバーグだけど、いっきに4個も食べた。

「ハンバーグありがとうございます」
脳がお礼を言う。「いいえ、どういたしまして」

でも、記憶を紐解くと、わたしは中学校までは、朝、学校に行く前に、平気でハンバーグを平らげて出かけるような子供だった。今朝なにを食べてきましたか、なんてホームルームの時間に聞かれて、「ハンバーグ」と答えると、担任の先生が、固まる。本当は、「朝ごはん抜きはいけませんよ」と注意したかったのに、いきなり「ハンバーグ」と答える子がいて、ちょっとやりにくかっただろう。

当時の写真を見ると、わたしよりも、母が明らかに肥満なので(肥満気味ではない。肥満)、きっと、母の食欲中枢もおかしくなっていて、その影響を子が受けていたのかもしれない。今、母はずいぶんと痩せて、よろよろした認知症のおばあさんになってしまったけれど、なんだか、「家庭」の歴史には、「食欲や食事の変遷」もあるのだなと思う。父が亡くなる前の、夫婦の食卓などは、本当に一汁一菜というか、量も種類もささやかな食事になっていた。

母とわたしの現在の暮らしも、実に粗末な食卓の風景だけれど、先日、母にもハンバーグを出したら、意外にあっさり平らげてしまったので驚いた。

「ハンバーグ、食べたい」
わたしの脳みそのなかの誰が、朝からそんなこと言ったのかわからないけど、「あら、ご無沙汰ね」って言ってやりたいような不思議な感覚がある。


たあいない話だなぁ。



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# by kokoro-usasan | 2017-05-28 15:48 | 日々

セピア色

新緑が少しずつ深まってゆくなかでの雨は、辺り一帯が、緑がかったセピア色に包まれたかのようで、どこか非現実的な空気感を漂わせいる。

快晴の日と雨天の日で、こんなにも世界は違って見える。そのことが不思議で、意味深な世界の采配について考えてみたくもなるけれど、このところ、わたしの頭はあまりものを考えたがらず、皿を洗ったり、椅子に座ってつかの間テレビに見入ったり、また立ち上がって、雑巾で気になる場所を拭いてみたりというような、自分自身の立ち居振る舞いを自分で俯瞰しているような奇妙な時間を過ごしている。

介護休職して半月。単に、怠惰が始まっているということだろうか。こうやって、社会から脱落してしまうのだろうか。そもそも、社会とは、「どこ」にあるのだろうか。

それにしても、人間が、いえ、わたしが、すこしでも誠実に生きてゆこうとするにあたり、毎日、実に有害なことが発生している。主権在民のこの国に生きる以上、いかに日々憤激の思いを抱かなくてはならないとしても、為政者の動向から目を背けるわけにはいかないわけだけれど、政治以前の、政治家らの心根への懸念でこんなに心を乱されるのは、納得しがたい。

直近の問題で言えば、野党から提出された書面に対し、「怪文書」などという政府側の答弁があったが、わたしから言わせると、この数年の政府の答弁ほど、「怪答弁」だったものはない。怪答弁のオンパレードだ。そんな怪答弁ばかり浴びせられてきたせいで、たとえば、先日の、ある意味明らかに怪しい立ち回りをしている籠池氏なる人物の証人喚問での答弁が、非常に清廉なものに見えたくらいだ。聞かれたことに、きちんと答える、この基本が守れないで、なんの質疑だろうか。どこに議論の足場を築けばいいのだろうか。

「経緯については語れない」と野党からの質問をかわす一方で、己の立場を補強したいときには、その「経緯」にあたる部分を、聞かれもしないのに縷々しゃべっている。この矛盾に自分で気づきもしない答弁も、いくつか見受けた。

自然がセピア色に見えるひとときは嫌いではないけれど、政治が気味の悪いセピア色で、よく色合いが確かめられないのは、とても不幸なことに思う。





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# by kokoro-usasan | 2017-05-26 16:53 | つぶやき

花の朝(あした)

本日、大道寺将司氏が多臓器不全で亡くなったことを辺見庸さんのブログで知りました。ご母堂が亡くなったのも5月だったので、同じ季節に逝かれたのですね。もう、お母さんに会われたでしょうか。

以前、一度、わたしのブログでも、こんなことを書かせていただいたことがありました。
「青嵐」

死刑に対するわたし自身のスタンスについては、このブログでも折に触れ書いてきているかと思うので、今日はここでは触れません。ただ、大道寺さんが、現在のあまりにも任に適さない法務大臣のもとでの刑執行を受けることなく亡くなったことは救いだったように思います。


命とはどのように生かされてあるものなのでしょうか。多くを語る資格も覚悟もありませんが、善悪の前に、そのことを思わずにはいられません。








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# by kokoro-usasan | 2017-05-24 15:58 | 日々

お母さんは知っている

e0182926_1049279.jpg今日は母の日ということで、きのうは、中年の男性が花屋の店先でカーネーションを買い求めているのを何度か見かけました。自分のお母さんに贈るのか、パートナーに贈るのかわからないけれど、そこそこの年齢の男性が花を持って歩いている姿って、なんだか気になって、それとなくちらちらと見つめてしまいました。

わたしはといえば、母が認知症になって、母というより、自分の子供みたいになってしまってから、母の日というイベントに、あまり興味を感じなくなってしまいました。そのかわり、母がかつて丹精していた庭に言い訳程度にチューリップを植えてみたりしながら、それが咲いたとき、「これはお母さんへのプレゼント」と心の中で思うくらいです。

ところで、冒頭の写真、楽しい洗濯タグでしょう? (以前、どこかで見かけて保存していた写真です。無断転載ご容赦。どこで見かけたのか忘れてしまいました)

お母さんって、幼い子供にとっては、魔法使いみたいになんでも知ってて、なんでもできる存在なんですよね。この写真を見たとき、そんなことを思い出して、懐かしい気持ちになりました。世の中には、お母さんに育ててもらえなかった子供もたくさんいると思うのですが、そんな子供たちにも、だれか「魔法使いみたいな」人がそばにいてくれて、その魔法使いが教えてくれたことが、その後の人生を支えてくれているといいなと思います。そのときは気づかなくても、わずかながらでも、そういうひとが、必ず存在しています。そうでなかったら、わたしたちは、生き延びてはいけないのです。

この写真のようなタグは、いつか自分の服から外さなくてはいけないときがくる。そして、だれか、幼い子供が、このタグをつけた服を持って、わたしたちのところにやってくることに備えなければならないときがくる。その子をそっと抱きしめて、「お母さんの魔法」を教えてあげられるひとになれたらいいのですけれど、それは、なかなか難しいものです。世界中の、お母さん、ごくろうさま、そして、ありがとう。






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# by kokoro-usasan | 2017-05-14 11:22 | 日々


閉じられていないもの


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