だませないもの

e0182926_1084932.jpgきのう、テレビでNHK1972年制作のドラマ「赤ひげ」のアンコール放送をしていた。山本周五郎原作。仕事だったので深夜帰宅してから録画を観た。赤ひげが若い見習い医師を叱る言葉、お上に楯突く言葉、どれもが心を打つ。当時、その見習い医師を演じた俳優が、自分の役を通して、こんなふうにコメントするのを聞き、それがまた胸にしみた。「ひとは騙せても、自分は騙せない。自分をどんどん嫌いになってゆく」 

自分の限界を超えた疲れから、患者の往診を断り、幼い子供を死なせてしまったその若い医師は、そのことを非難する赤ひげに、「医者だって人間だ」と返す。周りの同僚たちも、「みんながみんな赤ひげのように強いわけではない。彼は一種の狂人なのだから、彼の叱責など気にするな」と慰めてくれる。そうだ、そうだ、赤ひげの言い分は暴論だ、医者だって、治療に疲れ果てて睡魔に襲われている状態で、さらに往診などいけるものか、若い医師も、そう結論づけられたなら、それで話は終わるのかもしれないが、彼はだんだんに自分の気持ちを荒ませてゆく。小雪の降る街中を深夜まで、与太者のように彷徨う。酒をあおる。

「ひとは騙せても、自分は騙せない。自分をどんどん嫌いになってゆく」

赤ひげの「求めるもの」があまりに過酷であると糾弾したい思いの一方で、「医者は人間である前に医者だ」と、怒りに任せて彼を叱責してしまった赤ひげの「こころ」が、彼には見えている。見えていることを、見えていないことにはできない。同じ「こころ」がそれを拒み、葛藤する。

いいドラマを観ることができてよかった。



※ちなみにこの放送は連続ドラマだった放送のなかから一話だけ取り出したもので「ひとり」というタイトルです。「ひとり」というタイトルがまた意味深いと思います。







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# by kokoro-usasan | 2017-02-06 10:10 | ことば

春に爪を立ててしまい

e0182926_1130511.jpg立春。
きのうは、休日で、天気もよかったのだが、朝から顔も洗わずに、パソコンの前に座っていた。母に食事を出さなければならないので、そのときだけ、椅子から腰をあげる。考えなければならないことがあって、あれこれ文章を練ってみたものの、あざとさが見え隠れして疲れた。夜、同僚からメールが入り、体調が悪いので、シフトを別のひとと替わってもらったと連絡が入った。風邪を引くひとが目立ってきた。こんなふうに、普段と違う根のつめかたをして、食事もいい加減にしていると、自分も危ないな、自分がダウンすると、仕事も、母親の世話も危なくなるな、と思い、ワードの画面を閉じた。

宵闇のなか、隣家から、幼い子供たちの声で、「鬼は外、福は内」の声が聞こえてきた。毎年、福豆を買うのだが、今年はなんとなく買わなかった。「恵方巻き」の「一本丸かじり」の風習が、かつて花街で、旦那衆が、芸者さんに強要して楽しんだのが、そもそもの始まりだと聞いて、げんなりしていたせいもある。随分と趣味の悪いお遊びを、家庭の団欒の場に持ち込んで、商戦を盛り上げていたのだなと思う。便乗商法はもともとそんなものだと思いつつ、それでも、言われるがまま、そうなんだ、そんな風習があるんだな、みんなで丸かじりして、幸運をお祈りするのだな、と素直に受け入れてしまった去年までの自分を思い、あぁ、これだって、post truthの類ではないのかと、うっすら嫌な気持ちになる。

嫌な気分になった勢いなのか、深夜、よせばいいのに、映画「南京! 南京!」をyou tubeでまた見てしまった。日本語字幕の完全版は削除されてしまったらしく細切れになっていたので、字幕のないほうの完全版を、2時間余、じっと見つめた。中国語の映画だけれど、一度、字幕で見ているし、出ている日本人は日本語でしゃべっているので、だいたいの筋はわかる。怖ろしい映画だ。(気持ちの弱っているかたにはおすすめしません)それでも、実際の恐ろしさに比べたら、きっとソフトなものだろう。見ていて、どうしたって思うのは、日本人だろうが、中国人だろうが、いや、どこの国だろうが「なぜ、こんなことをやらなければならないのか」「なぜ、こんなふうに死ななければならないのか」 だった。

立春らしくない話題になってしまった。







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# by kokoro-usasan | 2017-02-04 12:08 | つぶやき

あなたの歌を聴かせて

e0182926_951316.jpgのどかな朝。

先日、you tubeで見た歌の映像が、そのときは、最初ちょっと意味不明な感じがあったのだけれど、あとになって、あ、そうかと腑に落ちた。

ある歌うたいの女の子の前に3人の男性が現れる。

最初の男性は、自分がどんなに音楽に造詣が深く、関係者の知り合いも多く、先日も海外の空港で有名なアーチストに会って言葉を交わしたことなどを延々と語る。女の子は退屈そうで、うん、うんと返事をしながら、部屋のなかの片付けを始めたり、庭に出て、知り合いの女の子に髪を切ってもらったりする。それでも、その男性は、女の子のあとをずっとついてきて、またぞろ、延々、様々なウンチクを傾け続ける。そして、女の子の歌もすばらしいから是非歌うといいとすすめる。

急に画面が変わって、今度は別の男性が、玄関から入ってくると、自分の家のように、無遠慮に椅子に座って、女の子に、インタビューにきたと告げる。女の子は相変わらず、気乗りのしない様子ではあるが、仕事の手を休めて、男性の前の席に腰掛ける。男性は、女の子の歌についての、事細かな分析をし始め、その歌の持つ意味あい、社会におけるその位置、及ぼす影響などについて、まるで、自分が歌ったものであるかのように、熱く語る。そして、ときどき、そのあたりどう思うか、と女の子に問いかけるのだが、女の子が目を点にして、なにか声を発しようとすると、自分が先ほど開陳した自説を自分でかみしめるように、わかりました、では次の質問です、と女の子の言葉を遮ってゆく。この男性も、女の子の歌がすばらしいから歌ってほしいと願っているのだが、結局、歌など聞こうともせず、自説だけ述べて、失礼いたしましたとまた玄関から出てゆく。

最後だけ、少しちがう。女の子が寝室で寝ていると、障子の向こうでギターの音がするのだ。その音色に惹かれて、障子を開けると、天気のよい縁側で、3人目の男性が、彼女に背を向けたまま、無言でのんびりとギターをつまびいている。とても気持ちのいいメロディーで、女の子は、そろそろとその男性に近づいてゆくと、そっと隣に座り、その響きに耳を澄まし、やがて身体を揺らしながら、幸せそうに歌い始めたのだ。そのギターの音色と、女の子の歌声がいつまでも、のどかな庭に流れ続けた。 





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# by kokoro-usasan | 2017-02-03 11:02 | つぶやき

巴里・のような

e0182926_11271041.jpg大学に入ったばかりの頃、医大を目指していた幼馴染は、一浪して、神保町界隈の予備校に通っていたようで、書泉グランデで配っている「しおり」を何枚も集めては、時々、わたしに持ってきてくれた。毎回、様々な絵描きさんの可愛らしいイラストが描かれていたので、いつのまにか、結構なコレクションになった。とはいえ、わたしはあまりしおりを本に挟む習慣がないので、それらは、とりあえず専用の箱に入れて保存されていた。

浪人生活に入ったことは、彼にとって非常に辛いことだったらしく、そうやってしおりを集めては、ノーテンキな幼馴染に届けるということが、わずかな息抜きだったのかもしれない。

後年、わたしはまさに、その神保町界隈、西神田2丁目という場所で自分が生まれたことを知るのだけれど、当時は、まだ知らずにいた。わたしにとって、神保町は、ただ単に「古本屋街」だった。幼馴染が、「おいしいカレー屋をみつけたから、今度、連れていってあげるよ」と言ってくれたのを覚えているけれど、実際に行ったのかどうかは、もう思い出せない。

12、3年くらい前だろうか。自分が、「実の両親」のもとで産声をあげた土地という認識を持って、ひとり、神田に出かけたことがある。映画「珈琲時光」でも撮影に使われた西神田の喫茶店「エリカ」は、まだ閉店しておらず、窓際の席に座って、静かに時間を過ごした。そばの席では、出版社のかたと、作家らしきかたが打ち合わせをしており、実に失礼な話だが、わたしは、彼らの、どこか「クロウト」っぽい言葉の選び方が、きざっぽく思えて、なんだか、聞いていて恥ずかしかった。

日が落ちて、夜の帳りの降りたあと、あれは、どのあたりだったのだろう、ふっと、通りに目をやったとき、その街並みが、まるでパリのように見えて、どきっとした。「いやいや、それはあまりに大げさだよ。ここは、神保町ですよ。」と、自分で自分に突っ込みを入れながら、あらためて、じっと、街並みを見た。ぐあんと、めまいのようなものに襲われて、パリだかどこだか知らないが、自分の知らない時空にタイムスリップするような変な気持ちになった。そして、やはり、それは、どこかパリに似ていたのだ。でも、ひととき、そんな気分に浸るのも悪くないなと思い直し、しばらく、そこに立って、パリの夜の街並みを思い起こしていた。

きのう、未知のかたのFBで、冒頭の神保町の写真がアップされているのを見た時、あ、と思った。なんとなく、やっぱり「そういう景色」が、ここにはあったのだ、と、自分のかつての「大げさな感慨」を、すこしは擁護してあげられるように感じ、ちょっぴり嬉しかった。


ちょっと、
似ていますよね。ふふ。







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# by kokoro-usasan | 2017-02-01 12:49 | つぶやき

あなたやま

くすっ。不破さん、たじたじで、なんだか、にた〜りと気持ちの緩む映像でした。
この女性はなかなかの「小悪魔」さんかもしれません。

わたしの場合、自分のほうが我を忘れて畑仕事してしまいそうで、怖いです・・・。






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# by kokoro-usasan | 2017-01-29 18:55 | つぶやき

人形

e0182926_18215390.jpg知り合いのかたにお線香をお送りしようと思っていつも行くデパートに出かけたら、ギャラリーで中川ふさ子さんの人形展がちょうど始まったところだった。左の写真は一昨年の人形展のときにいただいた写真。中川さんのお人形は、貴重な古代裂を使われていて、お人形そのものの成型も、型ではなくきちんと一体一体、ご自分で作られているという。だから、本当に、一体一体が味わい深く、一言では言えない、しんみりとした思いを呼び起こす。どうして、「しんみり」するんだろう。敢えて言えば、自分が年月の中で失ってきてしまったものを、このお人形たちが静かに内に湛えていて、どうも、それにちょっぴり心が傷つくというか、傷つきながらも、畏れに似た気持ちで、その幼いかんばせを愛しく思い、長々と見とれるしかないのだった。あぁ、欲しいなぁと思う。思うけれど、わたしがこれを手元で愛でられる時間はそれほど長くはないだろうし、それをどなたかに差し上げる機会があるのかどうかも想像がつかない。それに、わたしには、父親が買ってくれた古い古い雛人形がある。そんなことを頭のなかでぐるぐる考えて、妙に気持ちが疲れてしまった。煩悩というやつだな。

今回の人形展には、雛人形だけではなく、中川さんの本業というか、ご自分の芸術表現としての人形作品もたくさん並んでいて、これは伝統的な雛人形とはまったく異なる独創的なお人形たちなのだが、これはこれで、趣深かった。多くがお年寄りをモデルにしたお人形たちなのだ。椅子にちょっと背をかがめて腰掛けたその風情が、それぞれなにか優しく語りかけてくる感じで、すてきだった。

人形を見つめ、人形に見つめられ、ほっと慰められる気持ちだったはずなのだけれど、家に帰ってきてから、そして、一晩寝て起きてみたら、わたしはなんだか寂しくて、ホームシックみたいな気持ちになっていた。

 「ひと」に、友に、愛する人に、会いたくなっていたのだ。





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# by kokoro-usasan | 2017-01-27 18:57 | 日々

海人

海人というのは「うみんちゅ」ではなくて、kaijin、明石海人のことです。ふと思い立って、古書店から、彼の「白描」という歌集を取り寄せることにしました。1930年代の本なので、おそらくボロボロなのでしょう、くれぐれもその点をご了承ください、とお店のかたから連絡がありました。了解です。彼の歌は、岩波の文庫本でも読むことができるのですが、作者本人も生前に手にしたことだろう「白描」という本を、当時の体裁のまま触れることができるなら、また格別の感慨があるのではないかと、本の到着を待っているところです。


癩は天刑である
加はる笞(しもと)の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呷吟(しんぎん)しながら、
私は苦患(くげん)の闇をかき捜って一縷(いちる)の光を渇き求めた。

― 深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない ―
そう感じ得たのは病がすでに膏盲(こうこう)に入ってからであった。
齢(よわい)三十を超えて短歌を学び、
あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、
己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、
積年の苦渋をその一首一首に放射して時には流涕し時には抃舞(べんぶ)しながら、
肉身に生きる己れを祝福した。

人の世を脱(のが)れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、
明を失っては内にひらく青山白雲をも見た。
癩はまた天啓でもあった




「深海に生きる魚族のように・・・」の1行は何度読んでも、すごいと思います。


追記
思いがけず、すぐに手元に届きました。おそらく、海人はご存知でも、「白描」の本そのものはあまりご覧になる機会がないかと思いますので、ピンボケ写真で申し訳ありませんが、ここにご紹介します。

1939年改造社から出版されました。定価は壱圓四拾銭となっています。
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# by kokoro-usasan | 2017-01-24 06:48 | ことば

雪待ち

e0182926_1404614.jpg今日は、雪待ち顏の灰色の空が街を冷え込ませている。きのう、少しばかり気の重い会議が無事終わり、今日は休日だったのだが、このどんよりした天気では、もう腹を決めて、どこにもいかず、「持ち帰りの仕事」をやらねばなるまい、と、来月必要になる仕事の書類を、自宅でこつこつ作り始めた。なんだかお腹がすいたなぁと思ったら、もう14時をまわっていたので、とりあえず、仕事はここまで。なにか、湯気の立つあったかいものが食べたいなぁ。

ふと、そうだ、わたしはほかにも別の頼まれ仕事があったっけなぁと思い出す。いや、もし、その仕事をわたしに頼んだひとが、ここを見ていたら、「あったっけなぁ・・・じゃないっすよ」とため息ついていそうだが(笑)。とにかく、あったかいものをお腹にいれてから、気分を変えて考えてみようと思う。本当に、雪が降ってきそうだ。



(続く)

「あったかいもの」を食べたら続きを書こうと思っていたのだが、食べたら集中の糸が切れてしまった。日が落ちる頃、夕飯の買い出しに出かけたら、ちらほらと細かな雪片が舞い始め、額や鼻先に冷たいものが付いた。よほどのことがないと、赤の他人の額や鼻先や頬に、わたしたちは触れない。触れられることもない。そんななか、ことわりもなく、まぶたや鼻先にくっついては溶けてゆく雪片の傍若無人ぶりに、わたしはなぜか、暖かい気持ちになったのだった。

今朝は快晴。風強し。
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# by kokoro-usasan | 2017-01-20 14:21 | つぶやき

ロゴ入りジャンパー

新聞にこんな記事があった。

「保護なめんな」ジャンパーで受給世帯訪問
毎日新聞2017年1月17日 20時08分(最終更新 1月17日 23時49分)

生活保護受給者を支援する神奈川県小田原市生活支援課の歴代職員計64人が「保護なめんな」などとプリントしたジャンパーを自費で作製していたことが分かった。保護世帯の訪問時などに着ていたという。市は「不適切だった」として着用を禁止、17日に記者会見し、福祉健康部長や副部長、課長ら7人を厳重注意したと明らかにした。

 ジャンパーの胸には漢字の「悪」を描いたエンブレムがあり、ローマ字で「HOGO NAMENNA」(保護なめんな)と記されていた。背中には「不正を発見した場合は、追及し正しく指導する」「不正受給するような人はクズ」という趣旨の英語の文章が書かれていた。

 同課によると、2007年7月に窓口で職員3人が生活保護を打ち切られた男に切りつけられるなどした事件が発生。業務量も多く、職員のやる気が低下していたことから、気分を高揚させ、連帯感を高めようと当時の職員らが製作を始めた。現在は33人の在籍者のうち28人の職員が作っていた。冬に保護世帯を訪問する際、防寒着として着用するなどしていたという。

 加藤憲一市長は「理由はどうあれ、配慮を欠いた不適切な表現。市民に誤解を与えることのないよう指導を徹底したい」とのコメントを出した。【澤晴夫】


33名の在籍職員のうち5名はそのジャンパーを着用しないと決めたのだろう。わたしはその5名のかた、そしていや28名のかたとも、ひとりひとり個別に話を聞いてみたいものだなぁと思う。

つい先日、職務中に判断に困る事案が発生した。そもそも「判断」は、わたしの仕事のひとつでもあるので、なるべくすみやかに善い決断を下したいのだが、時々、どう処理すべきか躊躇することにつきあたる。もちろん、「時間」をかければ、少しは考えをまとめ、脳内でシュミレーションしてみる余裕もあるのだけれど、「今の今」で、打ってでなければならないこともある。

先日の事案は、「今の今」事案で、その際、わたしはやや不適切な判断をしたように思い、しばらく気に病んだ。上の新聞記事のような件とは、まったく話は別で、もっとのどかな話でもあるのだが、よくよく考えてみると、わたしの対応は、「なめんなよ」というロゴを背中に縫い付けたジャンパーを手に持って、相手の前に立っているような態度に近かったのではないかと思うのだ。もちろん、手に持ったジャンパーは、身に纏うことはなかったにせよ、それ相応の威力を発していたように思う。

事案は諍いにもならず、かといって、根本的な解決にもならず、ジャンパーの縫い取りをちらちらと盗み見るひとたちは、とりあえず、静かに話をまとめて帰っていった。

それは、問題に気づきながら、自分の責任でなにかをして失敗するのを恐れ、「知らなかったことにする」という仕事のしかたよりは、少しはマシであったかもしれないが、けして優れた対応ではなかった。ジャンパーを手に持った時点で、わたしはアウトだった。周囲のひとも、あるいは、わたしが応対したひとたちも、それほど、アウトな対応とは思わずに事はおさまったようなのだけれど、自分で自分が許せなかった。

ジャンパーを手にもったのは、わたしの精神の怠惰に他ならないからだ。少ない言葉で、相手に非を指摘したい。あなたの要求は独善的で、他のひとの権利を理不尽に侵害するものだと、ペナルティーをちらつかせて脅す。すこし大げさに言えば、そのような出来事だった。このような対応が絶対にいけないというわけではない。相手が本当に独善的で、考慮の余地があるのに、安易に他者の権利を侵害して自分に利する行為を平然と行おうとしているときなどは、やや強く、それを指摘することが必要なときもある。だが、今回の事案は、すこしだけ、相手にも「やむにやまれぬ事情」があったように見えた。

なにか事情がありそうなことが察せられていたが、相手もまた、「少ない言葉」でごり押ししたいために、人数を集めて「数」で勝とうとしているのが見て取れて、わたしはすこし、穏やかならざる気持ちになった。それで、「ジャンパー」を手にとってしまった。

相手にも問題があったが、わたしがあとで非常に落ち込んだのは、わたし自身の「会話力」の不足が、自分に「ジャンパー」を持たせたのだと自覚せざるを得なかったからだ。「会話力」というのは、「度量」といってもよいと思う。まずは相手の懐に飛び込んでゆく勇気といったらいいだろうか。ジャンパーを持った時点で、わたしは、彼らに、あなたがたの言い分は一切聞かない、と暗にしめしたに他ならない。

それから何日か立つのだが、他人が忘れているようなその日のほんの一コマが、どうもずっとわたしの心を苛んでいて、冒頭の新聞記事を見たときに、「なんて、ひどい。どういう神経か」と思いながら、ふと、動揺したのだ。自分の心の奥にも、「職業としての問答無用」に馴染んでいってしまう過ちの芽が潜んではいまいかと。人間らしい問題の解決を捨象してしまう怠惰と高慢を恐れる。




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# by kokoro-usasan | 2017-01-18 11:55 | トピックス

長く生きるほどに

津端さんご夫妻のことは数年前から雑誌などで存じ上げていたのですが、その穏やかで質実な暮らしぶりを本にまとめられたときは、とても嬉しく拝読しました。今回、気になるドキュメンタリーをたくさん上映してくれているポレポレ東中野で、ご夫妻のドキュメンタリーが封切られるのを知り、いそいそと出かけてゆきました。普段は、それほどお客さんが入っていないように思える(失礼。タイミング的なものでしょうかね)ポレポレなので、今回も、上映時刻少し前に余裕で入場のつもりが、既に大入り。わたしよりもあとに来られた方のなかには、椅子席ではなく、「階段に座布団」席になってしまったかたもおられたようです。

以前、鎌倉の美術館で開催された建築家アントニン・レイモンドとノエミ夫妻の展覧会に行ったことがありますが、津端さんは、このレイモンドの影響を受けてらっしゃり、暮らしの設計(家や庭の造作だけでなく)に、それが色濃く現れています。あいにく、レイモンド夫妻については、建築的なことを知るのみで、その人となりについてはあまり知らないのですが、津端夫妻に関しては、興味深い記事や書籍で、一方的に親しみを覚えていたので、こうやって映像で拝見できるのは、とてもありがたく思います。そして、中身については、まだ上映中ですし、あまり語らずにおこうと思いますが、この映画のなかに挿入された、ファンタジーだけではない部分が、わたしには、なぜかとても心に残りました。

ひとの人生、ひとの心に分け入るということは、とても大変なことなのだなぁとあらためて考えさせられました。別にそういうことを示唆する場面が特別あったわけではないのですが、不思議ですね。お年寄りの暮らしに密着する映像には、どうしてだか、自分のなかの軽薄を戒めるなにかを深く感じさせられます。

長く生きるほどに美しくなってゆくということを、心密かに信じてみようか、と、そんな気持ちになる映画でした。たとえ、長くはない命だったとしても、そう密かに信じ、今日の自分を律することが可能ならば、そうしてみたいような気がするのです。


「人生フルーツ」予告編





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# by kokoro-usasan | 2017-01-13 13:04 | 映画


閉じられていないもの


by kokoro-usasan

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