風邪予防にはうがいです。

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いつものように、うがいをしようと思ったら、
イソジン氏と、目が合ってしまった。

イソジン氏のこの無表情な感じは、
世間における自分の評価が低いことに対する
やるせない気持ちのあらわれかもしれず、
もうちょっとで怒り出すか、泣き出すかしちゃいそうであるが、

わたしは、ここ数年、わりと、イソジン氏を、頼りにしている。
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# by kokoro-usasan | 2009-11-28 00:31 | スナップ | Comments(1)

硬いでしょうか。

なんかちょっと、このブログ硬くない?

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そうかなぁ。

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硬いわよ。硬い、硬い。あたし、字、読むの、ニガテだしぃ。

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そうかなぁ。

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そんなに硬いでしょうか?

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ええ、すこし。

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# by kokoro-usasan | 2009-11-27 14:34 | つぶやき | Comments(1)

「街角 桃色の店」

今月は、DVDで映画を観る機会が多かった。書店のワゴンに並んでいる特価280円の名作シリーズを見つけてから、少しずつ、コレクションを増やしている。ごっそり大人買いすればいいものを、どうも、それが味気なく思われて、わざと手間をかけ気の長い買い方をしている。DVDで観る映画は、しばしば記憶がぼやけてしまいがちなので、備忘録的な意味で、なるべく書き留めておこう。

「街角 桃色の店」 監督エルンスト・ルビッチ モノクロ1940年アメリカ
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「街角」はいいけれど、「桃色の店」とはなんぞや。(なんだか怪しい店に思えてしまうよね。)原題は「The shop around the corner」。ハンガリーのブタペストにある小さな雑貨店が舞台のラブ・コメディだ。トム・ハンクスと、メグ・ライアンの主演で話題になった「ユー・ガット・メール」はこの作品のリメイクバージョンだ。



「ユー・ガット・メール」は当時インターネットが普及しつつあった社会の世相にぴったりマッチしていて、見知らぬ人とメールを通じて知り合いになってゆく過程でのロマンスを気の利いた物語に仕立てていたけれど、この作品では、新聞に出した「文通相手求む」という広告から物語が始まってゆく。

どちらの作品も好きだが、物語の筋立て、会話の軽妙さという意味では圧倒的に、ルビッチ監督のこの作品のほうが充実している。まったく、よくもこう、粋な言い回しがポンポンと出てくるものだとめまいがしそうなほど、会話、会話、で、物語は息つく間もなく展開してゆく。

この作品に限らず、ユーモアとウイットとペーソスという、理屈を越えたエモーショナルな機微の匙加減にかけては、このルビッチというおじさんは、本当に素敵な監督だったと思う。彼の作品では「天国は待ってくれる」も、なんともいえないあたたかな余韻を残す極上のコメディーだった。

「ユー・ガット・メール」でもそうだったのだけれど、メグ・ライアンが、トム・ハンクスを、メールの相手と知らずに、待ち合わせの喫茶店で、かなりキツイ皮肉を言う場面がある。トム・ハンクスは、既にメグをメールの相手だと知った上で、甘い文章の綴り手としてではなく、現に目の前にいる生身の自分に寄せられた彼女のその皮肉に、ひとことも弁解せず、その場を退く。このシーンのトムの目の表情は、とても哀しい。ルビッチの原作でも、このシーンはある。そして、ここでの主役、ジェームズ・スチュワートの目もまた、こちらが涙ぐみたくなるほど、切ない色を浮かべるのだ。

「言われて見ればその通り」のような言動を自分が確かにしていたとしても、なにもかも計算づくで、そうしている人間などいはしない。誰も精一杯に良かれと思って生きながら、それでも、場合によってはどのようにも悪意をもった言われ方をされてしまう。そのことに、トムは傷つくのだし、そして、メグもまた、自分の中のもっとも恥さらしで悪意に満ちた心を露出してしまったことに傷つく。にも関わらず、結局、彼らは惹かれあっているのだ。

ある意味で、上質なコメディというのは、そうしたジレンマの深みにある人間の弱さに寄り添い、掬い上げる光を投げかけてくれるものなのかもしれない。
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# by kokoro-usasan | 2009-11-24 12:28 | 映画 | Comments(3)

eyja

e0182926_10272442.jpgeyja(エイヤ)とはアイスランドの言葉で「島」を意味するのだそうだ。
原田知世の2年ぶりとなるニューアルバムはアイスランドのミュージシャンたちとのコラボレーションで、レコーディングもアイスランドのスタジオで行われたとのこと。






このところずっと、重めの音楽ばかり好んで聴いていたので、肩の力を抜いて、
ほっとできる時間が欲しくなったのかもしれない。一日中、部屋の中でリピートしていても、
他の思念とぶつかることもなく、重たい感傷にも陥らない、穏やかで、趣味のいい音楽と
いうものがあるとしたら、このアルバムはまさにそうした一枚だと言っていい。「聴くともなく
聴いていられる」軽やかな音作りなのに、心に残るフレーズが意外にしっかりリフレイン
して後を引く。

アイスランドといえば、ビヨークの音作りにも関わったヴァルゲイル・シグルドソンという人も
このアルバムには参加しているが、だからといって、アルバムがビヨーク風味になっている
ということもなく、原田知世というアーティストの声をよく理解した音作りになっていると思う。
声から、イメージを膨らませてゆくという曲作りも中々いいなと思った。

映像でも早くから露出していた「FINE」という曲も好きだし、収録されている曲は、どれも
穏やかで優しく暖かい。もっとも、個人的に一番、印象的だったのは、「Giving tree」という、
ちょっと影のある曲で、こういう試みもそっと挟み込みながら、全体として調和した美しい
アルバムになっている。フレンドリーなレコーディングだったのだろうなぁというのが伝わって
くるようだ。アイスランドのアーティスト、ムームの作曲による「US」という曲もまるで聖夜の音楽
のように美しかった。クリスマスに向けておすすめしたいアルバムです。



  FINE  原田知世



■eyja 原田知世  2009.10.21発売
プロデューサー : 伊藤ゴロー  
楽曲提供 : 細野晴臣 大貫妙子 ムーム ヴァルゲイル・シグルドソン いしわたり淳治 他
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# by kokoro-usasan | 2009-11-20 22:50 | 音楽 | Comments(1)

水と土と、人が織りなすもの。

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今年8月に思い立って新潟にでかけた際、信濃川沿いに不思議な竹の家を発見し、それが新潟市主催「水と土の芸術祭」出品のオブジェであることを知った。川べりのそのユニークな建物には、人が自由に入ることができ、暑い夏でも、その中に座っていると、川風が吹き抜けてとても気持ちよかったのを覚えている。ただ、芸術祭の会期が12月末までだと聞き、冬は、この吹き抜けの竹の家では、寒くて長居はできないだろうなと、余計なお節介のような心配をしたものだ。

今日の夕方、新聞でこんな記事を目にして、少し驚いた。冬になるのを待たずに、実は台風で倒壊していたというのだ。

■毎日新聞11月16日付夕刊「ひ・と・も・よ・う」より全文
 新潟市で開かれている「水と土の芸術祭」に展示中、台風で倒壊した台湾人作家、王文志さん(50)の作品「在水一方」(ウオーターフロント)が市民の協力で復活した。(=上記写真)竹を編んだドーム型のオブジェで、同市中央区の信濃川やすらぎ堤に建つ。芸術祭が開幕した7月に制作され、「バンブーハウス」の通称で市民に親しまれていた。しかし、10月8日の台風18号による強風で倒壊した。無残な姿に心を痛めた市民から「復元を」の声があがり、芸術祭を主催する市が再建を打診。10月22日に再来日した王さんは、市民ボランティア延べ約150人と作業を進め、30日にほぼ元の形に修復した。12月27日まで展示される。王さんとスタッフ7人の渡航・滞在費や材料費の一部は市民の寄付金によるもの。王さんは「台風で壊れたと聞いた時はショックでしたが、市民の皆さんのおかげで再建でき、感激しています」。水と土とともに生きてきた新潟市民の温かさをかみしめていた。(小川直樹)


新潟で出会ったかたたちの、気さくで飾らない人柄を思い出しながら、バンブーハウスが再建されたことを、束の間の旅人に過ぎなかった自分も嬉しく感じる。点と線が、場所だけでなく、記憶としても、時間を越えて繋がってゆくのを経験することは、ささやかだが、得難い心の励みになる。

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(2009年8月27日筆者撮影。
 バンブーハウスの中で涼む人たち。川風がとても心地よい。
 皆、裸足になって竹の質感を楽しんでいた。
 気持ちよすぎて、昼寝している人も・・・。)
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# by kokoro-usasan | 2009-11-16 21:04 | トピックス | Comments(1)

BEN

しばらく前にMichael Jacsonの「THIS IS IT」を観に行った。追悼というよりも、
彼の最後のステージがどんなものになるはずだったのかやはり観ておきたかったのだ。
それと同時に、エンタテインメントというものの苛酷さをしっかり心に刻んでおきたかった。
ファンの熱狂を生でその身に受けるということがどういうことなのか、
ステージ・パフォーマンスというものがどれほどのエネルギーを必要とするものなのか、
漫然とレコードやCDで、好みのものをチョイスし、熱狂とは遠い気ままな音楽の楽しみ方
をしてきたわたしは、ステージというものの魔力や感動に疎いところがあった。
今年に入ってから、ようやく、「ファンタジスタ」というテーマが、頭の引き出しに追加された
ばかりだったので、若干気持ちが浮き足だっていたのだが、Michaelの訃報は、むしろ、
テーマに対する冷静さを自分に促す働きをすることになった。

「THIS IS IT」。その映像の中の彼は、プロフェッショナルだった。生半可なところが
一切なかったと思う。それをサポートするスタッフ陣も、まさにプロフェッショナルだった。
「映画を観て、涙がこぼれた」という感想を多く聞いた。でも実のところ、わたしは、
じっと見入るばかりで(それはそれでひどく真剣なのだが)、エモーショナルなものに
大きく揺らぐことはなかった。プロだったのだな、天才だったのだな、と深く感心するの
だが、胸を熱くさせるもうひとつの要素が、どこか自分の中に見つからない。
最後のかけらがみつからないジグゾーパズルのような気持ちだった。

「観客にはここだけでしか得られない非日常性を存分に楽しんでもらいたい。
それが明日からの日々を生きてゆく励みになるように」
そう願ったMichael自身の、明日を生きてゆく励みはなんだったのだろう。

ジグゾーパズルの最後のピースは、思わぬところで見つけた。帰宅してから
聴いたこれだった。このとき、はじめて、わたしの心に何か熱いものが満ちた。

 Michael Jacson 「BEN」
 

歌手に限らず、人はその若い時期に、その後の人生を予感させるような何か驚くべき
出来事に出逢っているものかもしれない。或いは自分でそっと予言しているかもしれない。
このごろ、そんなふうに思うことが増えてきた。切ないことだ。だが、だからこそ持てる
希望もある。「ファンタジスタ」の引き出しはきっととても深い。
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# by kokoro-usasan | 2009-11-14 10:32 | 音楽 | Comments(1)

erotic man

知り合いでオーストラリア人のF氏が、たどたどしい日本語で、新しい言葉を覚えた
というので、聞いてみたら、それが「痴漢にご用心」だった。あまり日常会話で役に
立つとも思えないが、彼のささやかな日本語のボキャブラリーが増えたことは評価したい。

そういえば、英語で痴漢は何と言うのだろうかと思い、逆にF氏に質問したところ、F氏は
虚を突かれたような顔で、しばし考え、それから、ふたりの珍妙な問答が始まったのだが
それは、まぁ、いいとして、帰宅してから、その出来事を思い出し、一番近くにあった古い
辞書で、痴漢の英訳を調べてみたところ、そこには、なんと、erotic manとあったのだ。
不謹慎かもしれないが、ちょっと笑えた。

erotic man

妙に複雑な心境でもある。大袈裟に言えば、わたしの好きなミュージシャンなどは、
ある意味、erotic manな人たちばかりだからだ。そう言えるのは、エロティックという言葉が、
今の日本ではそれほど忌避すべき要素を含まなくなったせいだろうか。

ちなみに、最近の辞書でもう一度調べてみると、そこには、molester of womanとあった。
女性をしつこく悩ます者、という意味になる。

そうだよね・・・。
erotic manは、やっぱり、ないんじゃないかなぁ。それとも、むかしは、その言い方が普通
だったのだろうか・・・。
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# by kokoro-usasan | 2009-11-14 01:12 | ことば | Comments(1)

11月11日

1が4つも並んでいた。外は夜半から強い雨が続いていて、少し気が滅入ったけれど、今日、何かを始めたい気がした。夜、夕刊を開いたら、レヴィ=ストロースの追悼記事が目に入った。内田樹氏が執筆している。

 旅と探検家が嫌いな、旅する探検家。
 この自己矛盾をレヴィ=ストロースは手の切れるような論理性と アクロバティックな修辞術によって生き延びたのである。


このような感じでその追悼文は締めくくられていた。人は自分が自分であることの居心地の悪さをデフォルトとするような生き方をしている限り、それほど大きな破壊や愚行にはかかわらずにいられる、彼はおそらくそう考え、自ら「慢性の故郷喪失者」であることを選んだのではないかと解説する内田氏の言葉が頭の中を経巡る。

8年ほど前、柄にもなくパリに旅行した際、逗留していたアパルトマンのテレビにこの高齢な文化人類学者が討論会に参加している模様が映し出されていた。しばらく、古い番組の再放送でもしているのかと思いながら、漫然と眺めていたのだが、リアルタイムなものであることが分かって驚いた記憶がある。享年100歳ということだから、当時既に92歳だったはずだが、実にしっかりとしていた。

居心地の悪さをデフォルトとして生きる、という覚悟が自分にはあるだろうか。善人の顔をして大いなる悪事に加担することは、温かく甘い蜜の味だろう。それはしないと思い定めることが、わたしにはできるだろうか。

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                 (毎日新聞11月11日夕刊紙面)


というわけで、今日から、このブログを始めることにしました。愛想のないブログに
なってしまうと思いますが、よかったらおつきあいください。どうぞ宜しくお願いします。
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# by kokoro-usasan | 2009-11-11 12:28 | ごあいさつ


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