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あなたやま

くすっ。不破さん、たじたじで、なんだか、にた〜りと気持ちの緩む映像でした。
この女性はなかなかの「小悪魔」さんかもしれません。

わたしの場合、自分のほうが我を忘れて畑仕事してしまいそうで、怖いです・・・。






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by kokoro-usasan | 2017-01-29 18:55 | つぶやき

人形

e0182926_18215390.jpg知り合いのかたにお線香をお送りしようと思っていつも行くデパートに出かけたら、ギャラリーで中川ふさ子さんの人形展がちょうど始まったところだった。左の写真は一昨年の人形展のときにいただいた写真。中川さんのお人形は、貴重な古代裂を使われていて、お人形そのものの成型も、型ではなくきちんと一体一体、ご自分で作られているという。だから、本当に、一体一体が味わい深く、一言では言えない、しんみりとした思いを呼び起こす。どうして、「しんみり」するんだろう。敢えて言えば、自分が年月の中で失ってきてしまったものを、このお人形たちが静かに内に湛えていて、どうも、それにちょっぴり心が傷つくというか、傷つきながらも、畏れに似た気持ちで、その幼いかんばせを愛しく思い、長々と見とれるしかないのだった。あぁ、欲しいなぁと思う。思うけれど、わたしがこれを手元で愛でられる時間はそれほど長くはないだろうし、それをどなたかに差し上げる機会があるのかどうかも想像がつかない。それに、わたしには、父親が買ってくれた古い古い雛人形がある。そんなことを頭のなかでぐるぐる考えて、妙に気持ちが疲れてしまった。煩悩というやつだな。

今回の人形展には、雛人形だけではなく、中川さんの本業というか、ご自分の芸術表現としての人形作品もたくさん並んでいて、これは伝統的な雛人形とはまったく異なる独創的なお人形たちなのだが、これはこれで、趣深かった。多くがお年寄りをモデルにしたお人形たちなのだ。椅子にちょっと背をかがめて腰掛けたその風情が、それぞれなにか優しく語りかけてくる感じで、すてきだった。

人形を見つめ、人形に見つめられ、ほっと慰められる気持ちだったはずなのだけれど、家に帰ってきてから、そして、一晩寝て起きてみたら、わたしはなんだか寂しくて、ホームシックみたいな気持ちになっていた。

 「ひと」に、友に、愛する人に、会いたくなっていたのだ。





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by kokoro-usasan | 2017-01-27 18:57 | 日々

海人

海人というのは「うみんちゅ」ではなくて、kaijin、明石海人のことです。ふと思い立って、古書店から、彼の「白描」という歌集を取り寄せることにしました。1930年代の本なので、おそらくボロボロなのでしょう、くれぐれもその点をご了承ください、とお店のかたから連絡がありました。了解です。彼の歌は、岩波の文庫本でも読むことができるのですが、作者本人も生前に手にしたことだろう「白描」という本を、当時の体裁のまま触れることができるなら、また格別の感慨があるのではないかと、本の到着を待っているところです。


癩は天刑である
加はる笞(しもと)の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呷吟(しんぎん)しながら、
私は苦患(くげん)の闇をかき捜って一縷(いちる)の光を渇き求めた。

― 深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない ―
そう感じ得たのは病がすでに膏盲(こうこう)に入ってからであった。
齢(よわい)三十を超えて短歌を学び、
あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、
己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、
積年の苦渋をその一首一首に放射して時には流涕し時には抃舞(べんぶ)しながら、
肉身に生きる己れを祝福した。

人の世を脱(のが)れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、
明を失っては内にひらく青山白雲をも見た。
癩はまた天啓でもあった




「深海に生きる魚族のように・・・」の1行は何度読んでも、すごいと思います。


追記
思いがけず、すぐに手元に届きました。おそらく、海人はご存知でも、「白描」の本そのものはあまりご覧になる機会がないかと思いますので、ピンボケ写真で申し訳ありませんが、ここにご紹介します。

1939年改造社から出版されました。定価は壱圓四拾銭となっています。
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by kokoro-usasan | 2017-01-24 06:48 | ことば

雪待ち

e0182926_1404614.jpg今日は、雪待ち顏の灰色の空が街を冷え込ませている。きのう、少しばかり気の重い会議が無事終わり、今日は休日だったのだが、このどんよりした天気では、もう腹を決めて、どこにもいかず、「持ち帰りの仕事」をやらねばなるまい、と、来月必要になる仕事の書類を、自宅でこつこつ作り始めた。なんだかお腹がすいたなぁと思ったら、もう14時をまわっていたので、とりあえず、仕事はここまで。なにか、湯気の立つあったかいものが食べたいなぁ。

ふと、そうだ、わたしはほかにも別の頼まれ仕事があったっけなぁと思い出す。いや、もし、その仕事をわたしに頼んだひとが、ここを見ていたら、「あったっけなぁ・・・じゃないっすよ」とため息ついていそうだが(笑)。とにかく、あったかいものをお腹にいれてから、気分を変えて考えてみようと思う。本当に、雪が降ってきそうだ。



(続く)

「あったかいもの」を食べたら続きを書こうと思っていたのだが、食べたら集中の糸が切れてしまった。日が落ちる頃、夕飯の買い出しに出かけたら、ちらほらと細かな雪片が舞い始め、額や鼻先に冷たいものが付いた。よほどのことがないと、赤の他人の額や鼻先や頬に、わたしたちは触れない。触れられることもない。そんななか、ことわりもなく、まぶたや鼻先にくっついては溶けてゆく雪片の傍若無人ぶりに、わたしはなぜか、暖かい気持ちになったのだった。

今朝は快晴。風強し。
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by kokoro-usasan | 2017-01-20 14:21 | つぶやき

ロゴ入りジャンパー

新聞にこんな記事があった。

「保護なめんな」ジャンパーで受給世帯訪問
毎日新聞2017年1月17日 20時08分(最終更新 1月17日 23時49分)

生活保護受給者を支援する神奈川県小田原市生活支援課の歴代職員計64人が「保護なめんな」などとプリントしたジャンパーを自費で作製していたことが分かった。保護世帯の訪問時などに着ていたという。市は「不適切だった」として着用を禁止、17日に記者会見し、福祉健康部長や副部長、課長ら7人を厳重注意したと明らかにした。

 ジャンパーの胸には漢字の「悪」を描いたエンブレムがあり、ローマ字で「HOGO NAMENNA」(保護なめんな)と記されていた。背中には「不正を発見した場合は、追及し正しく指導する」「不正受給するような人はクズ」という趣旨の英語の文章が書かれていた。

 同課によると、2007年7月に窓口で職員3人が生活保護を打ち切られた男に切りつけられるなどした事件が発生。業務量も多く、職員のやる気が低下していたことから、気分を高揚させ、連帯感を高めようと当時の職員らが製作を始めた。現在は33人の在籍者のうち28人の職員が作っていた。冬に保護世帯を訪問する際、防寒着として着用するなどしていたという。

 加藤憲一市長は「理由はどうあれ、配慮を欠いた不適切な表現。市民に誤解を与えることのないよう指導を徹底したい」とのコメントを出した。【澤晴夫】


33名の在籍職員のうち5名はそのジャンパーを着用しないと決めたのだろう。わたしはその5名のかた、そしていや28名のかたとも、ひとりひとり個別に話を聞いてみたいものだなぁと思う。

つい先日、職務中に判断に困る事案が発生した。そもそも「判断」は、わたしの仕事のひとつでもあるので、なるべくすみやかに善い決断を下したいのだが、時々、どう処理すべきか躊躇することにつきあたる。もちろん、「時間」をかければ、少しは考えをまとめ、脳内でシュミレーションしてみる余裕もあるのだけれど、「今の今」で、打ってでなければならないこともある。

先日の事案は、「今の今」事案で、その際、わたしはやや不適切な判断をしたように思い、しばらく気に病んだ。上の新聞記事のような件とは、まったく話は別で、もっとのどかな話でもあるのだが、よくよく考えてみると、わたしの対応は、「なめんなよ」というロゴを背中に縫い付けたジャンパーを手に持って、相手の前に立っているような態度に近かったのではないかと思うのだ。もちろん、手に持ったジャンパーは、身に纏うことはなかったにせよ、それ相応の威力を発していたように思う。

事案は諍いにもならず、かといって、根本的な解決にもならず、ジャンパーの縫い取りをちらちらと盗み見るひとたちは、とりあえず、静かに話をまとめて帰っていった。

それは、問題に気づきながら、自分の責任でなにかをして失敗するのを恐れ、「知らなかったことにする」という仕事のしかたよりは、少しはマシであったかもしれないが、けして優れた対応ではなかった。ジャンパーを手に持った時点で、わたしはアウトだった。周囲のひとも、あるいは、わたしが応対したひとたちも、それほど、アウトな対応とは思わずに事はおさまったようなのだけれど、自分で自分が許せなかった。

ジャンパーを手にもったのは、わたしの精神の怠惰に他ならないからだ。少ない言葉で、相手に非を指摘したい。あなたの要求は独善的で、他のひとの権利を理不尽に侵害するものだと、ペナルティーをちらつかせて脅す。すこし大げさに言えば、そのような出来事だった。このような対応が絶対にいけないというわけではない。相手が本当に独善的で、考慮の余地があるのに、安易に他者の権利を侵害して自分に利する行為を平然と行おうとしているときなどは、やや強く、それを指摘することが必要なときもある。だが、今回の事案は、すこしだけ、相手にも「やむにやまれぬ事情」があったように見えた。

なにか事情がありそうなことが察せられていたが、相手もまた、「少ない言葉」でごり押ししたいために、人数を集めて「数」で勝とうとしているのが見て取れて、わたしはすこし、穏やかならざる気持ちになった。それで、「ジャンパー」を手にとってしまった。

相手にも問題があったが、わたしがあとで非常に落ち込んだのは、わたし自身の「会話力」の不足が、自分に「ジャンパー」を持たせたのだと自覚せざるを得なかったからだ。「会話力」というのは、「度量」といってもよいと思う。まずは相手の懐に飛び込んでゆく勇気といったらいいだろうか。ジャンパーを持った時点で、わたしは、彼らに、あなたがたの言い分は一切聞かない、と暗にしめしたに他ならない。

それから何日か立つのだが、他人が忘れているようなその日のほんの一コマが、どうもずっとわたしの心を苛んでいて、冒頭の新聞記事を見たときに、「なんて、ひどい。どういう神経か」と思いながら、ふと、動揺したのだ。自分の心の奥にも、「職業としての問答無用」に馴染んでいってしまう過ちの芽が潜んではいまいかと。人間らしい問題の解決を捨象してしまう怠惰と高慢を恐れる。




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by kokoro-usasan | 2017-01-18 11:55 | トピックス

長く生きるほどに

津端さんご夫妻のことは数年前から雑誌などで存じ上げていたのですが、その穏やかで質実な暮らしぶりを本にまとめられたときは、とても嬉しく拝読しました。今回、気になるドキュメンタリーをたくさん上映してくれているポレポレ東中野で、ご夫妻のドキュメンタリーが封切られるのを知り、いそいそと出かけてゆきました。普段は、それほどお客さんが入っていないように思える(失礼。タイミング的なものでしょうかね)ポレポレなので、今回も、上映時刻少し前に余裕で入場のつもりが、既に大入り。わたしよりもあとに来られた方のなかには、椅子席ではなく、「階段に座布団」席になってしまったかたもおられたようです。

以前、鎌倉の美術館で開催された建築家アントニン・レイモンドとノエミ夫妻の展覧会に行ったことがありますが、津端さんは、このレイモンドの影響を受けてらっしゃり、暮らしの設計(家や庭の造作だけでなく)に、それが色濃く現れています。あいにく、レイモンド夫妻については、建築的なことを知るのみで、その人となりについてはあまり知らないのですが、津端夫妻に関しては、興味深い記事や書籍で、一方的に親しみを覚えていたので、こうやって映像で拝見できるのは、とてもありがたく思います。そして、中身については、まだ上映中ですし、あまり語らずにおこうと思いますが、この映画のなかに挿入された、ファンタジーだけではない部分が、わたしには、なぜかとても心に残りました。

ひとの人生、ひとの心に分け入るということは、とても大変なことなのだなぁとあらためて考えさせられました。別にそういうことを示唆する場面が特別あったわけではないのですが、不思議ですね。お年寄りの暮らしに密着する映像には、どうしてだか、自分のなかの軽薄を戒めるなにかを深く感じさせられます。

長く生きるほどに美しくなってゆくということを、心密かに信じてみようか、と、そんな気持ちになる映画でした。たとえ、長くはない命だったとしても、そう密かに信じ、今日の自分を律することが可能ならば、そうしてみたいような気がするのです。


「人生フルーツ」予告編





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by kokoro-usasan | 2017-01-13 13:04 | 映画

やまざと

e0182926_8555625.jpg同僚が活けてくれた年始の生け花の中に梅の枝が一本添えられていて、小指の先ほどもない真珠のように小さな蕾がすでにほころんでいた。手前に大きな百合の花があしらわれていたので、その甘く濃厚な香りに隠れてしまうものの、近づいてみると、梅の花は、奥ゆかしくたおやかな香りに包まれており、あぁ、梅の花もいいなぁと思う。

1月9日の成人の日の晩、ややためらいながら、テレビでNHKスペシャルを見た。「それでも生きようとした」とタイトルにある通り、福島原発事故のあと、住む場所も、生きてゆくための生業も奪われてしまったひとたちが、「それでも生きよう」とし、しかし、心萎え、力尽きてしまった経緯をドキュメンタリーで辿っていた。時々見ようと思っていた番組を見逃してしまうので、今回は録画をセットしていたのだけれど、見逃すこともなくテレビの前に座りながら、逆に、録画を中断しようかとさえ思った。なんだか、ひとが力尽きてゆく様を録画で見直すなんて、残酷なことに思えたし、正直、心が辛かったのだ。そのまま録画は続けたが、見直す必要もないくらい、胸に重く食い込んだものがあり、そのまわりに、いまそっと手を当てて、どう受け止めようかと考えている。

番組を見ているあいだずっと、わたしの脳裏には、かつてある政治家が、原発を擁護するような意味合いで「原発事故で亡くなった人間はいない」と豪語した一件が経巡っていた。リトマス試験紙で何色が出るかで、酸性かアルカリ性かを判断できるような合理的治世は不可能であることを肝に命じておくのが政治家の奥行きだと思うのだが、彼女の発言には、その奥行きがなかった。しかし、この数年で、この奥行きのなさが、政策のすべてに垣間見えるようになりつつある。水質の悪い池で、鯉が水面にぱくぱくと丸く口を開けては、酸素を吸い込もうとしている様を思い出す。人間も、質の悪い言葉の浅瀬で、酸欠になって喘いでいる。

国家は「国」のためにあり、「国民」のためにあるのではない、という暗黙の真理を思う。「復興五輪」とは、なんぞや、とあらためて疑う。「カジノ」とはなんぞや、とあらためて眉をひそめる。富を持つものがさらに富を増やし、貧しいものが一抹の夢をかけながらすべてを失う構造は覆しようがないのか。むしろ、覆しようがないように、それが固定化するのを望むように、様々な縄が、かけられてゆく。様々な結び目で。ほどけそうで、ほどけない狡猾な結び目。贈り物のリボンと見まごうような縄すらあるだろう。


上の写真は、芭蕉の直筆を絵葉書にしたもので、この絵葉書そのものはきのう、友人に送ってしまったので、もう手元にない。ちょうどいい日和かなと思い、投函した。

 山里は 万歳遅し 梅の花   
  やまざとは まんざいおそし うめのはな

芭蕉が48歳のとき(1691)に伊賀上野で詠んだ句だという。万歳というのは、万歳三唱の万歳ではなくて、三河万歳のことで、お正月、街中を練り歩いて新年を寿いだ万歳の一座が、ひなびた山の麓の村にやってくるころには、もう梅の花がほころぶ時季になっているけれど、それもまたのどかで穏やかな鄙の春の景色に思えたのだろう。 今年はこの句がなぜか胸に沁みる。



「それでも、生きようと」しているたくさんのひとたちに、どうか、そのこころの痛切な願いがいつか叶うようにと祈ります。1日、また1日と、その願いを明日へ繋いでいってくれますように。辛いでしょうけれど、どうか、どうか、と。








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by kokoro-usasan | 2017-01-11 11:37 | 日々

レインボー戦隊

e0182926_1144046.jpg東京の三が日は、風もなく晴れて暖かく、静かな好いお正月だった。仕事始めのきのうは急に冷え込んで北風も冷たかったけれど、それが冬らしさかもしれず、気持ち良く深呼吸してみたりした。今年はありがたいことに年末年始恐怖症には感染しなかったようだ。

昨年の正月は「エレニの旅」「エレニの帰郷」とひたすら地味にアンゲロプロスの映画をDVDで鑑賞していたのだ。普段はまとまって時間がとれないので、ここぞとばかりにじっくり観たのだけど、だんだん、哀しくなってしまったのは、そんな映画のセレクトのせいだったかもしれない。人間の孤独というもの(ヨーロッパ的な)をいやというほど、アンゲロプロスは見つめさせる。しかも完結編を完成させずに彼は亡くなってしまった。

今年の正月は、手元にありながらまだ観ていない2本のDVDを観ようと思っていた。それはイ・チャンドンの「オアシス」と、新藤兼人の「竹山ひとり旅」だった。どうにも朗らかな気持ちにはなれそうにないラインナップであることを自覚していて、だから、結局、観ないまま、アップルパイなどせっせと焼いていた。シナモンとグラニュー糖とバターをたっぷり効かせた林檎は、家中をとても甘い香りにし、このごろ、すっかり食が細くなって、あれもこれも残してばかりの母が、パイを皿にのせて出すたびに、無心に完食してくれるのが有難かった。


今朝、縁あって、とても古いアニメの映像をyou tubeで見ていた。「ハリスの旋風(かぜ)」とか、「レインボー戦隊ロビン」とか、タイトルにうっすらと記憶がある。わたしの潜在意識というか、記憶の深層に、こうした漫画が眠っているのだろう。眺めていると、「どーなってるんだか」とおもわず苦笑してしまったりするのだけれど、最近の子供のアニメを知らないので、こうした古いアニメとの比較もできないけれど、わたしの頭のなかの、シリアスなのかナンセンスなのか、ギャグなのか、本気なのか、相乱れて謎を深めている部分は、こんなところからきているのじゃないかと、責任転嫁してみたりする。ラスベガスで休暇中のレインボー戦隊なんて、だめでしょう。とにかく、つっこみどころ、満載。笑





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by kokoro-usasan | 2017-01-06 13:41 | つぶやき

新年にあたって。

e0182926_15533455.jpgいつもわたしの机の上でわたしを見ているフクロウの香炉。インドのオリッサ州で作られたものらしいが、わたしの前の持ち主がこれを入手したのはヒマラヤの麓のマナリという場所だったという。足の指が一本欠けているのだが、それでも、しっかりと立っている。今年は酉年ということなので、フクロウも鳥類だからいいかしらと、年賀状に登場してもらった。年賀状をお出しできない読者のかたもいらっしゃるので、ここでもお披露目します。

わたしは古いものが好きで、100年も生きることのない人間の寿命のなかで、身近な道具たちとはなるべく長く付き合って行きたいと思う人間だ。わたしの寿命よりも長く生きられそうなものは、誰かの手に渡ってさらに長い歴史を生きてほしいし、わたしと一緒に朽ちてしまって、とても使えそうにないものは、わたしと一緒にお別れしてもらえればいいと思う。たとえば、このフクロウなどは、わたしの寿命を超えて、もっともっと時空を生き延びていってほしいと願うもののひとつだ。むしろ、こういうものを、次の人に手渡すために、所有しているのではないかと思える。モノのほうが、わたしを選んでやってきたのではないかと。

このことは、モノとのつきあいだけではなく、人間そのものが、人間の文化を時空を超えて「運ぶ」担い手なのだという感覚を呼び起こす。わたしは今何を運んでいるといえるだろうか、そして、わたしは、それを運び切れるだろうか。

年末の日記にわたしが書きとめたことをここで大きく端折って記録してみようと思う。それは未来を指し示すような内容ではなかったが、未来に向かう心構えといってもいいかもしれない。
  前に進もうとするとき、「困難」が、その道標になる。
そう、わたしは記した。困難こそが、今自分がしがみついている場所から外へ出させ、出会うべき人に会わせる道筋をつけてくれる。目の前に困難が待ち受けていたら、あぁ、またひとつの道が開けようとしているのだと思えばいい。困難が自分に教えようとしていることの、その只中に出てゆけばいい。そこに、きっと、会いたい人がいる。会うべきひと、会わねばならないひとがいる。それがたとえ、自分が夢見たような形ではなかったとしても、非常に消耗する厳しい邂逅であったとしても、それは自分の裁量を超えた意味を必ず持っていることを信じていればいい。困難が囁く言葉によく耳を澄まし、一時の感情に流されることなく、重い扉を開いてゆきたい。






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by kokoro-usasan | 2017-01-01 16:38 | ごあいさつ


閉じられていないもの


by kokoro-usasan

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