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2012年 02月 29日
2012年 02月 27日
スポーツクラブの幽霊会員だったのを、ついに退会しました。後半は幽霊でしたが、前半は暇に任せてよく通ったものです。 無思慮に背負い込んでいるものは、少しずつ、 やさしく、降ろしてゆくのがいいのかもしれません。 もうすぐ桃の節句。 みんなに穏やかな春が舞い降りますように。 2012年 02月 27日
![]() すきやきが食べたくなりました。 しこうして、 冷蔵庫に賞味期限の豆腐があったので、すきやき豆腐を作って食べました。 オトナって、こういうことができるようになるってことだと気づきました。 他愛ない話とばかりも言えないかもしれません。 2012年 02月 26日
![]() 今日二杯目の珈琲。 きっと 心という場所ではルサンチマンと魂は同居できないのだ。 短い2月がもうすぐ終る。どうして、2月だけが短いのかと聞かれ、さぁ、どうしてでしょうと苦笑した。古くは暦は3月から始まり、2月で終ったらしい。一年を365日、12ヶ月とするユリウス暦にしたとき、等分で割ろうとしても割り切れず、最後の月2月がちょっと割を食った。さらに、その後、8月生まれの皇帝が、自分の生まれた月が、30日なのが気に入らず、31日にした。それで、また2月が減ってしまったのだという。天体にも計算にも弱いわたしは、なるほど、という顔をしつつも、どこか上の空で、雨が降って、霜柱が消えた黒い土の間から、なにも言わないのに、チューリップが芽を出し始めていることのほうに驚くのだった。チューリップは別にカレンダーを確かめて出てきたわけでもなかろうに、と、感心してしまう。 2012年 02月 24日
山鳩がまた、巣づくりを始めた。 去年猫にみつかって逃げ出した巣の場所からは遠く離れた木犀の樹。 今朝、一階の窓を開けていたら、庭の枯草の中で、巣の材料になる枝を探していた。 ずっとさびしかったから、有り難かった。 このところ、呼吸が浅くなっていて、切ない。 とりあえず上澄みを装っていた水の底のほうから、思いがけず濁りが立ち上がってきて とうとう視界不明になってしまったもどかしさに身を締め付けられる。 どうしたらいいのだろうと考える。 自分で自分を嗤ってしまえれば、楽になれるのじゃないかと思っていた。 色々と不如意なこと、至らぬこと、人に言われる前に、自分で洒落のめしてしまえば、 もうそれ以上、人の話題にはならず、傷つかなくてすむのではないかと。 でも、自分で自分を嗤うことのほうが、 もしかしたら、もっと、人間を不如意にしてしまうのかもしれない。 そして、そのほうが、回復に時間がかかる。 自分から自分に出すその毒には容赦がないからだ。 最も、効きのいい毒なのだ。 そのことを深く理解して、自分を蘇生しなければいけない。 わたしがかつて、アランの「定義集」という本の中で一番美しいと思ったのは「魂(AME)」の章だった。 その章の最後で彼は言う。「偉大な魂」「卑小な魂」というものはない。人間に卑小なときがあるとすれば それは「魂が欠けた」状態なのであり、すなわち、この「魂」という美しい言葉は、断じて一つの存在を意味 するものではなく、いつも一つの尊い行為を意味している、と。 2012年 02月 23日
眠る犬のそばに寄り添い、その呼吸に合わせるように、あなたは静かにそれをスケッチする。 わたしには、そのあなたの眼差しが見えるような気がする。 深い愛と哀しみが見えるような気がする。けれど、けして、触れ得ない。 その眼差し、その瞳を抜き取って、ほら、この中にこんなふうに、とは説明し得ぬものが 心というものだから。 父が亡くなったとき、病院から戻り、冬の座敷に横たわる彼の傍らで、 わたしはその瞑目する横顔を一枚だけ描いた。深夜、描き直しなしの一回勝負。 しかし彼のその動かぬ表情は、とても明るく、生前の彼よりもむしろ優しく饒舌ですらあり わたしを励ました。一回限りの時間。 言葉にならない万感の思いで日付をいれ、祈るように鉛筆を措いた。 今朝、ひとりの朝食をとりながら、 人は何故、自分の姿を自分で見ることができないのだろうかと思った。 両眼を与えられてはいても、それは、永久に自分を映しえない。 そのように「創られた」意味を思った。 人間は小利口だから、鏡などというものを作り出し、一生を鏡の前で過ごすことも 可能になった。しかし、それは、バベルの塔と同じ過ちに近いのではないか。 もし、自分の姿を自分で常に意識することが生存の為にどうしても必要だったと したら、人間の目は、そのように進化しただろう。だが、実際はどうだろうか。 では、目はなんのためにあるのか。 春も近いとはいえ、まだ寒い雨の一日。 犬の具合が悪いのです、付き添っていたいのです、と連絡をくれた友の眼差しを思いながら、 予定のなくなった休日を、わたしもひとり過ごそう。 2012年 02月 22日
何年か前、左手の薬指に小さな小さな星砂のようなほくろができたとき、まるで指輪のようだなと思った。 神様からの指輪だと思った。一生消えない指輪を、神様が、わたしの左手の薬指にはめてくださったのだと。 電車の座席に座って、本を読むのにも飽きると、外の景色を眺めたり、前の座席にいる人をそっと見つめたりしながら、時々、自分の膝の上の左手に目がゆく。まるで、買ったばかりの指輪を確かめるように、わたしは、ちょこっと指をそらして手の甲を眺める。薬指の星砂を見る。それから、てのひらを裏返してみたり、横から見たり、暇を持て余した人のように、自分の手でしばらく遊ぶ。最後に、その星砂をもう一度見て、右手で撫ぜ、膝に戻す。そして、また、電車に揺られてゆく。 人と人の間に挟まれて、電車に揺られてゆく。 小さなわたしは、静かに、遠くに、運ばれてゆく。 2012年 02月 18日
「死は喪失ではなく死者となった他者との出会いでもある 」と昨日の夕刊の特集で中島岳志さんが語っていた。わたしは、この人を、いつも自分と同じくらいの歳のひとだと感じてしまう傾向があるのだけれど、実は10歳以上若い人なのだった。「中村屋のボース」も良かったし、彼が取材編集したボースの娘樋口哲子さんの「父 ボース」という本も、わたしは好きだ。世の中には自分と境遇の異なる「隣の人」を丁寧に見つめる目がないのに、社会を論じる「持って行きかた」ばかりが急先鋒な人も多いけれど、中島さんがよく新聞などの取材を受けて語る言葉は、いつも「ちょっと待って」という感じがあって、それが、わたしに老成した感じを印象づけるのかもしれない。写真を見れば、なるほどまだ若いのに。 誰かを死によって喪ったとき、わたしたちはまさに、その死によって、その人に「出会い直す」ことを始めるのかもしれない。生が虚妄の狂想曲であるというなら、死の先の五線譜をどう書き上げるかも、その人次第だ。この死に、既知の誰かが、或いは未知の誰かが、あらたに「出会い直す」のかもしれないと思えば、今に託すことも違ってくるだろう。 昨夜は雪が降った。温度計が指し示す気温よりも、手足の冷たさがより身に沁みるのは、空が雪で重たくなっているからだろうか。(そんなリクツがあるのかどうか知らないけれど)今朝は、雪かきから始めなければならないのかと思ったけれど、幸い、わずかに白いものが消え残るばかりで、快晴だった。 2012年 02月 15日
今の職場は、事務的な処理はすべてパソコンで行うのですが、来館者の為に、ホワイトボードに様々な予定を書きこむ作業は、いまだに手書きなのでした。まぁ、「本日のお品書き」のようなものです。職員が持ち回りで書きます。 わたしは、子どものころ、ひどくお転婆で、なんとか大人しくさせたいと思った母は、「お稽古」ごとをさせようと目論みました。母自身が多趣味で、毎日、どこかへ習い事に出かけている人だったので、この「野生児」にも、そういう習慣を植え付けようとも思ったのでしょう。有り難かったのは、「なにか、やりたいものある?」と訊いてくれたことでした。小学校2年生のときです。学校から帰ると、裏山探検に出かけるという、れっきとした「地球防衛任務」のあったわたしは、「やりたいこと」といってもなぁと戸惑いましたが、しばらく、「やりたいこと」「やりたいこと」と考えて、まわりの子に、「なにか、やってる?」と訊いた末、近所の「お習字教室」情報を入手し、母に、「お習字教室」と申告しました。母は、お転婆娘が、突然、「お習字」などと言ったので、驚いたと思います。「ほんとに、それでいいの?」とうろたえたに違いありません。 「じっとしてなきゃいけないのよ」と、逆に真顔で脅します。 で、もう細かいことは忘れてしまいましたが、母の脅しにもめげず、お習字道具一揃いを買ってもらい、「地球防衛任務」を週一日お休みしては、ちまちまと、墨をすり、半紙にほにゃら~と字を書くという新たな任務を授かりました。母は、「うちの子、なにしてます?だいじょうぶですか?」と何度も、先生に確認したようです。先生もいい加減呆れて、「お母さん、心配しすぎじゃないですか。静かにやってますよ」と、母がたしなめられているのを見たことがあります。 そうです、わたしは、禅僧のように、静寂の境地。墨は、とてもいい匂いだし、澄んだ水が、硯のなかで、黒々と練れてくる様は、すてきでした。くんくんくん。それに、筆。これが、なんとも、いい。「先生、これ、なんの毛?」「それは、たぬき」「たぬきー」「そう、たぬき。うさぎもあるわよ」「うさぎーー」「うさぎはね、もうすこし、うまくなってからね」「もうすこし、うまくなると、うさぎになるの?」「そう、うさぎになるというか、うさぎの毛にあった字が書けるようになるということよ」「いまは、たぬきなの」「そうね。たぬきね。でも、とても、上手になりましたよ。たぬきさんも喜んでるわ」などという会話に、なぜか、目がきらきらしてしまうのでした。 そんなわけで、地球防衛任務は、週三日もお休みすることになり、わたしは、足しげく、その「たぬきやうさぎ」のいる先生のところに通ったのでした。というのも、先生の家は裏山のすぐ脇にあったので、お習字の帰りに、裏山探検も続けられたのです。 それでも、小学5年のときに、相も変らぬお転婆がすぎて、右腕を骨折し、それが治るのにまた3ヶ月もかかり、ギブス生活に甘んじているうちに、どういうわけかお習字教室は辞めてしまったのでした。それは、地球防衛任務があまり楽しくなくなってきた時期と重なっていました。 考えてみると、たったの4年です。色気を出して、ピアノというのも習ってみたのですが、これは、非凡な不才能を発揮して、バイエルまでしか、進みませんでした。(バイエルに始まり、バイエルに終る。その稀有な不才能は、かのピアノ教師を、何度も激怒させたものです。そのとき出来た眉間の皺のせいで、先生の婚期が遅れてしまったのではないかと今も心配しています) さてと。月日はながれ。 職場で、よく、きれいな字を書かれますね、と褒めていただくと、わたしは、なんで、あのとき、自分が、「お習字教室」と、母に答えたのか、自分でも不思議で、子どもの「感覚」って、楽しいなぁ、そしてすてきだなぁって思います。うまくなりたいという欲もなにもなく、ただ、毎週、畳に座って墨を磨り、字を書くだけなのに、お転婆な子がそのときだけ、じっと静かにしていたのも不思議です。なにか、へんな知恵がついてから、「ピアノ」とも言ってみたけれど、それは、全然だめだった。そこも、面白い。 あなたは、どんな子どもでしたか。 2012年 02月 13日
新聞を時々切り抜くのですけれど、しばらくすると処分し、それでも、なんとなく残るのは、動物の写真だったりします。多分、2月8日に切り抜いた「オガサワラヒメミズナギドリ」の写真記事も、そんな一枚になるのではないかと思います。こんなに長ったらしい名前なのに、一度、読んで、すぐ覚えてしまったのです。物覚えの悪いわたしには珍しいことです。絶滅したとみられていたこのミズナギドリが、小笠原で発見されたのだそうです。この子の、人を信じていない目が、なんだかとてもいとおしくて、 その細い嘴で、ダンボールの囲いを激しく突いた痕もいじらしくて、 こんな目を、わたしは何度も見たことがあるようにも思えたのです。 自分をうつす鏡の中に。 < 前のページ次のページ >
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