カテゴリ:旅( 1 )

1Q86

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賞味期限を越えてゆくもの

今日のタイトル、村上春樹の小説のタイトルを「打ち間違った」わけではござらぬ。

そういえば、同僚のひとりは、「1Q84」が出たとき、「アイキュウ84」と言い続けていた。
知能の話だと思っていたようだ。そう言われて、こちらも最初、なんのことだが判らずに
聞き流していたが、ドウモチガウヨウダヨ、と耳打ちすると、日頃の威勢のよさが一瞬
にして消えうせて、しばらく、足元がふらふらしていた様子、気の毒だけど、ちょっと
可笑しかった。よほど、あちこちで、「アイキュウ84」と言ってしまっていたのだろう。
その後、その同僚、わたしの机の引出しに、既刊3冊を放り込んでくれた。「読めば?」
ということらしいのだが、まだ手付かず。

押し入れの茶封筒の中から、昭和61年に新潟を旅したときの切符だの、ホテルの
領収書だの、おみやげの包装紙だのが出てきた。新潟には昨年の夏、再訪を果た
した。驚いたことに、泊ったホテルのひとつが、昭和61年と昨年で、一軒隣のホテル
だったことが判ったのだが、61年の記憶はまったく抜け落ちている。
新潟市内でも一泊したらしい。そこには泊らず、海岸線を旅していたとばかり思って
いた。親不知子不知の海が見たかったのだ。
桜の頃だったが、弥彦神社の裏道をひとりで上ってゆくと、のぼるに従い、足元が
雪道にかわってゆき、弥彦山の送電塔の上方に広がる空はまだ晩冬のような薄水色
をしていた。

生前、常に戦争責任を問われつづけた皇居の奥の老人はまだ存命だった。
「昭和」という年号が変わるまで、あと3年は残っていたことになる。当時、父は、
わたしのこの旅が、「行方不明となる為の旅」になったとしても、それは行かせて
やらねばならない旅なのだから諦めろと母に言ったそうだ。養父母達のそんな
懸念は当たっておらず、わたしはただ、なにか清らかな思いで風景の中を泳いで
いただけだったのだが。子供が成人してゆくときにふと見せる、思いつめたような
表情が、その頃のわたしにも浮かんでいたのかもしれず、それを父は勘違いした
のだろうか。勘違いしたのは父だけではなかったらしく、弥彦山をのぼってゆく
わたしを自殺志願者かと心配して後ろから付いてきてくれていた方がいたのには
恐縮した。一体、わたしは、どんな顔をしていたというのだろう。

それは西暦でいうと1986年のことだ。おみやげに買った笹団子の賞味期限は
レトリックとしては当然切れているが、記憶としての賞味期限は、むしろ、まだ
これから始まるといってもいい。

1Q86だ。
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by kokoro-usasan | 2010-08-21 23:13 | | Comments(0)


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