カテゴリ:音楽( 68 )

夏の片隅で



日々の楽しいことを綴ろうと思っていた矢先、突如母の具合が悪くなり、あらためて、老齢の家族と暮らす綱渡りのような日々を考えました。「無事」を、1日1日重ねてゆける幸せを思う一方で、無事ではないことも確かに起こる、それが人間の一生としてけして避けては通れないものでもあることに、どこまで向き合えるか、受け入れられるかを自問自答する時間です。

母はおかげさまで命には別状なく済みましたが、今朝になって、「あ」と思い出したことがありました。それは、彼女が急に具合の悪くなる二日前の晩、夜ふけにひとりでぽつんと食卓の椅子に腰掛けてうな垂れていたときのことです。認知症のある彼女は、もともと、夜中にうろうろしていることが多いのですが、その晩は、気づいたわたしが「どうしたの?」と答えると、少し躊躇しながら、でも思いの外大きな声で、「さびしいの」と訴えたのでした。「さびしいの?」と、そのストレートな訴えをちょっと微笑ましく思いながら、「そうか、さびしいのかぁ。そういうこともあるよねぇ。どんなふうにさびしいの?」と聞き返すと、「なんだか、いろいろ、さびしいの。とっても、こわいきもちなの。なんかいやなきもちなの」とわたしの腕を掴んで、顔を埋めるようにしました。子供をあやすように、大丈夫よと抱きしめてあげたりしていたのですが、今思うと、人間にはなにか、そういう形で示される「予兆」というか、メッセージのようなものがあるのかもしれないと思ったりするのでした。本人すらあずかり知らぬかたちで。

もちろん、それは、あとからのこじつけにすぎないかもしれません。出来事と出来事をつなげて、そこに無理に因果関係を作り出しているとも言えます。ただ、たとえば劣悪な政治のように故意に姑息な因果関係を作り上げて、自分に都合のいいように利用するような場合を除いては、こうした「あとから思えば」という記憶は、人間の成長、成熟には大事な気づきを与えてくれるような気もします。ひとつの出来事を、どのように捉えるか、その意味合いは、それを考える人間の成熟の度合いによっても変化し、そこからなにを導きだすかは、その人間の生きる意味合いすら変えてゆくことでしょう。

とはいえ、わたしと母の場合は、それほど大仰なことでもなく、彼女の「さびしい」という訴えに、わたしは無力だと感じました。人ひとりが横に寄り添って癒えてゆく種類のものではないように思えたからです。彼女のそのさびしさは、人生の終わりに感じる、そういう種類のものであるように感じられます。わたし自身も、若くはなくなってきましたので、その種類のさびしさの一端はわかるような気がします。

老いや病いそのものはどうしようもないかもしれない。でも、この魂の奥で、それこそ夜ふけの食卓の椅子のようなところで、「さびしいの」と呟くそういうもの、実存とでもいえばいいのでしょうか、老いた母との暮らしで、わたしが言葉にもならず学んでいるのは、そういうものなのだろうと思っています。母に感謝します。

今朝、この冒頭の曲を聴いた時、それは、けして楽しくも、明るくもない曲なのですけれど、「悪くないなぁ」と思いました。こういう曲をたまには聴いて、殺伐とした社会で我知らずささくれだっている心を、ほんの少し、休ませてみるのもいいように感じます。何が起きているのか、何を知っているべきなのか、俯瞰すればどういうふうに見えるのか、老母と娘のささやかな日常のみならず、その先にある、あるいはそれを取り巻く歴史のうねりのなかで、何をどう守ればいいのか、美しい四季を愛でる幸せを、無残なものに奪い取られるようなことがないように心構えるには、今日1日の何を、おろそかにしてはいけないのか、魂の底に疼く「さびしくて」「不安で」「いやなきもち」の湧き上がってくる、そんな夜を越えてゆくための心の糧を見つめ直す夏です。


※冒頭の曲は、終わると自動的にすぐ次の曲に移ってしまいますので、ご注意ください。念のため。さらに、映像に全然季節感がないのは、ご容赦。幾分、涼しいきもちになれたでしょうか。笑




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by kokoro-usasan | 2016-08-07 09:28 | 音楽

BOTH SIDES NOW

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by kokoro-usasan | 2016-05-13 17:20 | 音楽

どうしたんだ、へへい、べいびぃ♫

うわぁ。この映像初めて見た。
あんなに含羞のある、それでいて、大きなものに屈しない心、見せてくれた人。


それにしても、清志郎に続き、小川銀次さんまで、この夏亡くなっていたこと知らなかった。58歳。平均寿命が80歳を越えているのは、戦前のかたたちだけで、核まみれ、食品汚染の戦後世代は、みんな、ばたばたと、60前後で亡くなり始めている。これ以上、他人の無恥強欲に翻弄されて死ぬ原因を増やしたくはない。

あは、また、ちょっと、肩凝ってきた?   はい、肩を回して、深呼吸。では、おやすみなさい。

うちの屋根裏、ぜったい、ハクビシン、いるな。とほほ。
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by kokoro-usasan | 2015-10-15 04:12 | 音楽

昭和歌謡

お別れもしないうちに夏が終わってしまったかのような冷たい雨続き。珈琲を淹れて、ぼんやり外を眺めています。

なんとはなしに、昭和歌謡をyou tubeで辿っていて、こんな映像を見つけました。子供の頃、相良直美さんの歌をよく耳にしました。たしか、いいところのお嬢さんだったかと思うのですが、そのせいか、とてもおっとりとしていて、中性的ともいえる独特な雰囲気のあるかたでした。この歌は、岩谷時子さんの作詞で、いずみたくさんの作曲だったようです。背徳的ともいえる歌詞なのに、どこにも媚びない孤独が漂っていて、惹きつけられます。(それしても、当時、小学生のあいだでも、この歌が流行っていたというのも、面白いです。「いいじゃないの、幸せならば」という歌詞を、宿題をやらない言い訳にしたりしてたわけなんですけれど。笑)

映像は、「番外編」というか、紅白の時の映像なので、この歌そのものをじっくり聴くには不足があるかもしれませんが、「九ちゃん」が映っていて、なんだか、ちょっと、胸が詰まります。今は、音楽って、歌唱力よりアレンジの力で勝負してくるところがありますが、ただ鼻歌を歌っているみたいなのに、それだけで、涙がこみあげてくるような歌を歌えるひとって、やはりとてもすてきです。


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by kokoro-usasan | 2015-09-01 11:00 | 音楽

ぶれっくあー。

e0182926_1362659.jpg休みの朝、
小雨が降っていて、
すぐに止んだ。

ので、
これは「草抜き日和」!!
と、朝から小一時間庭仕事。
45リットルの袋ふたつも、草が抜けました。
(というより、そんなに生えてたのかと、という話)

まったくもって80年代後半の華やかな音のするこのアレンジとメロディ。


ところで、先日紹介した「happy」の和訳が、だんだん今の日本の首相の「気持ち」を表現しているように思えてきて、ちょっと、ため息です。嘘だと思ったら、もう一度画面をフルスクリーンにして日本語詞を見ながらお聞きください。幸せはひとそれぞれだものねぇ・・・・。こんなこと言っちゃいけないんでしょうけど、ヒットラーだって、「あのとき」、幸せだったんだと思う。絶好調って思ったんだと思う。


権力の側に、歌を預けてはいけない。
権力のために歌を歌う時代はいつもろくなことがない。

歌は、「こっちがわ」になければいけない。
歌うのは、
どんなときも
こっちがわの人間でなければならないんだと思う。

だからこそ、
権力は、自由に歌を歌うものを恐れてきた。
自由に歌を歌うものから歌を取り上げてきた。

いつまでも
「こっちがわ」で
歌うことができますように。

歌が
「こっちがわ」のものでありますように。
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by kokoro-usasan | 2015-05-07 14:42 | 音楽

しゃんそん・じゃぽね

e0182926_21341138.jpgあら。
ながぁい影。



日もずいぶん長くなりましたね。

今日は「子供の日」。そしてもうじき「母の日」。昨夜、you tubeで、なんとなく「リリー・マルレーン」を聴いていたら、渡辺歌子さんや嵯峨美子さんという懐かしい名前に出会った。20代の頃、職場に渡辺歌子さんの歌が流れていたことがあって、日本人のシャンソンにまったく関心のないわたしだったのに、どういうわけか、涙がこぼれてしまったことがある。シャンソンを歌う女性って、一見、「女」という感じがむんむんしてるのに、どこかすごく捌けているというか、肝が据わっていて、包容力を感じさせる方が多い。そうでないと歌いこなせない歌詞がシャンソンなのかもしれないけれど。「大人の女」という感じかなぁ。

「子供の日」、嵯峨さんのこの歌を何度もリピートしていたわたしです。



こちらは、本場フランス人も大大大好きな・・・言わずとしれた・・・。円熟の極みというやつですね。若いころより、ずっと、すてきです。(季節感のないチョイスはご容赦!)

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by kokoro-usasan | 2015-05-05 22:09 | 音楽

largo

e0182926_11385841.jpgこのところ、ひとつだけ小さな蕾をつけて、
じっと時を待っていた薔薇。

きのう、きれいな揚羽蝶がやってきて
ひらひらとまわりを飛びながら、
「あなたはまだ開かないの?」
と話しかけているように見えた。

今朝、こんなに晴れやかに咲いていた。




そして、今日も、木洩れ陽がきれい・・・。オンブラマイフ。

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by kokoro-usasan | 2015-05-04 11:46 | 音楽

はつぴい。

e0182926_10525899.jpg木洩れ陽を
見てるのが、
すごく好き。

そんな自分を再発見。

木洩れ陽コレクター。
なんちゃって。






今朝、ネットで「あなたを音楽で表すと?」という占いみたいなのがあったので、ちょっと気になって、質問に答えていたら、わたしは、どうやら、この曲みたいな人間だということらしい。
わりと眉間にしわを寄せてる自分のセルフイメージがあるのに、占いでは、「あなたは、ねっからの楽天家」と出た。「あれ、ばれちゃった?」と思わなくもない。ちょっと笑える。(こういう企画が、曲を売るための戦略であったりするのも承知してるので、ねっからの楽天家というわけでもないとは思うのだけど。ふひひ)

むかし、「happy」という名の香水が発売になったときのことを思い出した。この曲を聴きながら、その軽やかに甘い香りが懐かしくなった。

天気がいいというだけでスキップしたくなる日もある。それが、最初の幸せ。つぎの幸せは、一緒にスキップしてくれる人がいること。次の幸せは、一緒にスキップしたことを覚えてくれている人がいること。最後の幸せは、それを自分も覚えていて、あのときはありがとって思えること。




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by kokoro-usasan | 2015-05-03 11:13 | 音楽

シェーナンドー

小学生の頃、帰国子女だった友人から、アメリカのレコードをもらった。歌詞はチンプンカンプンだったけれど、アン・マーグレットとか、ペリー・コモとか、これぞアメリカというラインナップのアルバムだった。そのなかに、歌詞なしの演奏で「シェーナンドー」という曲があり、わたしは、この曲が、そのアルバムのなかで一番好きだった。

なにか心にダメージを受けたとき、わたしは、古い古い曲を聴きたくなる。子供の頃に聴いた曲が聴きたくなる。今夜は、何を聴こうかな、と思い巡らしていたら、この曲が浮かんだ。you tubeで検索したら、今まで知らずにいた歌詞も遅ればせながら知ることができた。一説には、アメリカの原住民が、白人に居住区を追われ、強制移動させられてゆくときの思いを歌ったものなのだという。シェーナンドーとは川の名前で、住み慣れた大地と、その川を離れてゆかねばならない哀切さがメロディに込められている。(一般的には原住民の娘さんと白人男性の悲恋の歌として歌われています。)

ここでご紹介する「シェーナンドー」は北欧の歌手が歌っているせいか、アメリカの泥臭い感じが薄められて、川も、大河というよりは、渓流のような趣に聞こえるけれど、それでも、今夜はこれがいいかなと思った次第。そういえば、川をしばらく見ていないな。川が呼んでいるのかな。


追記
あとで見つけたのですが、このヴァージョンもいいですね。

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by kokoro-usasan | 2015-02-19 00:42 | 音楽 | Comments(0)

魂の風



Vientos Del Alma (魂の風)
           作詞 フェルナンド・バリエントス
           作曲 オスバルド・モンテス


わたしは夜だ 朝だ
わたしは火 暗闇の火
わたしはパチャママ(大地の母) おまえの真実
わたしは歌声 自由の風

魂の風たち 炎に包まれて
渓谷の声たちがひびく
わたしは千の色合いをもつ大地を運んできた
花咲きほこる小枝のように
わたしは夜露をふくんだ月を運んできた
わたしは音のある言葉を運んできた
そしてお前の運命の光を

わたしは夜だ 朝だ
わたしは炎 暗闇の炎
わたしはパチャママ おまえの真実
わたしは歌声 自由の風
わたしは空だ 無限の広がり
わたしは大地 永遠の母
わたしはパチャママ おまえの真実
わたしは歌声 自由の風

きょう わたしは歌の中に おまえの道へ帰ってゆく
つむじ風のこだまを呼び寄せながら
わたしは愛の足跡を運んできた
古い民族と赤銅の顔
わたしは夜露をふくんだ月を運んできた
わたしは音のある言葉を運んできた
そしてお前の運命の光を

(訳詞 高場将美 CD「目覚めのとき」(メルセデス・ソーサ)より)


a)
アフリカと南米での生活から帰国された旦敬介さんが、日本に戻って最も痛感したのは、「情報量の多さ」だったという。知らなくてもいい情報があふれ、知っていなければならない情報にたどり着けない。そんなめまいのするような感覚は、アフリカや南米で暮したことのないわたしでも日々感じる。

それでも、その煩わしい感覚というのは、押し寄せてくる情報のほとんどが、営利を当てこんだものばかりであることにも一因があるのだろうと思う。欲しくもないものを、買えと言われ、欲しくなるように、そそのかされもする。同じものを買わないと、友情も人間関係も損なわれるのだと脅される。しかし、情報量という点でいえば、この大地ほど、情報量の宝庫であるものはないのであり、それらは、わたしたちが発信する情報のようなあざとさがないために、わたしたちは、そのことで神経症に陥ることはない。むしろ、こちらが気づきさえすれば、彼等は常にわたしたちに対し、生きるための情報(ヒント)を開示するのだ。

b)
「アベノミクスの成果によって我国は蘇った、わたしは改革を恐れない」という「独善」も連呼すれば、もっともらしく聞こえてくるものだろうか。おおむね、EUにおける我国の首相への評価はさっぱりだというのに、テレビの映像はあたかも、OEDCの席で彼がイニシアチブをとって喝采でも浴びているかのようなショットだ。それは、そういう切り取り方をしたというよりも、場の空気などまるでおかまいなしのノーテンキな演説を我国の首相がぶちあげているということなのだろう。だが、そのノーテンキは確信犯であることも否定できない。まるで、それ自体が、本人によるスタンダップ・コメディのようでもあるが、だからといって、わたしは、もう笑って見過ごすような気持ちにはなれない。本気で怖い。ぞっとするものがある。彼の言葉は、切っても血が出ない類のもので、同じところから、すぐにクローンが再生してゆくような、そういうとめどなさを感じる。笑顔もジョークもすべては、明日の復讐のためにある。そういう人間に感じるだろう恐怖と似ている。

c)
くすっ。実のところ、わたしのロートル・パソコンは、ただいま、部分的に文字化け中で、復旧がうまくゆかないままなのだが、おそるおそる更新している。別に更新しなくてもいいように思い始めているのだけれど、メルセデス・ソーサのCDを聴いていたら、自分のブログにこの歌を貼り付けておきたくなった、という次第。貼り付けていたら、メルセデスの力強い歌声に引きずられて、要らぬ文章を綴ってしまった。
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by kokoro-usasan | 2014-05-06 23:10 | 音楽 | Comments(0)


閉じられていないもの


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