カテゴリ:幕間( 14 )

僕が倒れたなら

わざわざこのタイミングでどうなのかと思いもするけれど・・・。

仕事でAAやダルクのかたに接することも多い。何年も前、普通に穏やかに挨拶しただけだったのに、笑顔が嬉しいと泣き出してしまったAAのかたがいた。ありがとう、ありがとうと、何度もおっしゃった。後日、同じAAに属するかたから、「彼は脱退した」と伝えられた。クリスマスも近くなって、離れて暮らしている家族とやり直したいと、思い切って訪ねていった際、もはやそれは無理なのだと思い知らされる出来事があったらしい。そこで、ずっと断っていたアルコールにまた手を出してしまい、そのまま入水したのだという。幸い命は助かった。「弱かったのよ、まだ」

ほとんど問わず語りにそう教えてくれたひとに、わたしは、饒舌すぎるようないたたまれなさを感じ、かすかな憎しみのようなものさえ覚えたけれど、何年もたって、あらためて、ここでそのことを話そうとする自分にも、そのひとに似た軽薄さがあるだろうか。

いや、上の話は、後付けだ。

今朝、なんとはなしに聴いたこの歌の歌詞に触れ、わたしはただ、次々と現れては、倒れ、現れては、倒れ、手渡されてゆく人間のバトンとはどのようなものなのか、考えていたのだ。

「僕が倒れたら」・・・と。

わたしは、なにを託して、倒れてゆこうか、と。







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by kokoro-usasan | 2016-12-20 10:11 | 幕間

そういうことだ

e0182926_13425727.jpg前回随分面倒臭いことを書いてしまったが(辛気臭くてすみません)、もともとはそんなことを書くつもりではなくて、先日、仕事に大穴を開けたとき、なぜか、急に肩の荷が下りて、奇妙な解放感を感じたということについて書こうとしていたのだ。仕事一筋で行こうなんて肩肘張って思ってきたのに、大事な日に、母の付き添いで、救急病院の待合室に座っていた自分が、なんだか、「お気の毒(喜劇編)」な感じで、深刻さよりも、「あら、えっさっさー」みたいな、能天気な領域まで、現状認識が上昇してしまったらしいのだった。そして、それは、同僚には申し訳ないが、わたしにとっては、実に良いことだったような気がする。

さらに、動けない母を抱えて、これからどうする、というとんがった局面なのに、医師が「なに?」なんて、こちらが、ぽかんとしてしまうほど、すっとぼけた対応をしたことも、その「あら、えっさっさー」なぶち破り感を、一層高めてくれたようだった、

そのタイミングで、友人からの長い手紙が届いたことは、これはもう、「そうだ!そういうことだ」という話なのだなと思った。だから、わたしは、これからの自分に期待している。ものすごく期待しよう。結果がどうだって、それさえも、あらえっさっさーだと思う。素敵だ。



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by kokoro-usasan | 2016-11-04 14:48 | 幕間

秋桜

e0182926_18243315.jpgずいぶんと不器用だった。なにかとなにかを両立させるということができなくて、いろんなものを棒にふった。いつも、手放したもののほうが、自分にとって大事なものだった。自分を信じていなかったから、自分が大事に思うものを選ばないようにした。自分は野放図で、もし自分の思い通りに生きたなら、人生がめちゃめちゃになってしまうような気がしていたし、大切なひとをそれに巻き込むこともけしてしてはならないと思った。自分が怖かった。エキセントリックになるくらいだったら、脳のどこかを失ってしまったひとのように、虚ろに生きたほうがいいのだと思った。きっと、それが真実だ。「自分がどこの誰だかわからない」という感覚には、そういう不安がつきまとったのだ。いつか発狂してしまうような気がしていた。

でも、もう人生の大半を伏目がちにすごしたのだから、これから発狂しても、そのくらいは多めに見てもらおうという気がしてきた。ゆっくりと目が開かれてゆく。そういえば、わたしの記憶に残る最初の花はコスモスなのだった。たくさんのコスモスが日の光を浴びながら揺れていた。


友の63頁にわたる手紙がわたしをそういう気持ちにさせてくれた。もう四半世紀の間、あなたのこの手紙を待っていたのだけれど、誰かが約束を果たしてくれる、というそうした幸せをわたしは知らなすぎていて、それが、自分で自分を見くびる要因にもなっていた。約束を果たしてくれたひとがいたのだから、わたしはもう自分を見くびることはできないのだ。





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by kokoro-usasan | 2016-11-03 22:00 | 幕間

癇癪玉

e0182926_10345857.jpg
  Wolfgang Stiller作品

前回、「つぶやきたい欲求」にかられて、休日をパソコンの前で延々過ごしていた。本当は、ほんのひとことのセンテンスを脈絡なくアップしてゆくことに興味を抱いていた。なんでも、起承転結が気になってしまう自分の、きつきつの固結びのようなものを、ほどきっぱなしにしてみたい。そう願っていたのに、いやはや慣性の法則というか、宿痾というか、「小粋」なつぶやきには程遠いものとなり、ぶんぶん固結びを振り回して、居直りというか、ふんぞりかえって終わった。

このところ「漱石」という2文字に胸のうちのなにかが反応するのは、漱石の文学に反応しているのではなく、漱石の「神経質」に反応しているようなのだ。「夢十夜」を書き上げるにいたる、彼の持ち前のナーバスさ。なにかにひたすら我慢している。癇癪持ち。

例のドラマを見ていたら、ありったけの衣装を着せて身動きとれなくさせている自分自身の「癇癪玉」のようなものが、小刻みに震えだすのを感じた。いい大人なのだから、折り合いをつけて、良き隣人でいようではないかとなだめる。本当はそれは、癇癪玉というよりは、命の玉なのかもしれないのだが、割れたあとに出てくるものを、本人が恐れている。だから、厚着をさせて押入れにしまっている。

だが、漱石が、創作という発露を得たのは、確かに癇癪玉の導きだったような気がしなくもない。

ところで、きょう、冒頭の写真に出会い、このぎょっとする作品に目を奪われた。世界には、燃えている炎を描写したいひともあれば、この炭化した残骸に無言のメッセージを込めたいひともいるのだと思った。

人によっては目をそむけたくなるかもしれないけれど、わたしはこの作品がなんだか好きだ。節くれだった指の、大きくて乾いた感触の手のひらのように、わたしの心をなだめてくれる。わたしの胸の内の癇癪玉も、これ面白いね、と言う。そうだね、と、わたしも癇癪玉に告げる。


今年、東京は雨の多い秋になった。きょうは快晴で嬉しい。洗濯物をたくさん干した。






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by kokoro-usasan | 2016-10-12 10:34 | 幕間

6月 または、 閉じられていないもの、について。

どのようなご縁かわかりませんが、このブログをお知りになって、その後も暖かい気持ちで読んでくださっている未知のかたがいらっしゃること、しみじみとありがたく思います。ここでそう書くのも唐突なことなのですが、ここで書くのが一番その気持ちをお伝えできるのではと思いました。本当にどうもありがとうございます。

先日、思うところあって、過去の記事を一旦非公開設定にしました。何か困ったことが起きたわけではなく、古い記事を全部引きずりながら歩くことが、自分自身を縛っているような気がしてきたからでした。「とりあえず、こんな感じ」というところに自分を納めて、そこから出ようとしなくなってゆくことにも虚しさを覚えました。それは、わたしにとって心底淋しいことでした。

このブログを始めるとき、サブタイトルのようなものが必要だったため、わたしは、いろいろ考えて「閉じられていないもの」と書き込みました。それは、自己の閉鎖性への自戒でもありましたが、その言葉が本当に意味しているものは、実は、「自由」ということだったのです。

ただ「自由」という言葉はあまりに使い回されている為、「やりたいことをやる」「生きたいように生きる」という処世的な意味での「自由」と捉えられてしまうと、すこし心外だったので、もう少し思念的な表現にしてみたのでした。

ひとは、平和を閉じたところに見出しがちです。閉じるということ、閉じることができるということは、閉鎖的という負の要素より、意外に、幸せな時間や関係性を約束してくれたりします。同じ価値観、同じ人種、同じ宗教、それらは絶え間なく「閉じる」きっかけを求めています。

わたしは子供の頃から、それがたとえ幸せそうなものに見えても、この「閉じてゆく」光景というものが苦手でした。ところが、閉じた空間に組み込まれたくないがために、自分を他者に対して閉じてしまう、という矛盾に満ちた感覚にとらわれることも再三なのでした。それはとても不自由な感覚です。

長くブログを書くという行為のなかにも、そうした危険が潜んでいて、継続しているのだから、「閉じて」はいないけれど、本当に「閉じて」いないのかと言えば、さて、どうだろう。

近くまた、以前と同じような内容で書き始めることになるのでしょうけれど、ときどき、こうやって、立ち止まっている時間がわたしには必要のようです。


ところで、しばらく何も書かないことにしてみたら、思いがけず、音楽がわたしの暮らしに戻ってきました。洋の東西、ジャンルを問わず、なにかに、シンと耳を傾けている時間、わたしは好きです。


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by kokoro-usasan | 2016-06-02 15:45 | 幕間

no title

「世界平和」のために病院を「誤爆」する「戦争」


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by kokoro-usasan | 2016-05-03 23:23 | 幕間

位相

e0182926_12171835.jpg珍しく小説を読んでいる。先日読んだのは、イアン・マキューアンの「アムステルダム」

自分の中にやや毛色の違う時間が流れ始めていて、別宅とでもいおうか、ここしばらく、そこに逗留している感じだ。

様々な想念が、その人間のなかで固有に持つ時間の流れがあるように思う。あることに関しては速やかな判断を下せるが、別のあることに関しては、かなりの時間寝かせておく必要性を感じることもある。その時間のかけ方は、非常に個人的なものではないだろうか。確かに人生は短いかもしれないが、コアな部分に関わることについては、このそれぞれの時間の位相を、やみくもにまとめてしまえるものではない。

たとえば、
「間に合わなかった」 
それもありなのではないか。

人間すべてが、過不足なく「間に合う」歴史などありようはずもなく、99人は間に合わず、たったひとり、もしくは、その場では全滅であったとしても、あるとき、突然「間に合う」者が現れる。もし、神がいるならば、その全能の力で、「間に合う」者をひとり創造すればいいだけの話なのに、「間に合わない」者を、その何億万倍も創造するということに、「間に合わない」ことの意味を予感させるのだ。

あるいは、「間に合わなかった」人生のその折々に、どれだけの「間に合った」瞬間が存していたかに気づくことで、そこから得られるものを、よくよく受けとめ直してみてはどうだろうか、ということも思う。

昨日は粉雪のちらつく中、昔の同僚とふたり、駅前の小さな喫茶店でくつろいだ時間を過ごした。正しくは、昔の同僚と3人、かな。なぜなら、喫茶店のマスターも、実は昔の同僚だったからだ。わたしたち3人がかつて在籍していた組織はそれなりに盤石な組織だったはずなのだが、いよいよ、屋号だけのこして、経営母体は消えるらしい。苦労に満ちた職場だったのだが、思い出を語るわたしたちは、その仕事を楽しんでいたとしか思えない笑い声であふれ、それが財産であることをお互いに確認しあう。
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by kokoro-usasan | 2016-02-16 13:07 | 幕間

ずっと夢を見て、安心してた。

このひとにしかできなかったこと。

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by kokoro-usasan | 2015-11-07 21:16 | 幕間

選挙のとき、「消去法」で投票するということではなく、同じ諦めならば、もう少し進めて、「どういう議会政治になってほしいか」という期待にそった投票をするくらいに、有権者も育たなければならないんだと思う。一党独裁のような形を、われわれは好むのか。

今、憂慮されているのは、どこの党がいい悪いだけではなく、政策が議論によって深まらず、合意形成という大事な「試練」を経ずに、空手形のようなものがどんどん発行されそうになっているということなのだろう。拮抗する勢力を持たずに政治を行うということは、その政権与党そのものを、ある意味弱体化させてしまうのではないか。若手の克己心を奪い、誠実さを損なわせるとともに、しなやかな知性の筋力を劣化させてしまう。今、野党はもちろんだが、与党こそが、自分たちの劣化を心底恐れなければならないと思う。

自分が独立して築いた叩き上げの人脈を持っている人間と、後ろ盾が持つ人脈をうまく利用して現在の地位を得た人間では、苦労の質が違う。前者にとって自分の人脈から「捨て駒」を出すことは断腸の思いであろうが、後者にとっては、爪でも切るほどのものに思えることも少なくないだろう。だが、爪ほどのものであれ、際限なく深爪を続けられるものではない。やがて彼は爪はおろか指をも切り始めるだろう。このような痴態を見せられるのは、傍目にも実に不愉快であるし、なるほど、この政権における、国家の安全保障とは、「どの爪をまず切るか」という目で、国民を睥睨するからくりでもあるように思えてくる。
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by kokoro-usasan | 2015-06-29 15:47 | 幕間

父の釣り

e0182926_1056354.jpg養父は釣りの好きな人だった。

幼い頃の記憶のなかに、父と釣りに出かけた思い出は何度かあるのだが、父が釣りあげた魚は見たことがないような気がする。それは釣堀であったり、海釣りであったりした。どちらにしても、わたしにとってそれは、「釣り行き」ではなく、単なる「おでかけ」だったので、釣り棹を握ってじっとしている父にさして興味を持たなかったのだろうと思う。また、父も、「子供に釣りを教える」ことになんの関心もなかったにちがいない。わたしは、父が「ひとりになっている」時間、勝手に周辺を探索することに専念していた。

あまりきれいな話ではないが、たとえば、わたしは、釣堀にある公衆便所に「探検家」としての勇気を振り絞っていた。なぜなら、その男性用小便器の底には、無数の蛆がうごめいていたからだ。(当時は、釣堀に、女性用トイレなんてなかったと思う。今は?)わたしが始めて覚えた「虫」の名は、「モンシロチョウ」か。「ウジ」か。そのくらい初期の思い出だ。
「このうごめくものはなにか。なぜ、うごめいているのか。うごめいてどうなるというのか」
釣りを切り上げて釣堀の出口に向かう父の手をひっぱって公衆便所に連れてゆき、「ねぇねぇ、これ、なに?」と聞く。父は、息子ならまだしも娘に、「ウジ」を指差されて、ぞっとしたのだろう、「ウジだよ」と答えると、わたしの首根っこをつまむようにして、その場を離れさせた。おそらく、その日、帰宅したわたしは、ひとしきり、母に「ウジ」の話をし嫌がられたに違いない。

またあるときは、海釣りに連れてゆかれたのはいいが、遠くへ行かないようにと、犬のように紐につながれて、岩場に放置された。浮き袋を持って、岩場の下の浅い潮溜まりに浸かっていたら、当時の海洋汚染のせいで、身体中にコールタールがくっついて取れなくなった。宿屋でわたしと父の帰りを待っていた母は、水着の娘がまだらな子牛のようになっているのを見て、また憤慨することとなる。「いったい、あなたは、娘をこんなにして、なにをしてたんですか!?」というわけだ。楽しく釣りをしてたわけでありますがね。

こんな父だが、一度、浜辺から見える位置にある小さな岩礁に船にのって向かったことがある。わたしと母は浜辺で海水浴ということだったのだが、母は海が嫌いな人なので、そんな母と一緒に浜辺にいても楽しめるわけはなく、わたしは、こっそり父のいる岩礁にひとりで向かう決心をした。船などないので、浮き袋で浜辺から沖へ進んでいった。岩礁は肉眼で見えるので、そこまで行けばいいのだと思った。小学校2年生くらいだっただろう。なんの不安もなく「浮き袋」は海面を漂いながら岩礁へ進む。ときどき、波がきて、うしろに戻ってしまうが、引き波もあるので結構すいすい進む。もうすこしで、岩礁だと思ったら、釣り客を乗せた船が脇を通り抜けようとした。船主は、わたしを見て、「嬢ちゃん、なにしてるんだ!」と叫んだ。「おとうさんに会いにゆくの」と答えた。「おとうさんはどこにいるんだ」「あそこの島」そんな馬鹿なとオヤジさんは思ったのだろう。わたしは、船に引き上げられて、そのまま、「念願叶って」岩礁に届けてもらえた。釣りをしている父が見えた。「おとうさーーん」と呼ぶ。あのときの父の顔・・・。船のオヤジさんが、父に事情を説明したらしい。「おとうさん、おとうさん!」と父のもとに駆け寄ったら、いきなり、父にゲンコツで殴られた。からだごとすっ飛ぶくらいのゲンコツだった。閻魔大王のような顔の父がいた。「浮き袋を使わなかったら25メートルしか泳げないやつが、なんで、こんなとこまでやってきた? 浮き袋の空気を抜いてやろうか。ほら、今すぐ空気を抜け、それを持って泳いでまたひとりで浜辺に帰れ!!すぐに行け!」恐ろしい剣幕で、浮き袋の空気が抜かれ、父は、わたしを海水に落とした。船のオヤジさんが、そこまでしなくても、という顔をしていたのを覚えている。父に褒めてもらえると思っていたわたしは青ざめて返す言葉もなかった。わんわん泣いた。

だが結局、父はそこで釣りをやめて、私と一緒に船に乗り、浜辺に戻った。船の上で、わたしと父は一言も言葉を発しなかった。不思議なのだが、船の上で、父は黙って泣いていたような気がする。その横顔が胸にしみた。船を降りたところで、「おとうさん、ごめんなさい」と言った。船のオヤジさんが、「うん、そうだな」という顔でわたしを見た。

この日はきっと母のほうが、父に「何をしていたのか」と言われたのかもしれない。だが、もうそのあたりの記憶はまったく思い出せない。

あと30年もすれば(いやもっと少ない?20年?10年?5年?明日?)亡父だけでなく、母も私もこの世にいないだろう。思い出も消える。

(写真は文とは関係ありません。)
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by kokoro-usasan | 2015-05-11 11:57 | 幕間


閉じられていないもの


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