カテゴリ:演劇( 4 )

御代は見てのおかえりに

明日から仕事。母を風呂に入れる。

きのう、入れてあげる予定だったのだが、Nさんのブログで「さすらい姉妹」のお芝居のことを知って、急に上野まで足を運んでみる気になった。折角の正月休み、どこかに行こうかなと思いつつ、母もいることで遠出もできず、やっぱり、家で過ごそうと諦めていたのだけれど。諦めるといっても、心にコレは、というものがなかっただけで、無理に自分を誘導してもなぁ・・・と思っていたのだ。ところが、「さすらい姉妹」の記事を読んだとき、何も迷わず、コレにゆこう、と心が即決したのは面白かった。やはり、「酒の子」のご主人の言葉は当たっているのかなと思った。

「酒の子」というのは墓参りの途中にある酒饅頭のお店で、小豆と、味噌の二種類の饅頭しか置いていない。しかも、ショーケースなどなく、ただ、白い暖簾をくぐった玄関先で呼び鈴を鳴らし、味噌みっつ、小豆ふたつ、とか告げるだけだ。そうすると、紙に包んで奥の調理場から持ってきてくれる。わたしはその商売ッ気のない簡潔さがちょっと気にいっていて、時々立ち寄る。先日も墓参りの帰りに寄った。そのとき、実は、くだんの二種類のお饅頭のほかに一つ試作品のようなものが紹介されており、わたしは、少し迷ったのだ。ドウシヨウカナ。すると、それを感じ取ったご主人が、「これは、自分の場合なんだけど」と前置きしたうえで、「迷ったときはやめる」と言った。そんなネガティブなことでいいのか、という気も一瞬して、ハッとご主人を見返すと、ご主人は、さらに言った。「人間って、迷わない瞬間があるんですよ。そのときに動けばいい。そのときに動けば失敗しても後悔しない。」「迷わないとき?」とわたしは聞き返した。「そう、迷わないときに動く」「じゃ、きょうは、それ買わない」わたしが言うと、ご主人は笑って、「はい、それ、正解。いいよ、食べてみたくなったときに買ってちょうだい」と言って、いつもの小豆と味噌を包んでくれた。

自分の人生を振り返ってみても、おかしなことはいくらでもある。それは阿呆でしょう、というようなことをよくよくわかったうえで、それでもそれでいいと迷わずに行っていることもあれば、ふつうならそうするべきだと、これもまたよくよくわかったうえで、迷いがふっきれず、みすみす好機を逃がすこともある。でも、きっと、そんな「好機」など、わたしは欲していないということなのかもしれない。そんな好機を段取りどおりに掴むことで、自分が自分らしくない方向に「進まされて」いってしまうことも多いからだ。それを仕方なく「ステップアップしたわ」ということにして、自分を納得させるときもあった。どっちも経験するに越したことはないのだろうな。どちらも学ぶことは多いから。でも、これからは・・・と、わたしは考えてみる。「酒の子」のご主人が教えてくれたように、迷っているような事柄には無理に答えを出さず、「迷わない」(つまり、これは直観というやつだと思う)に従ってみると、段々、自分の輪郭のはっきりした人間になってゆくんじゃないかって。

「さすらい姉妹」はやはり思い切ってでかけてみてよかったです。
紹介してくださったNさんが引用していた、この劇中のセリフをわたしも転載させてもらっていいでしょうか。こういうセリフが、紙面ではなく、生身の人間の唇から吐き出される様をわたしは見てみたかったのです。そのひとが、どんなふうにそれを叫ぶのか、唸るのか、黙るのか、見てみたかった。そして、自分だったら?と考えてみたかった。今年は、こういう経験をもっとしてみたいと思うのです。

  ねえ。震える夜に友達もいず、護ってくれるひともいない遠い宇宙の誰かさん。
  あっしの声が聞こえるかい?
  ひとりでいることに耐え切れず誰かを呼ぶのが人間なら
  あっしらは夜から夜へ流れていく化外の群れさ。
  人間にもなれず神にもならず
  鬱蒼とした森のけもの道を踏みしめて歩く北斗の星さ。
  それでもときどき心が痛いよ。
  嘘つきばかりのものまね鳥があっしの耳をまどわせる。
  ねぇ。
  暗黒の柩に閉じ込められたまだ見ぬ星の誰かさん。
  あっしの声が聞こえるかい?
  仮面に隠された涙がみえるかい?
  笑いながら泣いているひとを棄てたひとのこころが。
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by kokoro-usasan | 2012-01-04 11:30 | 演劇 | Comments(0)

父と暮せば

e0182926_1165345.jpgきのうは新宿の紀伊國屋サザンシアターでこまつ座の「父と暮せば」(井上ひさし作)を観た。

ヨブ記を繰り返し読むのと、「父と暮せば」を繰り返し読むのが、どこか似ていると感じるわたしはへんだろうか。ヨブ記には一瞬のユーモアもないが「父と暮せば」にはユーモアが散りばめられている。それでも、こみ上げてくる涙のどこかに、同じ衝動(叫び)がひそんでいるように思える。
やはり、へんだろうか。
へんだろうか。

竹造役の辻萬長さんも美津江役の栗田桃子さんもとてもよかった。

今回のお芝居では、この作品に今まで感じたことのなかったある驚きがあった。
美津江が昔話の朗読の練習をしている場面で、竹造があんまりちょっかいを出すものだから、途中でそれを無視して、朗読を再開する瞬間がある。そのときの美津江の声が、妙に静かで儚くぞっとするほど「孤独」だったのだ。そういう演出だったわけではなく、わたしが、勝手にびっくりしただけなのかもしれない。お芝居の冒頭から、父(幽霊)と娘のやりとりを見ているわたしたちは、美津江という女性が、実際には20歳そこそこで原爆に遭い、男手ひとつで娘を育ててくれていたその父親すら喪った身の上であることが、現実的な感覚では受け取れていないと思う。生きていることを申し訳なく思いながら、はやく死ねればいいとすら思っていた娘の過去3年間をわたし達は知りえない。語りえないほど辛いものだったに違いないものが、恋のときめきを胸に感じた瞬間から、死んだ竹造を出現させ、生き残った自分への赦しを今一度請わねばならないほどの葛藤を生じさせるに至る。

舞台で、竹造の声を無視するように、ふと我にかえり、ひとりで朗読をする美津江の声の静けさには、その語られなかった時間の闇をふっと垣間見せるほどの孤独を感じさせ、身がすくんだ。これは栗田さんの功績だろうか。竹造との時間の中で癒されてゆく彼女を観ているからこそ、わたしたちも癒されるが、それ以前の彼女にどれほどの苦しみがあったか、戯曲には書かれないその部分を、栗田さんの声が見せてくれたような気すらした。

とにもかくにも、竹造とはなんて魅力的な幽霊であることか。
亡くなった人の生前の笑顔ほど、残された者の心を切なくさせるものはないけれど、その笑顔の記憶が、いつも生き残ったものを支えてくれる。
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by kokoro-usasan | 2011-08-23 11:48 | 演劇 | Comments(0)

「滝沢家の内乱」

e0182926_0303421.jpg下北沢の駅に降りるのは、ずいぶん久し振り。

加藤健一さんのお芝居を一度観てみたくなり、本多劇場まで足を運んだ。滝沢家というのは、南総里見八犬伝の作者滝沢馬琴の家のことで、晩年、目の見えなくなった馬琴が、息子の嫁のお路に口述筆記してもらい
八犬伝を完成させたという話にちなんだお芝居だ。(八犬伝はその完成までに28年かかっている。)

馬琴という人は、ひどく偏屈な人だったようで、その日記などを研究した人は
皆一様にその偏屈さに辟易としてしまい評判もよろしくないという。しかし、
本当にただそれだけの頑固爺だったのだろうかというところからこのお芝居は
立ち上がる。

わたしは今ちょうど、自分の偏屈さに辟易として塞ぎこんでいる時期だった
だけに、馬琴がこのお芝居の中で、ぜいぜいと息を切らし、頭を抱えている
あれやこれやの問題がとても他人事には思えなかった。

苦労を重ねてきた生い立ちのせいなのか、なんでも物事を難しく考え、
神経質で、心配症なあまり、家族のためによかれと思って進めることが
みな裏目に出てしまってゆくのを、くいとめることができない馬琴。
一家の大黒柱であることと、戯作者として必要な心の自由のはざまで
引き裂かれそうになっている馬琴。
明るく生活力旺盛な嫁のお路には、そういう馬琴の葛藤を深く理解する
術はないのだけれど、ないからこそ、人の情の温かさ、確かさだけを懐に
どこまでも馬琴についてゆこうとする。

ある意味、ふたりはずっとパラレルな精神世界にいるにも関わらず、
そのつながりが、なくてはならないものになってゆくところが面白い。
こういうのが、人のつながりの「妙」なんだろうなぁ。

ふたりが、屋根にのぼって、満天の星のもとで交わす会話の光景が
心に残る。そうか、わたしもたまに、屋根にのぼってみるといいのだなと
思った。

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by kokoro-usasan | 2011-07-19 01:37 | 演劇 | Comments(0)

I am my own wife

きのうは、バレンタインデーでしたが、なんだか、中年独身女性という微妙な立場の
わたしは、たとえ義理でも、もらった人がそんなに嬉しくないんじゃないかと思えて
しまい、なんとなく、自粛してしまいます。可愛げがないというか、考えすぎというか。
ここ数年、親の介護もあって、「ときめいて」いる場合でもなかったので、心の潤いが
かな~り減ってしまってるのかもしれません。少し「体質改善」しないといけませんね。

いい意味でも悪い意味でも、ひとりで、ほそぼそと楽しむ術ばかり覚えつつあります。
何も予定のなかった休日。なにか、アンテナにぴぴっとくるものはないかなぁと思い、
吉祥寺に演劇を観に行ってきました。
e0182926_223588.jpg

              吉祥寺シアター「アイ・アム・マイ・オウン・ワイフ」
                       劇団 燐光群


2004年にNYでピュリツァー賞、トニー賞も受賞したダグ・ライトの作品を日本版に
アレンジしたものです。ベルリンの戦中戦後(ナチス時代から東独時代へと続く
不穏な時代)を、女装のまま生き抜いた実在の男性(女性?)へのインタビューを
もとに展開する、心奥への様々な問いかけに満ちた物語です。
客席が、地下のキャバレーのようになっていて、入り口を入ってゆくと、俳優さん
たちが、お客さんをひとりひとり、席まで案内してくれる趣向が、とても面白かったです。
客席もまた舞台装置の一部なのですね。当時、地下で秘密にキャバレーを経営し
つづけた主人公と、観客が、秘密を共有させられるようなドラマチックな感覚になります。
苛酷な統制、差別の横行していた時代に、その他大勢とは異なる価値観で生き延びた
主人公には謎の部分も多くあり、ベルリンの壁が壊れたあとは、英雄視されたかと
思えば、嘘つきと糾弾される運命を辿りました。

それでもこの演出をされた坂手洋二さんがパンフレットにちらりと書かれていた言葉が、
観終ったあと、やはり、わたしの心に残りました。
  「実はこの芝居は、人はなぜ嘘をつくのか、真実とはなにかを探り当てる
   物語なんです。」
どんなに嘘をついても、そのこととは別に、その人がその人として抱えている真実・・・。

おなかが出ていたせいで、胸があるかのように見えたという主人公「シャーロッテ」役の
川中健次郎さんが、ほんとにおなかが出ていて(失礼)、でも、なんだか、そのおなかに
シャーロッテの抱えていた闇(哀しみや、不安や、怒りや、幸せ・・・)が、たぽたぽっと
詰まっていそうで、怪しく、なまめかしく、見えました。そして、淋しそう・・・でした。

観劇は、初心者なので、あまり、内容のある感想も書けませんが、いっぱい、色んな
チラシをいただいたので、また機会があったら、少しずつ、観に行ってみようかなと
思います。

※吉祥寺、ひさしぶりだったなぁ。いろいろ、刺激になりました。
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by kokoro-usasan | 2010-02-15 23:43 | 演劇 | Comments(0)


閉じられていないもの


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