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2012年 01月 29日
快晴なれど。風は切るように冷たい。 我が家の裏手の、老人と娘さんしかいなかったはずのお宅に、小さな女の子の声が聞こえるようになったのは、去年の秋ごろからだろうか。庭に出て、おばあちゃんや母親を呼ぶ声が、ほんとうに子供らしい。呼ばれた側も答えているはずのだけれど、大人のくぐもった声なので、子供の可愛い声ばかりが響くのだ。 シャベルを持って、庭石をカンカンと叩く音。なにかを見つけたと驚いたような声。時折、「あら、転んじゃったよ、大丈夫?」と、そのときばかりは大きなおばあちゃんの声がするのもご愛嬌。 相馬御風の「春よ来い」の歌を思い出す。 春よ来い 早く来い あるきはじめた みいちゃんが 赤い鼻緒の じょじょはいて おんもへ出たいと 待っている 春よ来い 早く来い おうちのまえの 桃の木の つぼみもみんな ふくらんで はよ咲きたいと 待っている わたしは、この歌がなんとはなしに好きで、「赤い鼻緒のじょじょ」という言葉も、意味がわかっているのかどうか知れない頃から、うっとりとよく想像していたものだ。ここには、「みいちゃん」の父母だけではなく、祖父母の姿も浮かんでくるような気がして、みんながみいちゃんの成長を祈っている姿が、春そのものの喜びと、本当によく合っているように思う。 学生になってから、わたしは、この歌に似た詩に出会う。それは、御風の詩とはかなり趣きが違うのだけれど、これもまた、わたしの心に深い印象を刻み、忘れ難い。 「ミミコの独立」 山之口貘 とうちゃんの下駄なんか はくんじゃないぞ ぼくはその場を見て言ったが とうちゃんのなんか はかないよ とうちゃんのかんこをかりてって ミミコのかんこ はくんだ と言うのだ こんな理屈をこねてみせながら ミミコは小さなそのあんよで まな板みたいな下駄をひきずって行った 土間では片隅の かますの上に 赤い鼻緒の 赤いかんこが かぼちゃと並んで待っていた 貘は、たくさんの「ミミコ」の詩を書いたけれど、ミミコというのは彼の娘で、本当は「泉」という美しい名前があるのだ。「うるおいのある人になりますように」と願って、彼は娘にそう名づけた。けれど、と、彼は書く。 「泉にその名を問えば その泉が すまし顔して ミミコと答えるのだ」と。高田渡さんがこの詩人の詩を愛したように、わたしも彼の詩が好きだ。 そして、たとえば、胃がんのために、昭和38年に亡くなったこの詩人の詩集の裏表紙にこんな文章を見かけると、なにか、とてもとても、胸が熱くなるのだった。 時間は父にとって無限に自分のものだったように見える。たった59年ぽっちの短い生涯 ではあったけれど、実は何百年、何千年、何万年という果てしない時間を、ちゃっかり 私有していたのではないかと、わたしは密かに疑っているのである。そうでなければ あの悠長な仕事ぶり、ひとつのことに執着し続ける態度、などについて、いったいどんな 説明がつくと言うのであろう。 山之口泉 人の世の幸を思う。 2010年 10月 21日
冷たい雨。でも、家の中にいると、そんな淋しさの中に、巣ごもりの穏やかな ぬくもりを感じて、なにか温かい飲み物でも、とささやかに心浮き立ちます。 屋根のある場所に住み、とりあえず、ここにいてもいいのだと思えることに じんわりとした感慨を抱くのは、さっき読んだ新聞の記事のせいでしょうか。 そぼ降る雨の窓辺に腰掛けて、朝刊をぱらぱらと斜め読みしていると、乳児で ありながら既に、乳児院で引き取り手のない人生の第一歩を踏み出した赤ちゃん たちの記事が載っていました。毎日新聞、社会面の連載記事です。 「こども手当て」の話が出たときに、それが、子育てをする親に支払われるもの だとしたら、親に虐待を受けている子、或いは親のない子に、その支援の手は どう届くのか、と同僚たちと話しあったことがあります。 「家族」という機能が、そこそこ、良心的に発動している世帯においては、行政を 通じた手続きで、身内を守りフォローしてゆくことができますが、ひとたび、家族 というものを解体させてしまった世帯には、こうした行政支援は、届きにくいものです。 「個人」を個別に支援していく態勢にシフトさせてゆかないと、乳児院のベッドで、 抱いてくれる家族もいないまま日々を送る赤ちゃんたちの未来は、どこへどう 繋がっていけるのかと考えてしまいました。 記事を読み終えたあと、窓辺に並べて置いてある様々な種子に目をやりました。 この夏、庭で育った植物たちから採った種たちです。ひまわり、あさがお、 なた豆、ゴーヤ、みなそれぞれに形が違い、どれも可愛らしいです。 ゴーヤの種は、あのイガイガしている実と同じように、イガイガしているんですよ。 見たとき、思わず笑ってしまいました。こんなにちっちゃいのにイガイガしてる!って。 先日、認知症の始まった母の「とんちんかん」にうっかり腹を立てて(腹を立てても どうしようもないのです)、あれこれと、非難がましいことを言い連ねてしまいました。 言っても言っても、言葉は深い闇に吸い込まれてゆくようなもので、すっきりする よりは、自己嫌悪で、語尾が消えてゆくような感じになります。 他人が聞いたら、この娘、言いたい放題だな、支離滅裂だな、と眉をひそめるか 苦笑してしまうに違いありません。でも、これも、母だから言えるのだと思いました。 わたしと母は、血のつながりはありませんが、ずっと、育ててもらいました。 以前、「迷惑かけてごめんね」と母が言うので、「育ててもらったんだからいいの」 とわたしが素っ気なく言うと、「そうじゃないよ。育てさせてもらったのよ、おかあさんが」 と言われたのです。 乳児院で引き取り手のない赤ちゃんたちの記事を読んだとき、母のこの言葉が ふっと浮かびました。「勿体無い」と、エコバッグを何個も買ったり貰ったりする 贅沢な矛盾に首を傾げながら、一番もったいないことに気づかずに、 わたしたちの命が粗末にされてゆくことについて、もう少し考えてみたいと思いました。 2010年 07月 28日
![]() 猛暑は続く。 きのうは、家の片付けと洗濯に精を出し、午後からは、暮しの手帖別冊「暮らしのヒント集」を じっくりと読んでいた。もういい、今日はもう、あれやこれやと用事を思い出さないようにして、 この世に、この雑誌しかないような気持ちで、のんびり過ごしてみようと思ったのだ。 小学生のころの夏休みといえば、少女漫画を、まさに宝物のように、一日中読みふけったり していたじゃないか。「社会人」なんてものになると、段取り、段取りで、いくつものことを 平行して考えつつ、少しでもたくさん用事がこなせれば有能、みたいなことになり、まことに 落ち着きを失うのである。失っているくせに、涼しげな顔をしているほうが、さらに上級という ことになって、ますます自分を追い込む。で、哀しいかな、色々やりすぎて、「確かな手ごたえ」 という、集中と時間を必要とするものからは、おぼろに遠ざかってゆく。 「暮らしのヒント集」を読んでいると、そこに寄稿した著名な方たちは皆、地に足のついた生活を しているように見える。工夫し努力して新しいものを懸命に学ぶことと、日々の変わらぬ生活の 機微、そのどちらも手離してはいない。どちらかを手離さなければならないようなことがあるなら それは、間違った方向に向いているからだと言わんばかりだ。 自然は美しいものしか作らない、もし、美しくないとしたら、なんらかの事情でバランスが崩れて しまっているからだ、という言葉を読んだことがある。 バランスが崩れているものを美しくないともわたしは思わないが、辛さが滲み出てくるようで、 いたたまれない思いにはなる。救いは、バランスを考えるという時期が、誰にでも来るかも しれないということだ。 わたしはといえば、大いにバランスは崩れていて、玉乗りの曲芸もせず、玉を腹の上にのせ 玉の方のバランスをとっているような不思議なことをやっている。とにかく、日課というような ものを、ささやかでも、自分に課すことは大事なようだ。バランスに敏感になる。 ※庭のなた豆に花が咲いた。長さ25cmにもなる房をつける割には、花は意外にも小さい。 匂いをかいでみると、ほんのり甘い匂いがして、そこにひきつけられるのか、蟻が茎を伝って 花のまわりに集まっていた。 2010年 06月 22日
昨日、前振りだけで頓挫してしまった記事の続きです。小さな黄色い勇者に各界からの 熱い声援ありがとうございました。2通にも及ぶ数え切れないほどの嬉しいメッセージに、 サテ、オチハ、ドウシタモノカイナ・・・・ と、あたまを抱えてしまいましたが、考えると、今日も本題に移れそうにないので、 一応、めでたしめでたしということで(なにが?)、よろしくお願い致します。 実は、縁あって知り合ったドイツ在住の友人が、ミュンヘンで、独立開業したのです。 最初、彼女が、頭蓋仙骨療法を学ぶと言い出したとき、わたしは、その医療について まったく無知で、どんなものなのだろうなぁ、と、難しそうな単語をぼんやり眺めていた ものでした。クラニオという言葉が、日本でも、このところ、急速に知られるように なってきて、なるほど、こういったことだったのだなと、恥ずかしながら、今になって、 やっと判ったような始末です。 日本人女性が、ドイツで就業しているということだけでもすごいことに思えたの ですが、今度は、その職を擲って、また未知の世界を究めようと学校に入ろうとする、 その決断力や、意志の明晰さは、とても刺激的でした。 この数年の間に、知人たちは(わたしも含め)、公私共に、様々な変化の渦の 中におり、いいこともあれば、胸を痛ませながら、乗り越えなければならないことも 多々ありました。そんな中、このドイツの友人が、突然のように見えながらも、実は きちんとした摂理にそったものに導かれるように、その勉強を始めたとき、わたしに とって、それは、なにか、遥かな光のように思えました。 みんながみんな、いつも一緒に「頑張れる」わけでもなく、何人も仲間がいれば、 停滞期に入ってしまった人、問題ばかり起きて途方に暮れてしまっている人、 様々なステージでそれぞれの人が右往左往しているのが普通ではないでしょうか。 でも、わたしには、友人とは、やはり、「光」で、今、自分自身が思うようにゆかない 場所にいても、その光を見つめながら、いつも励まされているような気がします。 悩める友人ですら、その苦しみに耐える尊い姿がわたしを支えます。 目標を見つけ頑張っている人がいれば、尚更のこと。応援しながら、 いつか、自分も、と、はっぱをかけられる思いです。 わたしのこんなつたない言葉では、うまく伝えられませんが、そんなドイツの 友人が、ついに、日本人として、ヨーロッパで初めて、ロルファーの認定を受け、 新しい一歩を踏み出しました。 わたしのブログをご覧になってらっしゃる方は僅かですし、ドイツはけっして、 電車に乗ってゆける距離ではないことは重々承知なのですが、今日はぜひ、 この中村かおりさんのお仕事を紹介させていただきたいと思います。 わたしもまだ、ミュンヘンには行ったことがないのですが、いつか、行く機会が あったら、悪いところを、こっそり、診てもらおうかなぁと思っています。 「うーーーん、あなたの腹黒さと、天性のアタマの悪さは、残念ですが、治りません・・・」 って、言われちゃいそうですが。 中村さんのHP ご縁がありましたら、どうぞ、みなさんも・・・。 ![]() よろしくお願いいたします・・・。 2010年 06月 21日
梅雨の晴れ間ものぞく薄曇の朝、ひとりの特派員が東京郊外の 古びたベランダから飛び立った。 ![]() ぶーん 豆粒ほどの小さな身体ではあるが、清涼飲料水の「おまけ」として わたしのもとにやってきた、この黄色い勇者は、頭のプロペラを見込まれて ある重大な特命を与えられたのであった。 ![]() ぶーーん。 只今、アフガンの大地を通過中 目にも留まらぬ速さで飛ぶこの小さな勇者は (そのわりにはきちんと写真に写っていてまるで動いていないようにさえ見えるが)、 あっという間にぐんぐんと、大陸を横断し(どこの国の許可も得ず)、間もなく目的地へ。 ![]() あ!この川は!ひょっとして・・・。 隅田川? ではなく! ドイツは、ミュンヘンを流れる、さる有名な川なのだった。 さて、この続きはまた明日なのである。 (す、すみません・・・汗) ※前振りを考えたところで、今日の集中力は雲散霧消。やや梅雨バテ。 まぎれもなく、本末転倒である。前振りなんか考えたのが間違いの もとであるが、まぁ、そういう人間なのであった。お許しあれ。 < 前のページ次のページ >
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