物語の構築


過去(たとえば戦争)の記憶を、甲乙に分かれて言い募るようなとき、彼らが目くじらたててこだわるのは厳密には記憶ではなく「(戦争)物語」についてで、自分が知っている「(戦争)物語」と違うストーリーが「本当だ」と言われるとヘソを曲げてしまうように見える。英雄か国賊か、物語は変幻自在だ。

だが、どの記憶も確かに人間の記憶であることから目を背けず、ありえたかもしれない別の物語、別の選択肢を、将棋の棋士の見通しのように何手先までも諦めずに模索し、その先に、なんらかの和解の物語を創作する力を持ったひとたちが、今は必要なのではないかと思う。

たとえ、それが創作であったとしても、その創作で、50年、100年、市民の命を延命できる策を講じることが、本来の為政であるようにも思う。その意味で、日本国憲法は、起草の経緯によらず、よくこの国を守ってくれた。政治家は凡庸だったが、憲法が優れていたことで、よくこの国は守られたのだ。

現在の首相が「悲願」にしなければならないほど、わたしは、この憲法に苦しめられてきただろうか。この憲法にずっと苦しんできたのは、おそらく日本ではなく、どこか他の国だろう。改憲そのものはあり得ない話とは思わないが、悲願の物語には、50年先どころか、3年先の命も見えてこない。



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# by kokoro-usasan | 2017-10-10 15:22 | 日々

憂慮

某市では、一部警察署が、市民の施設利用状況リストを、定期的にチェックし始めているといいます。名目は、2020年の東京オリンピックのテロ対策だそうです。政治的な活動や、不審なサークルの割り出しや分析に使用されると思われますが、過去の歴史に鑑みても、この動きが過剰にエスカレートしないとも限りません。

今後、特別秘密保護法や、共謀罪関連で、秘密裏に冤罪が発生しないことを願います。
また、このような動きを深く憂慮します。

立法とその施行を拙速に行うということは、
こういう事態を招くことを、知性ある人は懸念するべきです。

為政者が極悪人だから、こうなるというわけではないと思います。
為政者の知性が不足しているか、著しく偏っているために、市井に与える「影響」や「余波」を読みきれないのです。また、官僚組織の把握に抜け穴を作らせてしまうのです。

立法府のタガがはずれるということは、「今」はいいかもしれませんが、必ず、数年ののちに、その代償を払わねばならなくなります。

首相は、改憲がしたくて、あらゆる法律のタガをはずしにかかりました。正面から立法にのっとって改憲を問う手間を惜しみ、周辺の法律を緩めてゆくことで、最終目的を遂げようとしているようです。しかし、緩められた法たちが、今後放恣に暴れ出すリスクに責任を負うことはきっとないでしょう。





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# by kokoro-usasan | 2017-10-08 11:54 | 日々

念仏

職場には様々な政党のかたが見えるし、その支援者になっているかたがたも、もちろんたくさん見える。とはいえ、政治の場ではないので、選挙期間中であっても、皆さん、素知らぬ顔をしておられる。時々、大きな催しがあって、各党の議員も挨拶に見えるのだが、若干、所属する政党の浮き沈みで、彼らの顔色や挙動に変化が見られるようにも思う。戦乱の時代をしたたかに生き抜いた京都の庶民のように、(この喩えでいいのかな?) わたしたち職場の人間は、どなたであれ、まったくニュートラルに対応する。

議員の一声で、ずっと放置されていた施設の破損箇所に突然予算が降りて修繕できることになれば、有り難くお願いするし、その設備が滞りなく使用できるようになって利用者のかたに感謝されれば、その通り、笑顔で感謝をお伝えする。そのかたが、わたしの思いと逆に、原発に賛成されているかただからといって、修繕の機会を拒絶するわけでもない。各党には得意分野というのがあり、それを活用できるかどうかは、有権者の力量でもあるのだろう。そういう意味では、有権者は、各党の得意分野をよく研究しながら、自分の暮らしに活かせるように、地味に目を光らせているのがいいと思う。

たとえば、与党の政策で、利益を上げて感謝している家族がいたとして、その誰かが難病にかかったときに、福祉の面で救済の手を差し伸べる道筋を作ってくれているのは、野党の成果だったりする。あまり、細かい政策討論には関心のない有権者には、国会で大きな論争になっている部分だけが政治であるかのように思っているかたも結構いるように見えるが、爪に火を灯すような(この喩えも変だな)予算をめぐって、地味に勉強を重ねている議員たちの仕事というものもある。その努力も不足しているのに、議員報酬だけはもらうというような仕事ぶりでは、コンビニのパートのおばさんのほうがよほど勉強し努力している場合もあるわけで、そんな不勉強な人間を議員にするために、血税をつかって選挙をされたのではたまったものではないというのが、わたしの嘆息だ。

衆議院解散総選挙に向けて、様々アクロバティックな秘策を練っているらしい面々が、メディアに毎日登場しているが、その独善的な展開に苛立ったり呆れたりしつつも、段々、哀れな気にもなってきてしまうのは、庶民のことなんか、なんにも勉強していないんだろうな、というのが顔に書いてあるからなのだ。権力と、特定の支持者と、邪魔者の駆逐くらいしか、今、念頭にないのではないだろうか。政治家に限らず、役職が上がってゆくと、現場からどんどん離れてゆき、それが場合によっては命取りな打撃を自分の組織に与えてしまうこともある。はなから、政治家の家に生まれ育った人間などは、もともと、しもじもの生き物のことなど、あまり理解ができていないと思われる。

以前、運動不足解消のために通っていたプールのサウナで、随分な有力者をご主人に持つと思われるマダムが、妙齢の娘さんと、静かに話していた話題を、ここで皆さんに開示してみたいものだが、まぁ、プライバシーというものがあるだろうから割愛する。近所の主婦たちには、それらの会話の意味するところが、まったくちんぷんかんぷんだったかもしれないが、もし政局に興味がある人間だったなら、彼女たちが、なにを算段していたか、うっすらとはわかっただろうと思う。

なんだか、知ったかぶって、言わずもがなのことを書いてしまった。長いだけで意味がないから、そろそろやめよう。

その前に、先日、鈴木常吉さんのツイッターで目にしたこの言葉をここに紹介しようと思う。例によって常吉さんらしいひねくれかただが、立ち止まって少し考えさせられたのだ。

      私には、そんな強い精神力が無いのでとてもできませんが、
       「love&peace」をただひたすら 念仏のように唱えていれば
       平和は維持でき幸せはやってくるという考えは間違っていないし
       正しいと思います。


これは、「持たざる者」が選択すべき「念仏」なのではないかとわたしは思った。「お花畑」と呼ばれても、「持たざる者」「弱き立ち場の者」が、心して手放さないようにすべき「念仏」なのではないかと。なぜなら、大きな権力を持つ者は、自分が願ったことを実現させてしまう可能性が強い。しかし、彼が「祈った」love&peaceは、その力が大きいだけに、もし誤った方向の独善的love&peaceだった場合に、傷つけてしまうものの代償も計り知れない。だから、大きな権力を持つものこそ、「お花畑」を語ることに、細心の注意を払わねばならないし、慎重でなければならない。だが、「持たざる者」まで、自粛して、ささやかな自分のお花畑を語らぬようになったなら、この地に理想は廃れる。多種多様な小さなお花畑が許容される世界を持ちこたえるためには、やはり持たざる者が、延々とlove&peaceという念仏を唱え続けることしかないのではないかという思いがした。というより、むしろ、それが、持たざる者に許された特権なのではないか。

だから、ぶつぶつぶつぶつ、かなえられもしなさそうな理想を、延々語っているのは、次の時代へつなげてゆくための、わたしのような小さな人間たちの立派な役目なのかもしれない。


わたしは、知性というものが、多様性を受け入れ、諦めずに、よりよい選択肢を導き出すために使われることを望む。




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# by kokoro-usasan | 2017-10-02 22:28 | 日々

水袋

数年前、ある政治家と他愛ない話をしながら、スーツがなんとなくヨレっとしているのを見て、しんみりした気持ちになったのは、首相のもとで今をときめく権力を持った人物も、所詮は水のつまった皮袋であり、あやういものなのだなと感じたからだ。同情ではなく、どのような政局も、「水袋」の集まりのなかから発生しているものなのであり、であるとすれば、権力の実相のようなものに聡く覚めながら、「権力」の「権」は、有権者の「権」でもあるのだということを、有権者自身が、もっと「痛み」や「惧れ」として感じるほうがいいと思ったのだ。そこはまだ、わたしの頭ではうまく説明できない部分なのだけれど。

このところ、身近なひとの終末期への向き合い方と、権力への向き合い方が、どこかで奇妙に繋がってきたような気がしている。剣のような権力は、人類には要らないと感じる。わたしたちは水袋なのだから。僅かな過ちからでも、突かれれば、一瞬で実態を失うのだ。







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# by kokoro-usasan | 2017-10-01 12:30 | 日々

雑感

母が汚れた紙パンツとパジャマとシーツを置き土産にまたショートステイに戻っていった。幸い、天気もよく、すぐに洗って干した。今は洗剤の優しい香りを漂わせながら、きれいにたたまれて、母の寝室に置かれている。

当初、母がどうしてこんなことになってしまったのかと思いつめていたときは、「どうしてこんなことになってしまったのか」が最大の命題だったが、今は、どうしたら、部屋の汚れを魔法のようにすばやく片付けて、「お母さん、天気がいいから散歩に行こうか」と車椅子を押して新鮮な空気を吸いにゆけるかを考えるようになった。紙パンツを脱がせたり、履かせたり、消毒液で床をふいたりしているわたしを、母はただじっと見つめている。「よいしょ」と言ってパンツを引き上げようとすると、一緒に「よいしょ」と言う。掛け声だけで調子がいいなと思うけれど、こちらが「よいしょ」と言うたびに、あちらも「よいしょ」というので、なんだか可笑しい。

母は認知症なのだけれど、もともと脳梗塞による失語症があるので、なにかを喋っていても、ほとんど、意味不明で、わずかに単語として成立している部分をたよりに言いたいことを類推する。よくわからないから、結局、あぁ、そう、とか言って笑ってごまかすのだが、本人も、自分でなにを言ってるのかわからないという感覚があるらしく、わたしが笑うと、かえって一段落してホッとしたように、笑い返す。

とにもかくにも、こんな状態が戻ってきてよかった。春先に肺炎になりかけて入院してから、いわゆる廃用性症候群という、入院そのものによる状況の悪化が起こってしまい、人が変わったように凶暴になった。一日中、獣のように唸り、肺炎は治ったのに、あちこち、体の状態も悪くなった。相談すると、精神病院に入れるしかないのでは、と答える方もおられた。そういう返事だと、こちらも暗澹として、気持ちを硬直せざるを得ず、諦めの悪いわたしは、早く決断しろという周囲の目を見ないようにしながら、時間稼ぎをしたわけなのだけど、時間稼ぎののちに、つかの間でも、このような時間が持てるまでに回復したことを幸せに思う。高齢者だから、回復したと喜んでいても、次の瞬間はわからない。そこは覚悟しつつも、今はただほっとしている。でも、そこを乗り越えたのは、実は、わたしではなく、母自身なのだと思う。母の魂のなかの何かが、引きずり込まれそうな闇の世界から、いまはまだいや、と懸命に戻ってきたのに違いない。

この数年、仕事を抱えながら、自宅では母の介護もあり、夜間おちおち眠れない日々が「普通」になっていたのだけれど、母を間歇的にショートステイに預けるようになり、ぽっかりと空いた時間ができたことに、かえってとまどっている。知人が同じような境遇で、「このところ、パソコンでゲームばかりしている」とメールをくれたとき、「どうして、そんな無為な・・・」と苦笑したけれど、実際、介護していたひとが急に不在になると、その時間を自由に使う癖もなく、また自由に使うことに妙な後ろめたさもあり、中途半端なパソコンゲームになってしまう、というのが、なんだか理解できた。わたしも、だいぶ、ソリティアに時間を注ぎこんでしまっている。そろそろ、自分の時間を、自分のために使う力を膨らませよう。


ところで、北朝鮮問題が逼迫しているということで、図書館からオーバードーファーの「二つのコリア」を借りて、半島の歴史を学ぶところから始めていたのだけれど、官邸としては、北朝鮮のミサイルで国が存亡の危機にあるとし、最大級の言葉で非難するほどの状態なのに、突然、衆議院解散と、選挙で、10月のひとつき、立法府は「政治の空白」状態になるらしい。政治家たちはそのつどひとりにつき多額の供託金を用意して立候補しなければならず、選挙にかかる費用も600億とか800億と言われている(実際にはもっとだろう)。都民ファーストで都民を第一に優先して職務に邁進するはずの都知事も、10月は新党の党首として、衆議院選挙に邁進するらしい。


「国難」も「危機」も、被るのはなく、どうも積極的に「立ち上げる」もののようだ。よく、考えて票を投じたい。


追記
この記事をアップしたあと、ショートステイ先の施設から、母の血圧があがって、少し震えも見えるので、できれば病院を受診してほしいと連絡が入る。今日は仕事を休めないので、あとでまたと電話を切る。
そう、やはり、ほっとできる時間というのは、当たり前には存在しない。さぁ、しっかり。



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# by kokoro-usasan | 2017-09-30 11:34 | 日々

君が人生の時には。

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更新が間遠になりました。しばらくツイッターというものにトライしていたのですが、140字は、なんだか、鳥が餌を啄ばんでいるかのような落ち着きなさで、個人的には、殻ばかり撒き散らしてしまっている気がします。

今日は、現在ショートステイに預けている母の一時帰宅日で、従って、これまた落ち着いてブログなど更新している余裕はないのですが、そういうタイトなときほど、押し込むように、何事かを書いてみたくなるようです。「介護があるのでと、なにかをしない理由にする」ことへのささやかな抵抗なのかもしれません。

とはいえ、自分の思考を漫然と並べるのではなく、今日は、最近読んだサローヤンの「ヒューマン・コメディ」の解説(舌津智之)のなかで紹介されていた一文をここにメモ代わりに書き留めておこうかと思います。

解説によると、サローヤンは結婚前に書いた作品ほど傑作が多いそうで(ふーむ・・・)、そのなかでも「君が人生の時」は、ナチスの靴音が大きくなってゆく1930年代にたくさんの読者を得たといいます。解説者が引用した文を、わたしもまたここに引用させてもらうことにします。(翻訳は舌津氏のもの)


 君が人生の時には、生きよ
その素晴らしい時には、
君にとっても、君の生とふれあう誰の生にとっても、
醜さや死が存在しないように。

あらゆる場所に善を求め、
それが見つかったら、隠れ場所から外に出し、
自由に堂々とさせてやるがよい

・・・・・・

誰に対しても卑屈にならず、
そして、誰に対しても驕るな。
すべての人間は、
君が形をかえたものであることを忘れてはならない。
誰かの罪は君の罪であるし、
誰かの無垢も君自身と無縁ではない。
悪と不敬を軽蔑し、
それでも不敬な者や悪者は軽蔑するな。

・・・・・・・

君が人生の時には、生きよ

その素晴らしい時に、
世界の不幸や悲しみに加担するのではなく、
その限りない歓びと神秘に微笑みかけることができるように。

(サローヤン「君が人生の時」より)


「君が人生の時には、生きよ」
この一行がわたしにはとても印象深く、人生は生きるためにあり、しかも時代の奴隷ではなく、自分の生を生きることが許されてあるべきなのだと、あらためて考えさせるものでした。

そして、今、こうして書き写している間にふと心に浮かんだのが、サリンジャーの「エズミに捧ぐ」という短編だったのは偶然ではないのかもしれません。(「ナイン・ストーリーズ」所収) なぜなら、サリンジャーはサローヤンの影響を受けた作家だからです。「君が人生の時には、生きよ」この同じテーマが、形を変えて「エズミに捧ぐ」にもあったように思います。

戦争でのあまりにも酷い状況を経験している兵士が、お話をせがむ幼い二人の姉弟に万感の思いで願ったのは、まさに「君が人生の時には、生きよ」ではなかったかと。






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# by kokoro-usasan | 2017-09-28 17:04 | 日々

秋の横顔

野分ゆきて。

テーブルと椅子が三つあれば
それだけで人生が書ける

と、その昔、チェーホフは言ったのだと。

椅子さえもないこのタルコフスキーのポラロイド写真を眺めながら、
それでも、しきりに、遠のいて行く物語を手繰り寄せようとする自分がいる。

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# by kokoro-usasan | 2017-09-18 09:25 | 日々

夜の異空間

このガラス張りの箱に入った瞬間から、話したい人の懐に飛び込んだような気がしたものだ。
「今、わたしがいるのは、ここじゃないの。向こう側なの。」ガラスの外を通り過ぎるひとがいると、言い訳するような気持ちになって、そっと背中を向けたりしながら。そうそう、足元に隙間があるのが、気に入らなくて、もっともっと閉じ込めてくれていいのにと思った。

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# by kokoro-usasan | 2017-09-11 23:35 | 日々

昨夜から急に涼しくなった。
早朝、不在にしている母の部屋に差し込む光とその影に、季節の変化を感じる。
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やはり、このくらいの気温にならないと、ものを考えることができない。
ような気がする。





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# by kokoro-usasan | 2017-09-01 15:09 | 日々

羞かしさについて。

『沖縄と国家』 辺見庸 目取真俊(角川新書)を読む。
動悸がしてくる。自分のなかの暴力性をこじあけて、揉みしだいてみる。どんな具合か。




追記
あとで自分の投稿を見返したら、タイトルと内容の関連性がまったくわからないことになっていました。これには理由があって、冒頭の2行のあと、自らの暴力性に向き合ったときの「羞かしさ」についての考察へと移っていたのでした。時間切れのため、その部分は消去して最初の2行だけで更新したのですが、タイトルを書き換えるのを忘れていました。

わたしにはときどき、こういうことがあって、あきらかにタイトルが変ですが、でも、この「羞かしさについて」は、わたしのなかで、ずっと続いている問いでもあり、そのまま残しておくことにします。いつか、なんらかの機会にまた書くでしょう。










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# by kokoro-usasan | 2017-08-31 12:26 | 日々


閉じられていないもの


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