2017年 03月 10日 ( 1 )

もうだれも奴隷にならないように

7、8年近く前のことになるかな。たまたまネットで見かけた福岡のブックス・キューブリックという本屋さんのロゴ入りエコバッグが素敵で、欲しいなぁと思っていたら、友人が九州に転勤になったというので、もし機会があったら、その本屋さんに行って、ロゴ入りエコバック、わたしのかわりに買ってください、と厚かましいお願いをしたことがある。友人は律儀に行ってくれたらしいのだが、品切れで買えなかったとの返事があった。

先日、そのブックスキューブリックの店主である大井実さんの書いた「ローカルブックストアである福岡ブックスキューブリック」という本を見つけ、とても面白く読んだ。地域の書店が軒並み閉店してゆくなかで、それまで書店に勤めたことさえなかったかたが、「本屋さんをやってみたい」という夢だけで、お店をたちあげ、全国でも有名な人気書店になってゆくまでの経緯を綴った本だ。「夢だけで」とは言っても、イメージをかたちにしてゆくための現実的な努力は生半可なものではなく、もともと、バブル期にファッション業界で「イベント企画」をやってらっしゃったという、その企画力とコミュニケーション力のたまものという気はする。

わたしが住む街は、一昨年、駅前にあった書店が突然閉店し、「街に一軒も本屋さんのない」コミュニティになってしまった。多い時には、古本屋さんも含めて五軒あった時代もあったのに。ひどい話だなぁと思う。ネットで注文すればすぐ届くからいいやという話ではないのだ。その地域のひとが、みんなで眺めに行く「同じ本棚(書店)」があるということは、内容はともかく、そこそこ、文化的な了解事項のようなものを共有できるということでもあるのだと思う。背表紙を眺めて、だいたいあの本はあのへんにある、という了解だけでも、街の「文化的」財産になるような気がする。今、街に一軒も本屋さんのないわたしの街の住人が、最近、どんな本を読んでいるのか、わたしには、もう皆目わからなくなってしまった。寂しくもあるし、正直、なんとなく怖くもある。本屋もレコード屋もない、この街の住人は、どんな本を読み、どんな音楽を聴いているのだろうか、お互い、誰もなにもわからない。目星もつかない。

かつて須賀敦子さんが書いた「コルシア書店の仲間たち」のように、書店が果たしていた役割のようなものを夢見る。ネットでは、10年前に読んだ記事を、もう一度、読みたいと思っても、もはや、探しようがなくなっていることもあり、例えば、信ぴょう性よりも、感情的なものが優先されるポスト・トゥルースといわれる風潮なども、そうした、「出処をたどりようもない」情報を朝から晩まで浴び続けることによる知的麻痺からくるのではないかという気がする。

広告や情報ではなく、手間暇かけた「著作」に触れる時間がもっと必要なのではないか。

前述の大井さんが本の最後のほうで、イタリアのジャンニ・ロダーリという作家の言葉を引用しているのだけれど、この言葉、奥が深くてとても好きだ。

「みんなに本を読んでもらいたい、
文学者や詩人になるためではなく、
もうだれも奴隷にならないように」






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by kokoro-usasan | 2017-03-10 22:58 | ことば


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