安心のかたち
きょうは寒いなぁ。
そろそろ冬支度かなぁ。
先日、下北沢のダーウィンルームに鈴木まもるさんの企画展「鳥の巣World展」を見に伺った。以前に書いたことがあるけれど、わたしは鈴木さんの「ぼくの鳥の巣絵日記」という絵本が大好き。どこか、子供のころに読んだ「ちいさいおうち」を思い出させるような、「家」のまわりの四季の変化が描かれているのだけれど、文明の波にのまれてしまった「ちいさいおうち」と違って、鈴木さんの家には、山に抱かれるように、自然と一緒の時間が流れ続ける。小鳥が巣を作るように、人間も、次の世代を育むための場所をつくり、大事に守ってゆく。その幸せな時間がいっぱいつまった絵本だった。
ちょっと人見知りなわたしは、個展などに伺う時、わざわざ、作者の「在廊日」をはずして出かけることが多いのだけれど、意外にも、遭遇してしまう確率が多い。今回も、「こそこそ」出かけたつもりだったのに、ばっちり、鈴木さんにお会いすることになってしまった。予期せずご本人にお会いすることになった時の、わたしのリアクションというのは、かえすがえす情けないものばかりで、「日本語の勉強をはじめて3ヶ月」みたいなことになってしまう。でも、これは緊張のせいばかりでなく、まぁ、性質なんだろうかなぁ。ただ、自分がせっかくの機会にしどろもどろになってしまう点をのぞいては、「ご本人」にお会いできるということは、わたしの幸せな「運」のひとつかもしれないので、大切にして、そこから、また学んでゆこうと思う。
鈴木さんは、鳥の巣は、鳥たちの「安心」の形なのだと教えてくださった。卵を産み、そこで雛を育てるために、どのような場所に、どのような巣をかけるか、それは本で調べるのではなく、本能のなせる技なのだけれど、その本能が、鳥たちに働きかけるのは、「安心できる形」への欲求なのだった。卵が落ちないように、風が冷たくないように、雨にあたらないように、鳥たちの無我夢中ともいえる巣作りは、「安心」への希求に突き動かされている。自分が中にいて、ここが足りない、あそこを補強という具合に、藁や土や、蜘蛛の糸や、自分の唾液など、様々なものを利用して、雛を守る形を作り上げる。なんて愛しい営みだろうか。
鳥の巣の形状をお手本に、自分たちの家を作った部族もあるというから、人間も、「家」への思い、その始まりは、同じ「本能」から始まっているのだろう。人間は、鳥よりも、脳みそが大きいので、「自分を起点に」しかできない小動物と違って、大きな建物の設計ができる。いちいち、中に入ってみて、ここをもう少し、あそこをもっと、と場当たり的に頑張らなくても、設計図を引き、あらゆる資材を調達する流通も確保し、より快適な建造物を手に入れることができるようになった。人間の脳みそって、すごいなぁと素直に思う。
でも、人間は、そうやって、人の願いを込めて形作られたはずのものを、「破壊」することにも、その極めて優秀な頭脳を使っている。有害となることを知りつつ開発し、それを「発展」と名付け、その弊害が露呈しても、すみやかに改めようとはしない。愛らしい鳥の巣を見ながら思うのは、やはり、そういうことになってゆく。そして、自分の暮らしを、もう一度、見直してみようということ。
鈴木さんは、絵の通りの、とても魅力的なかたでした。やっぱり、お会いできてよかったな。もしかしたら、わたしは、自分が思う以上にラッキーな人間なのかもしれない。その幸運を生かすも殺すも自分次第。しっかりしなくちゃね。
おまけ
初めて「ダーウィンルーム」という不思議な場所を知ったのは、そのHPにリンクされている故加藤周一さんの2006年東大での講演の模様の映像を見るためでした。今もリンクされていますので、もしお時間がありましたら、ぜひ視聴をおすすめします。鶴見さんにしても、加藤さんにしても、面白いことを言いながら、時折、ものすごく切れる目をされる。日本人は、「なかったことにする」「見なかったことにする」ことを、処世術的に美徳とする国民のような気がします。そして、それでうまくまわっています。(少なくとも、表面的には)「忘れる」ことを、仏教的な「悟り」に見立る傾向があるのかもしれません。でも、もし、それが真実、宗教観も含めた「救済」の方法であるならば、そこで虐げられた人々のことまで「忘れる」のは、調子のよすぎる話です。 虐げられて、あるべきだった時を失った人々のことを忘れることは美徳ではないからです。鶴見さんや、加藤さんの目の鋭さというのは、歴史を丹念に調べ上げ、人間の善と悪を考え尽くした人ゆえの、遠く、深くを見やる目のような気がします。それに触れるたびに、なにかドキリとし、放っておけば、なんでも忘れてしまう自分を射抜かれたような気持ちになります。
そろそろ冬支度かなぁ。
先日、下北沢のダーウィンルームに鈴木まもるさんの企画展「鳥の巣World展」を見に伺った。以前に書いたことがあるけれど、わたしは鈴木さんの「ぼくの鳥の巣絵日記」という絵本が大好き。どこか、子供のころに読んだ「ちいさいおうち」を思い出させるような、「家」のまわりの四季の変化が描かれているのだけれど、文明の波にのまれてしまった「ちいさいおうち」と違って、鈴木さんの家には、山に抱かれるように、自然と一緒の時間が流れ続ける。小鳥が巣を作るように、人間も、次の世代を育むための場所をつくり、大事に守ってゆく。その幸せな時間がいっぱいつまった絵本だった。
ちょっと人見知りなわたしは、個展などに伺う時、わざわざ、作者の「在廊日」をはずして出かけることが多いのだけれど、意外にも、遭遇してしまう確率が多い。今回も、「こそこそ」出かけたつもりだったのに、ばっちり、鈴木さんにお会いすることになってしまった。予期せずご本人にお会いすることになった時の、わたしのリアクションというのは、かえすがえす情けないものばかりで、「日本語の勉強をはじめて3ヶ月」みたいなことになってしまう。でも、これは緊張のせいばかりでなく、まぁ、性質なんだろうかなぁ。ただ、自分がせっかくの機会にしどろもどろになってしまう点をのぞいては、「ご本人」にお会いできるということは、わたしの幸せな「運」のひとつかもしれないので、大切にして、そこから、また学んでゆこうと思う。
鈴木さんは、鳥の巣は、鳥たちの「安心」の形なのだと教えてくださった。卵を産み、そこで雛を育てるために、どのような場所に、どのような巣をかけるか、それは本で調べるのではなく、本能のなせる技なのだけれど、その本能が、鳥たちに働きかけるのは、「安心できる形」への欲求なのだった。卵が落ちないように、風が冷たくないように、雨にあたらないように、鳥たちの無我夢中ともいえる巣作りは、「安心」への希求に突き動かされている。自分が中にいて、ここが足りない、あそこを補強という具合に、藁や土や、蜘蛛の糸や、自分の唾液など、様々なものを利用して、雛を守る形を作り上げる。なんて愛しい営みだろうか。
鳥の巣の形状をお手本に、自分たちの家を作った部族もあるというから、人間も、「家」への思い、その始まりは、同じ「本能」から始まっているのだろう。人間は、鳥よりも、脳みそが大きいので、「自分を起点に」しかできない小動物と違って、大きな建物の設計ができる。いちいち、中に入ってみて、ここをもう少し、あそこをもっと、と場当たり的に頑張らなくても、設計図を引き、あらゆる資材を調達する流通も確保し、より快適な建造物を手に入れることができるようになった。人間の脳みそって、すごいなぁと素直に思う。
でも、人間は、そうやって、人の願いを込めて形作られたはずのものを、「破壊」することにも、その極めて優秀な頭脳を使っている。有害となることを知りつつ開発し、それを「発展」と名付け、その弊害が露呈しても、すみやかに改めようとはしない。愛らしい鳥の巣を見ながら思うのは、やはり、そういうことになってゆく。そして、自分の暮らしを、もう一度、見直してみようということ。
鈴木さんは、絵の通りの、とても魅力的なかたでした。やっぱり、お会いできてよかったな。もしかしたら、わたしは、自分が思う以上にラッキーな人間なのかもしれない。その幸運を生かすも殺すも自分次第。しっかりしなくちゃね。
おまけ
初めて「ダーウィンルーム」という不思議な場所を知ったのは、そのHPにリンクされている故加藤周一さんの2006年東大での講演の模様の映像を見るためでした。今もリンクされていますので、もしお時間がありましたら、ぜひ視聴をおすすめします。鶴見さんにしても、加藤さんにしても、面白いことを言いながら、時折、ものすごく切れる目をされる。日本人は、「なかったことにする」「見なかったことにする」ことを、処世術的に美徳とする国民のような気がします。そして、それでうまくまわっています。(少なくとも、表面的には)「忘れる」ことを、仏教的な「悟り」に見立る傾向があるのかもしれません。でも、もし、それが真実、宗教観も含めた「救済」の方法であるならば、そこで虐げられた人々のことまで「忘れる」のは、調子のよすぎる話です。 虐げられて、あるべきだった時を失った人々のことを忘れることは美徳ではないからです。鶴見さんや、加藤さんの目の鋭さというのは、歴史を丹念に調べ上げ、人間の善と悪を考え尽くした人ゆえの、遠く、深くを見やる目のような気がします。それに触れるたびに、なにかドキリとし、放っておけば、なんでも忘れてしまう自分を射抜かれたような気持ちになります。
by kokoro-usasan
| 2015-10-21 12:34
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閉じられていないもの
by kokoro-usasan
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