まだ、旅は続く。
いい天気。
a)
北欧家具のお店で買ったクッキーを味見するのを楽しみにしていたのに、きのう、わたしの外出中に、母が残らず食べてしまっていた。紙袋に入れたまま目立たないように保管してあったのに。「完食」というところがなにやら腹立たしいのである。(笑) でも、おいしかったということだな、きっと。今度から、保管場所にもう少し注意しなければ。
レモンクッキーが味見できなかったので、また機会があったら、あの「家具屋さん」に足を運んでみよう。
b)
友人から便りがあった。政治的なことを語らない人だが、今回の文面には、「このような有様を見ているとなんらかの姿勢を示さねばならないのではないか」というような文字が浮かんでおり、しかし、そのことを、「極端でしょうか」と自問する揺り戻しがあるようだった。「なんらかの姿勢を」と考えることそれ自体を「極端」と心配するその控えめさを思うとき、むしろ、前提として、その沈黙の側にこそ、途方もないマグマの世界があるのであり、姿勢などは二義的なものだと、言い添えてあげたい気持ちになる。
政治の空虚な饒舌と詭弁と、同じことしか答えられないロボットのような答弁に、本来脈打っていたはずの言語の命が骨抜きにされてゆき、その骨抜きにされたものを支える為に、草の根の血税が吸い取られてゆくような循環を、もっともっとたくさんのひとが、無言のうちにも、感じ取ってゆくことだろう。先に「姿勢ありき」ではない必要がある。沈黙を重ねた人々が、周囲のひとたちの「姿勢」に左右されず、ただ、自分ひとりの実感として、「わたしはこう思う」と、深く胸に刻むことができれば、それはうちに秘めていても、いつか、不思議と、姿勢になって表れる、そんなものではないだろうか。
「鶴見さんが亡くなっていたことを最近になって知り」とも書かれていた。雑誌の特集や、書評などで、鶴見俊輔の著作で一冊あげるとすれば、というような企画をよく目にするが、わたしが初めて買った鶴見さんの本は、「らんだむりいだあ」という本だった。漫然と読書していた人間にとって、本を読むってこういうことでもあるんだなと、その探索する思考の奥行きに驚いたような記憶がある。
あとは、図書館でなにげなく読んだ「神話的時間」という短い一編も心を揺さぶった。神話というと、夢物語のようだが、実は逆で、鶴見さんの、「時間」を忘却するな、という忠告に満ちていたように思う。この本には、鶴見さん以外のかたの文も掲載されているが、鶴見さんのところがとにかく素晴らしかった記憶。
今、一冊あげろと言われたら、わたしは、「絵葉書の余白に」という本をあげる。これは、この哲学者が、海外を見て回っていた時期に書かれた紀行文のようなもので、鶴見さんとしては異色のものではないかと思う。友人だった加太こうじに捧げられている。いわば、旅先で加太に書いた手紙のようなものかもしれない。
帯にこんなことが書かれている。あらためて、そこを読むと、なるほど、たしかにと思う。
日本人が陥っている閉鎖的なものの見方・考え方に対し、
過去を手ばなすまいとすること、
論理をこえて存在に足場をもつこと
現実をこえる想像力をもつこと、
などの大切さが読みやすい紀行文の中に指摘される。
哲学の基本がここに示される。
a)
北欧家具のお店で買ったクッキーを味見するのを楽しみにしていたのに、きのう、わたしの外出中に、母が残らず食べてしまっていた。紙袋に入れたまま目立たないように保管してあったのに。「完食」というところがなにやら腹立たしいのである。(笑) でも、おいしかったということだな、きっと。今度から、保管場所にもう少し注意しなければ。
レモンクッキーが味見できなかったので、また機会があったら、あの「家具屋さん」に足を運んでみよう。
b)
友人から便りがあった。政治的なことを語らない人だが、今回の文面には、「このような有様を見ているとなんらかの姿勢を示さねばならないのではないか」というような文字が浮かんでおり、しかし、そのことを、「極端でしょうか」と自問する揺り戻しがあるようだった。「なんらかの姿勢を」と考えることそれ自体を「極端」と心配するその控えめさを思うとき、むしろ、前提として、その沈黙の側にこそ、途方もないマグマの世界があるのであり、姿勢などは二義的なものだと、言い添えてあげたい気持ちになる。
政治の空虚な饒舌と詭弁と、同じことしか答えられないロボットのような答弁に、本来脈打っていたはずの言語の命が骨抜きにされてゆき、その骨抜きにされたものを支える為に、草の根の血税が吸い取られてゆくような循環を、もっともっとたくさんのひとが、無言のうちにも、感じ取ってゆくことだろう。先に「姿勢ありき」ではない必要がある。沈黙を重ねた人々が、周囲のひとたちの「姿勢」に左右されず、ただ、自分ひとりの実感として、「わたしはこう思う」と、深く胸に刻むことができれば、それはうちに秘めていても、いつか、不思議と、姿勢になって表れる、そんなものではないだろうか。
「鶴見さんが亡くなっていたことを最近になって知り」とも書かれていた。雑誌の特集や、書評などで、鶴見俊輔の著作で一冊あげるとすれば、というような企画をよく目にするが、わたしが初めて買った鶴見さんの本は、「らんだむりいだあ」という本だった。漫然と読書していた人間にとって、本を読むってこういうことでもあるんだなと、その探索する思考の奥行きに驚いたような記憶がある。
あとは、図書館でなにげなく読んだ「神話的時間」という短い一編も心を揺さぶった。神話というと、夢物語のようだが、実は逆で、鶴見さんの、「時間」を忘却するな、という忠告に満ちていたように思う。この本には、鶴見さん以外のかたの文も掲載されているが、鶴見さんのところがとにかく素晴らしかった記憶。
今、一冊あげろと言われたら、わたしは、「絵葉書の余白に」という本をあげる。これは、この哲学者が、海外を見て回っていた時期に書かれた紀行文のようなもので、鶴見さんとしては異色のものではないかと思う。友人だった加太こうじに捧げられている。いわば、旅先で加太に書いた手紙のようなものかもしれない。
帯にこんなことが書かれている。あらためて、そこを読むと、なるほど、たしかにと思う。
日本人が陥っている閉鎖的なものの見方・考え方に対し、
過去を手ばなすまいとすること、
論理をこえて存在に足場をもつこと
現実をこえる想像力をもつこと、
などの大切さが読みやすい紀行文の中に指摘される。
哲学の基本がここに示される。
by kokoro-usasan
| 2015-10-18 13:06
| 日々
閉じられていないもの
by kokoro-usasan
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