選択肢
a)
家の西側に生えている木が伸びて、そこに鳩があらたな巣を作っているらしいのは知っていたが、昨夜、その西側にある部屋の天井でなにかが動いている音が耳に入り、その音が、どうも鳥の歩く音のように思えたので、どこかから入り込んだのかなぁと考えてしまった。急に寒くなってきたしなぁ。ハクビシンのような動物に居座られるとちょっと憂鬱だけれど、鳥なら、まぁ、いいか、という気になる。
b)
FBなどで紹介された映像を眺めていると、ときどき(というか頻繁に)、眠ってしまうようになった。いい加減に見ているつもりはないのだけれど、映像というのは、やはり「受け身」になりがちなのだろうと思う。you tubeなどでは、うっかり眠ってしまっている間に、見ようとしていたものが終了し、全然選んだ覚えのない別の映像が流れてしまっていたりする。昨夜は、そのおかげで(?)、「ペイラントの自由」という概念についての講義まで受けてしまった。目を覚ましたら、それをやっていたのだ。うたた寝を繰り返すのは、「老い」の兆候だと同僚に言われた。どきっ。「働きすぎて疲れているんですよ」と、別の同僚が、フォローしてくれるけれど、どうなんだろう。認知症のある母は、ときどき、自分の頭にかかった霧を振り払うように、頭を左右に振っている。そのとてもシンプルな動作が、わたしには、妙に刺激的で、隣で頭を振っている母を盗み見ながら、いつか、自分もそうしたくなる日がくるのかもしれないなと覚悟するのだ。
c)
今年の春先に「人生に聴診器をあてる」(スティーブン・グロス著)という本を、つらつらと読んでいたのだが、この本は、精神分析家である著者が、過去に関わったクライエントにまつわる話を、どこかミステリーの香りする掌編にして綴っている。単なる因果を語るものではなく、読む側に、「ぐらっ」とくるような発想の転換を、とてもとても地味に促す。「ぐらっ」とくるほどのことなのに、手渡し方がとても謙虚なので、きょとんとしながら、受け取ってしまうような感じだった。しかし、本はそのまま本棚に乗せられて、「ぐらっ」の正体をそれ以上考えてみることからは遠ざかっていた。ところが、このところ、感じたり経験したことの中で、この本の、「ぐらっ」に似たことを何度か考える機会があった。「なぜ、そう思ったのか」「なぜ、そうしたのか」、ほとんど自覚なくしていることのどこかに、自覚的な発想では出てこない、別の自分が潜んでいる。上述の本は、その別の自分が引き起こす一瞬のために翻弄される人間が描かれていて面白かった。痼りとなって胸に巣食い時々寄る辺ない悲憤に自分を突き動かすものの原因に向き合い、その選択肢を自覚的に避けるようにすることは、とても大事なことなのかもしれない。
家の西側に生えている木が伸びて、そこに鳩があらたな巣を作っているらしいのは知っていたが、昨夜、その西側にある部屋の天井でなにかが動いている音が耳に入り、その音が、どうも鳥の歩く音のように思えたので、どこかから入り込んだのかなぁと考えてしまった。急に寒くなってきたしなぁ。ハクビシンのような動物に居座られるとちょっと憂鬱だけれど、鳥なら、まぁ、いいか、という気になる。
b)
FBなどで紹介された映像を眺めていると、ときどき(というか頻繁に)、眠ってしまうようになった。いい加減に見ているつもりはないのだけれど、映像というのは、やはり「受け身」になりがちなのだろうと思う。you tubeなどでは、うっかり眠ってしまっている間に、見ようとしていたものが終了し、全然選んだ覚えのない別の映像が流れてしまっていたりする。昨夜は、そのおかげで(?)、「ペイラントの自由」という概念についての講義まで受けてしまった。目を覚ましたら、それをやっていたのだ。うたた寝を繰り返すのは、「老い」の兆候だと同僚に言われた。どきっ。「働きすぎて疲れているんですよ」と、別の同僚が、フォローしてくれるけれど、どうなんだろう。認知症のある母は、ときどき、自分の頭にかかった霧を振り払うように、頭を左右に振っている。そのとてもシンプルな動作が、わたしには、妙に刺激的で、隣で頭を振っている母を盗み見ながら、いつか、自分もそうしたくなる日がくるのかもしれないなと覚悟するのだ。
c)
今年の春先に「人生に聴診器をあてる」(スティーブン・グロス著)という本を、つらつらと読んでいたのだが、この本は、精神分析家である著者が、過去に関わったクライエントにまつわる話を、どこかミステリーの香りする掌編にして綴っている。単なる因果を語るものではなく、読む側に、「ぐらっ」とくるような発想の転換を、とてもとても地味に促す。「ぐらっ」とくるほどのことなのに、手渡し方がとても謙虚なので、きょとんとしながら、受け取ってしまうような感じだった。しかし、本はそのまま本棚に乗せられて、「ぐらっ」の正体をそれ以上考えてみることからは遠ざかっていた。ところが、このところ、感じたり経験したことの中で、この本の、「ぐらっ」に似たことを何度か考える機会があった。「なぜ、そう思ったのか」「なぜ、そうしたのか」、ほとんど自覚なくしていることのどこかに、自覚的な発想では出てこない、別の自分が潜んでいる。上述の本は、その別の自分が引き起こす一瞬のために翻弄される人間が描かれていて面白かった。痼りとなって胸に巣食い時々寄る辺ない悲憤に自分を突き動かすものの原因に向き合い、その選択肢を自覚的に避けるようにすることは、とても大事なことなのかもしれない。
by kokoro-usasan
| 2015-10-08 14:06
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