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なもむげにすでね

なもむげにすでね_e0182926_10532693.jpg梅雨空でいよいよ太陽の光が恋しい。

出勤途中、ある小さな家の玄関にいつも一人暮らしと思われるおばあちゃんが立っていて、シワクシャな可愛らしい笑顔で道行くひとを見守っていた。それがおばあちゃんの楽しみのようだった。そして、目が合ったひとには、必ず、おばあちゃんのほうから一言声をかけてくれた。最初はどぎまぎした。「知らないひとと話してはいけません」という教育を、こんな中年のわたしでも、すでに小学校のときに受けている。もちろん、おばあちゃんは、自分の家の玄関先に立っているだけだし、どこから見ても不審者ではない。にっこり微笑んで、「行ってらっしゃい」「おかえりなさい」と言ってくれる素敵な存在だ。それでも、「こんにちは」というような簡単な挨拶しか、咄嗟にわたしの頭には浮かばない。だって、知らないひとだし・・・と思う。

そうはいっても、おばあちゃんも、別になにか厚かましい言葉をかけてくるわけではなく、ただ、「こんにちは」という言葉に、天気の話がつく位なのだ。これが、「世間」とのおつきあいには大事なのだと、物の本でよく教えられるが、たとえば、20代の若者が、友達に会って、空模様の話から入るというのも、なんとなく年寄り臭いと感じるだろう。わたしも、天気を会話の糸口にするようになったのは、もっと年を取ってからだ。でも、そのおばあちゃんと言葉を交わすようになってから、このかたの、お天気に関するボキャブラリーの豊かさに妙に感心させられた。同じ曇りでも、様々なバリエーションで形容する。あぁ、すごいなと、素直に自分の言葉の貧困を思い知らされる。

そうだなぁ。こんな梅雨空だったら、たぶん、おばあちゃんは、「鬱陶しい空だね」なんて声をかけてくれたことだろう。最初におばあちゃんが、「鬱陶しい」と言ったとき、まぁ、これはありきたりな表現なのかもしれないけれど、「まさに!!」と思ったもので、それまで、日々の暮らしのなかで、あまり使うことのなかった「鬱陶しい」という言葉の適切な使い方みたいなものを、そこで生き生きと教わることができたのだった。

おばあちゃんはある日、玄関先にいなくて、あれと思ったら、家の解体が始まって、今ではまったく違う家族が住んでいる。

そういえば、もう一軒、とても古い木造1階建で、通勤途中の道から見下ろすような位置に立っている御宅がある。昔懐かしい木枠の窓で(サッシではない)、カーテンも閉めていないので、家のなかが見えてしまう。通勤のみちみちで、なんとなく見るともなしに見てしまうのだけれど、とても簡素で好ましい雰囲気の室内で、窓の内側にある縁側のような部屋で、よくおじいさんが古い籐椅子に腰掛けて新聞を読んでいた。その家も、先日、通りかかったら、いつもはそのおじいさんしか見かけたことがないのに、急に、何人もの人が動いていて、小さな子供も来ていた。そして、翌日には、引越しセンターの名前入りの段ボールが積み上げられていた。今の所、積み上げられたままだけれど、ある日、それも見えなくなり、家が壊される日がくるのだろうか。わからない。確かに古い家だけれど、丁寧に住んでいることのわかるとてもいい佇まいだった。おじいさんが、どこに行かれたのかは、なぜかあまり考えたくないのだ。

「鬱陶しい」天気も、永遠に続くことはないだろう。今日もすこし晴れ間が見える。気分を調えたくて、長田弘さんの「奇跡」という詩集を開いてみた。ちょっと、気まぐれに、目をつぶって、ページを選んだら、「猫のボブ」という詩のページだった。よし、今日は、この詩が、神様からわたしへのメッセージということだな、と思いながら読む。

        猫のボブ    長田弘

赤と白のサザンカが咲きこぼれる
緑の垣根のつづく冬の小道で
猫のボブが言った。平和って何?
きれいな水?皿?静けさ?
それからは、いつも考えるようになった。
ほんとうに意味あるものは
ありふれた、何でもないものだと。
魂のかたちをした雲。
樹々の、枝々の、先端の輝き。
すべて小さなものは偉大だと。


そして、その次のページは「幸福の感覚」という詩なのだけれど、その最後の章の最後の言葉が、 なにか心に残った。

人の一日をささえているのは、
何も大層なものではない。
もっと、ずっと、細やかなもの。
祖母はよく言ったものだった。
なもむげにすでね。
(何ごとも無下にしない)

     長田弘「幸福の感覚」より


「なもむげにすでね。」
なんて美しい言葉だろう。



※写真はネットから拝借したものです。
by kokoro-usasan | 2015-07-10 11:59 | ことば


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