パリ・レピュブリック広場
(フランスの週刊誌「シャルリーエブド」を襲ったテロ犠牲者を悼む集会に集まった人々。パリ中心部の共和国広場で。1月7日 AP)
毎日新聞でこの写真を見たとき、なぜだか、とてもパリが懐かしくなりました。日本人は、なにか言いたいことがあっても、根回し、根回しで、自分が表立って恨まれたりしないような方策を立て、また、そのように、責任の所在がはっきりしないことを、「みんなが」喜ぶように思えます。責任の所在を曖昧にすることを条件にしてしか賛同を得られないことも多いのです。「出る杭は打たれる」からです。
だから本当は、この国には、「民主主義」はないのかもしれません。世間様と歩調を合わせる「世間主義」なのじゃないかしら。国家権力の横暴に抗するときも、自分という人間の個の意見を、「世間」という曖昧な世論形成のなかに紛れ込ませながら発信する。わたしも、きっと、そのひとりです。(大きなうねりのなかで、国家が選択を誤らないならば、それも、悪くないかもしれませんが。)
上記の写真に写っているひとたちは、古くから繋がっている同志たちでもなんでもない。ただ、ひとつの許しがたい事件に対し、それはいけないこと、自分たちの自由を脅かすこととして、「non!」を表明せずにはいられなかった人たちなのだろうと思います。人間が、「自分の姿を見せて」抗議するということは、時に、とても大事なことです。ここには、「世間様」意識はないように見えます。
とはいえ、だから、どこの国はいい、というような話ではありません。どこの国にも、理不尽な問題は山積しています。今回、この写真を見て、懐かしいなぁと思ったのは、「自由」への意思を、垣間見せられたからなのだろうと思います。意見の違いで人を殺す自由が許されたら、生きてゆく自由を担保することはできなくなる。人間が勝ち取りたい自由は、生きてゆく自由、表現の自由のはずです。そのためには、相手の生きてゆく自由を奪ってはならないはずで、このことは、今回のような大きな事件でだけ問題になるはなしではなく、日々、足元で起きている問題のすべてに含まれているのかもしれません。
「構造的」に、じりじりと、人と人を乖離させ、挙句は殺し合いにまで促すような、そのような悪の仕組みは、とても静かに巧妙に人間の肌に染み込んでくるのかもしれず、そのように体が捻れてゆくのであれば、その逆の方向に、捻り戻してゆく力を、鍛えてゆけるようなりたいなぁと思います。
ちょっと、話がそれますが、今日、テニスの錦織選手の番組をテレビですこしだけ見ました。彼は、基本的なことの「反復練習」を、マイケル・チャンコーチに指導されていました。あるピアニストのかたが、基本は、「ハノン」と言っていたのと同じだなぁと思いました。
by kokoro-usasan
| 2015-01-12 09:43
| きょうの新聞から
|
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