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つれづれ。

a)
すっきりしない体調で、ぼんやりテレビドラマなど見ていると、このところのドラマが、みな「人間不信」を基調にした「どろどろ」のものばかりなのに気づき、ここまで「復讐」をカタルシスにしなければならない時代の病巣を思い、遣る瀬無い気持ちがつのる。(8.18)

b)
また、夢を見た。中身は忘れたが、目覚める前、誰かたおやかな女性が、そっとハンドクリームを指につけているのを見ていた。とてもいい匂いがした。さくらんぼの匂いだったような気がする。さくらんぼの匂いと言っても、実際はそんなに甘く香るわけではないのだが、夢のなかでは、うっとりするような優しく甘い香りだった。きな臭い現実に辟易としていたから、その女性のきれいな指と甘い香りは実に優美で、深く心にしみた。(8.19)

c)
辺野古が辛い。知人がそこに二十年かけて、手作業で作り上げた海岸へと続く山の道は、自然を壊すことなく、しかし、自然はその道を何度も容赦なく破壊し、そのたびにまた手作業で石を積み上げ、草を植えては補修を続けてきたものだ。たくさんの子供たちが、日本中からやってきて、その道を下り、辺野古の海に出会ってきた。観光地ではない、沖縄の自然に触れて帰って行った。その海岸のすぐ近くが埋め立てられ、米軍のヘリポートができようとしている。知人が自然を破壊しないために二十年かけて手がけてきたものを、あっさりと、近代技術で埋め立て、軍用機を離発着させようという国策の前に潰えようとしている。何のために?殺せる数の多さで平和が決まると言うテーブルから、わたしは退席したい。

そもそも、国策で進められた原発における事故において、すみやかに国民を守れず、その後もなんら有効な手立ても立てられない政府が、軍事力さえ持てば、「国民を守れる」かのように言いはなち、危険ドラッグでも吸引しているような暴走状態なのがあさましい。はなから脱法であり、違憲である。人間を切り裂く政治は、復讐から逃れられない。(8.19)

d)
鼻水をすすっているうちに、鼻血まで出て、思わず苦笑する。幼い頃、わたしはしょっちゅう鼻血を出しており、白い綿のつめものを、鼻の穴につっこんでばかりいたせいで、「鼻の穴がまんまるになった」のだと、半ば信じ、乙女心をしゅんとさせていた。あるおばさんなどは、わたしの顔をあお向けにしたうえで、鼻梁が折れるくらいつまみあげ、こうすれば、止血する、とまことしやかに手当てしてくれ、余計に鼻の血管が切れて、両方の鼻の穴から出血するという惨事になった。あまりに鼻血が出るので、学校には、「鼻血対処セット」を袋に入れて持っていっていた。男子生徒などは、優しいのか意地悪なのか、わたしが、「うっ」と鼻を押さえると、「あ!出た!はやく、あの袋を出せ!」とはやしたてた。しかし、彼等は、「うっ」となったわたしを見て、いくぶん面白がって騒ぐわりに、真綿を鼻につめているトンマなわたしの顔を見ても、そのわたしを執拗にからかうことはなかった。むしろ、神妙に、やや心配そうに、こちらをうかがっていたように思う。鼻血の出る自分を、わたしは恥じていなかったし、「鼻血袋」は、可愛い花柄の袋だったので、見せびらかしていたくらいだ。なにか、あのころの「やんちゃ」さの底を流れていた優しさのようなものが懐かしい。(8・20)

e)
「懐かしい優しさ」について考える。「真の優しさ」とか、「上辺の優しさ」と言って区別されることもあるが、それで測れないことも多い。「桃太郎のきび団子」と、昔、同僚がよく言っていた。「あなたのきび団子はどんなものですか」と聞かれたこともある。つまり、生きてゆく上で支えになるような、お守りになるような経験はあるか、と問われたのだ。皮肉なことに、人間はときに、「苦い経験」をお守りのようにして、その後の人生を生き抜くこともある。「あんな目に二度と合いたくない」などがそれだが、どうやら、このお守りには、「滋養」がなくて、「しかし、そんなときでも、こんな優しさに触れた」という出来事を探し出してこれるなら、そこでやっと深い味わいを生むのかもしれない。「そんなときでも」という記憶をたくさん思い出せることは、とても幸せなことだ。

自分が大人になって、小さな人たちと接するとき、どうも、自分は加害者になりうるということを、痛切に感じるようになった。こどものまだ僅かな生存年数のなかで、ひとつひとつの出来事の比重はとても大きい。思いがけず、彼らの心を傷つけてしまうこともあるだろう。そうやって、自分もまた傷つけられてきたわけだから、よく理解できる。難しいものだと思う。今朝、ふと、自分にとって、大人から「受け取った」と特別に記憶している出来事はどんなものだろうかと考えた。すると、たとえば、大人が、しかつめらしく「真の優しさ」などと論じ合う類のものではなく、かなり「上辺の優しさ」だったような気がしてくるのだ。結構、いい加減な上辺の優しさ。

アイスを買いに行ったお店で、おつりの20円を、ほーら200万円のおつりだよ、などとにっこり笑ってくれた店のおじさんのことなどが、頭に浮かんでしまったからだ。これはなんなのだろうか。この「おじさん」は、調子がいいだけなのか。きっと、違うのだ。このかたは、そう言われて子供が笑顔になるのを見たかった、のだと思う。「えーー、きゃはは。」と掌のつり銭2枚を見ながら、子供が、「おじさん、うそつきー」と笑う顔が見たい。わたしのつたない頭で思うなら、ここに、人間のわりと昇華された文化があるような気がしないでもない。もちろん、それはなんでもかんでも茶化すことではない。浮かない顔をしている子、やっともらったお小遣いでアイスを買いにきた子、その子らを、状況に見合った「上辺の優しさ」で支えている。「また、ここに来てもいいのだ」と言外に伝えている。「またここに来てもいい」という感覚は、「きび団子」になりうる。(非行に向う子らは、その場所が、自分を損なう場所だとわかっていても、やはり同じ理由で、またここに来てもいい、と言ってもらえる場所へ行ってしまう。)

「真の優しさ」なんてよくわからないけれど、「ほーら200万円のおつりだよ」のおじさんのところに、アイスを買いにゆくのが、わたしは好きだった。そんなことを、この残暑のなかで思い出している。(8.21)
by kokoro-usasan | 2014-08-21 11:13 | 日々 | Comments(0)


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