crying robot
台風は夜半に関東を通過したのだろう。
夏本番のような強い陽射しがアスファルトを炙っていた。
わたしはといえば、仕事で慣れない修繕仕事をしたもので、掌のマメと、肩から腕にかけての筋肉痛で、なにか、ぎしぎしとした動き。湿度の高い季節は、人間も、「なまもの」であることを意識させられることが多い。じっとしているのに、吹き出てくる汗、頭を動かしたときにふっとまつわりついてくる髪の脂っぽい匂い。
先日、アイザック・アシモフの「ロボット工学の三原則」を読む機会があった。
第一条
ロボットは人間に危害を加えてはならない。
また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。
第二条
ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。
ただし第一条に反する命令はこの限りではない。
第三条
ロボットは自らの存在を護らなくてはならない。
ただしそれは第一条,第二条に違反しない場合に限る。
( I,Robot 1940年)
ところが、それから46年を経て、アシモフは、この原則を次のように改訂する。
第零法則
ロボットは人類を傷つけてはならない。
また危険を見過ごすことによって、人類に危害を及ぼしてはならない。
第一条
ロボットは人間に危害を加えてはならない。
また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。
ただしロボット工学第零法則に反する場合はこの限りではない。
第二条
ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。
ただし第一条に反する命令はこの限りではない。
第三条
ロボットは自らの存在を護らなくてはならない。
ただしそれは第一条,第二条に違反しない場合に限る。
※棒線は当方による
三原則は、アシモフがロボットというものに、どのような希望を抱いていたかが、はっきりと読み取れる。ロボットは人間を守ってくれるものなのだった。しかし50年近く経って、彼が、その三原則の前に、「第零法則」を追加しなければならなかった意味はおそらくとても深い。彼は、ロボットが仕える対象を、「人間」と「人類」に分けなければならなくなった。これは、けして、ロボットに対する信頼の変化ではない。変化したのは、「人間」への信頼だ。どんな人間が、どんな目的をもって、ロボットに命令を下すかという問題を看過できなくなったに違いない。
現在、人間は、人間を殺すためのロボットを開発している。事実、無人機を操って、無差別に殺傷する戦闘は、既に始まっている。顔も持たぬ機械に、センサーで「人体」と識別されただけで、あっけなく命を奪われる事態はもう現実のものとなっているのだ。開発者たちは考えたのだろう。「安全に人を殺すために」ロボットを利用することは実に合理的戦略、と。ここまで、人の心を荒ませているものは、いったい、なんなのだろうか。
ロボットがそのセンサーで「人体」を識別する能力を高めている一方で、わたしたち人間が、人間を「人間」と認めるセンサーは、急速に、壊れ始めているのかもしれない。
by kokoro-usasan
| 2014-07-11 12:30
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by kokoro-usasan
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