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日々

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朝、庭に出たら、冬枯れの土の上に、松ぼっくりがひとつ落ちていた。我が家の庭に、松の木はない。

※26日に長文でここに書かれた記事はなにか忸怩たるものがあって削除し、唯一冒頭の一文のみを残したのですが、消し去ってみると、妙に淋しい気持ちが残りました。同じものは二度は書けませんが、もう一度、別の文脈でなぞってみることにしました。非常にかたくなな内容になっていますがどうぞご容赦ください。


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「自覚」という言葉につまづいていた。
特定秘密保護法案がおそらくは強行採決されるであろう状況の中で、苛立っていたことは間違いないのだ。友人からの「分を弁える」「流れ、役割、振舞というものへの自覚も必要」というような、普段なら、なるほどと思える短い示唆のメールが、何日にも渡って心にわだかまったのも、元はといえば、当初の苛立ちゆえなのかもしれない。「自覚」とは何ぞや、と意地悪くこだわったのである。「自覚」そのものではなく、「ある流れ、ある役割、ある振舞」という、そこへ収斂した自覚というものについてだ。真の自覚は、そういうものを超越するのではないかと、僻みにも似た思いで、友の穏やかな達観を弄り回した。だが、それはきっと、わたしの過剰反応、もしくは、過剰防衛というものなのかもしれない。

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その日の夕方、ラジオで国会中継を聞いていた。TPP交渉をめぐる野党の厳しい追及が首相に向けられていた。どうしてこのように説得力のある優れた内容の質問が、テレビ中継されないのかと思う。されれば、いかに我が国の首相が、アンチョコでカバーできない答弁に無能であるか、ブレインに教えられた決り文句しか喋れないか、また追い詰められると、恐ろしい早口となり、普段の「ございます」という慇懃な語尾もいつのまにか、代官に問い詰められた村百姓のような「ごぜぇます」「ごぜぇます」というやや失笑ものの発音になってしまうことなども、国民の前にしっかり披露されるであろうにと思う。驚いたことに、首相は、慌てると、春日三球・照代の三球さんにそっくりな口調になってくるのだ。それは、苛立つ気持ちの中で、「おやおや」とやや気の抜ける発見だった。これらを聞きながら、だんだんに気の毒になってきたのは、この人物を、わたしがどうしても容認しがたく思うことは変わらないとしても、彼の「お坊ちゃま」然とした無知を利用して、官僚が真顔で動き始めれば、それこそ、哀れな傀儡になってしまうのではないかということだった。ラジオ中継を聴いているかぎり、首相は、自分が進めている秘密保護法案が発動されれば、その余波として、どのようなことが起こるのか、たいして判っていないように思えた。だとすれば、それこそが、最も懸念されることではないのか。

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ところで、夏の終りに孵った鳩の雛は、天敵に襲われて、空に還っていったようだった。朝、庭の落葉を掃きに出ると、あちこちに尋常ではない量の羽毛が舞っており、風が吹くたびに、屋根の上から、羽根が竹とんぼのように旋回しながらが何本も落ちてくるのだった。無惨なものが目に入っても、慌てるまいと思いながら、草叢をあちこち見てまわったが、怖れたものは見つからなかった。しかし、鳩の巣はそれ以来もぬけのからであり、その後、二三日は親鳥が、巣近くの枝にとまっていたが、それから見ていない。椋鳥が替わりにやってきて、その巣にのったりしているのを、なにか苦々しい思いで見つめたが、「だめだよ」と眉をひそめたところで、どうしようもないことは、もちろん、分かっているのだった。

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さて、前に書いたものとは順番が前後してしまったが、そういえば、NHKの番組についても触れていたのだった。NHKの元ディレクター相田洋さんが、認知症になった母親との3000日に渡る記録について語った番組だった。相田さんが撮影された介護の日々の映像を、介護の専門家たちと一緒に見てゆくという番組構成はとてもよかったと思う。相田さんの悪戦苦闘に対し、専門家たちが、今ならこういうサポートの仕方がある、というようなアドバイスを入れてゆく。これが可能なのは、相田さんが、自分と親の日々を、他者にさらけ出す覚悟を決めているからだ。「どこにゆくの?」と尋ねる母親に、本当は病院なのに「あの世だよー」と憎まれ口をきき、ソマリアの海賊のニュースを見て「いまも海賊なんているの?」という問いには、「そうだよ。今度言う事聞かなかったら、海賊のところに連れてっちゃうからな」面倒みなくてよくなって万歳だと笑う。特に、母親の排泄の片づけをしているあたりのボヤキは、ありのままであり、親子なのだから、それくらいでいいだろうと、心から共感した。介護者は、別段「よくやっている」と褒められたいわけではない。褒められるだけで、あとは放っておかれるのが日常なわけで、むしろ「うちも、そうだよ」「たくさん失敗したよ」という情報の中で、励まされることのほうが大きいと思う。相田さんのお母さんはもう亡くなられたが、映像のなかのお母さんはとてもとても愛らしく、わたしの心に深い印象を残した。

日々_e0182926_11141195.jpg一方、先日、裁判所は、認知症の高齢者が徘徊によって鉄道事故を起こした件で、亡くなった老人の代わりに、その莫大な損害賠償を、そのかたを介護していた家族に負わせる判決を下し、大問題になっている。親族の誰よりも手厚く、彼の介護にあたっていたその家族に、認知障害が引き起こした事故の責任を負わせたのである。介護疲れから、ふっと眠り込んだ隙をついて老人は家を出、、駅の改札を抜けると、ホームへ出たのち、この事故は起きた。すなわち、その家族は徘徊する老人への注意義務を怠ったというのが、判決の内容だ。鉄道会社からは、一言のお悔やみの言葉もなかったと言う。(しかし、記事によれば、老人は、ホームから列車に飛び込んだのではなく、ホームの先から線路に降りたことで、亡くなったのだ。線路内の安全確認は、鉄道会社の責任であり、故意の飛び込みとは異なる以上、もし介護者が居眠りしたことが賠償責任問題になるのであれば、鉄道会社側にも職務上の過失があったとはいえまいか)今後、高齢化による認知症の人口が増えれば、すべての該当者に家族の寝ずの介護を要求することは不可能と思われる。とすれば、認知障害者の事故を未然に防ぐ対策の検討は、鉄道会社の課題にもなってくるはずであり、介護家族のみに賠償責任を認めた裁判所の判決には、今、国民が直面している問題への聡明な認識がやや欠けているのではと思われる。

                                         
「自覚とはなんぞや」
うな垂れる思いで、日々は過ぎる。
by kokoro-usasan | 2013-11-27 12:09 | 日々 | Comments(0)


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