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御嶽の森で。

風の強い一日だった。午前中、母のケアマネさんによる毎月一回の定例訪問。途中まで母の話をしていたが、開け放した窓の向こう、庭先に椋鳥が何羽も舞い降りるのを見て、話はいつのまにか庭の話に。他愛ない時間が流れた。落ち着く好い庭だと誉めていただけば嬉しくもあり、かつても、学生時代の友人に、こんな庭があればもうどこにも行きたくはないでしょうと出不精をからかわれたことを思い出した。出不精は別にそういう理由でもなかったが、今になれば、多少それもあると言ってもいいようなわたしと庭の関係だ。

だが、わたしがこの庭に寄せる思いのなかには、庭ではなく、むしろ森の思想が奥深く根付いていはしまいかと思う。

2002年、目取真俊の「魂込め(まぶいぐみ)」が朝日文庫になって出版されたとき、そこに収録されていた「面影と連れて(うむかじとうちりてぃ)」という作品にわたしは圧倒された。こてんぱんに、といってもいいくらいだったかもしれない。他の人の感想は知らない。わたしにとっては、とにかく圧倒的な(殺気だってさえいるような)迫力で胸に食い込んできたのだった。人間の底なしの絶望のようなものが、水槽のなかの熱帯魚のようにひらひらと揺れながら、薄く差し込む光のなかでまどろんでいる。それはつまり森の幻想のようでもあった。

作者は、そのあとがきで、これらの作品は宮古島にあるモスバーガーや深夜の喫茶店をはしごしながら書いたと綴っている。わたしも沖縄の名護にあるモスバーガーで、夜ぼんやり考え事をしながら過ごしたことがあったせいか、あの風土のかもし出すのどかさとある種の陰湿さを思い浮かべながら、この小説の背景を想像してみたりした。

それはかつて、沖縄を皇太子(現天皇)夫妻が訪問した際、一連の差別に満ちた戦後処理と施策に抗議する若者によって、火炎瓶を投げつけられた事件に材を取っており、沖縄に、海洋博に向けての本土資本の投下が進み、その張りぼてのような「本土復帰」のシナリオが進められていた時代のお話だ。その一方で米軍兵士による沖縄の民間女性への(幼い少女にいたるまでの)強姦事件はあとを断たず、被害者は、治外法権を理由に泣き寝入りを余儀なくされていた。その件数は、何も知らされない本土の人間には絶句するほかない数字であり、政府はそれを公表しない。沖縄は青い海の楽園、ニライカナイなのであり、陰惨なものは内密に処理されていくばかりだった。

「面影と連れて」の主人公(語り手)である娘は、たったひとりの身寄りであったおばあも喪ったあと、声を立てて笑うこともないような人生を歩んでいる。彼女には、ガジュマルの木に座っている不幸な死に方をした人間の霊魂が見える。ある日、同じようにその霊が見える男に出会う。それは彼女に訪れた最初で最後の恋だったかもしれない。だが、その男はある日突然姿を消す。警察がやってきて、その男の行方を聞くが彼女にもわからない。わかるのは、その男が、どうやら畏れ多い罪を犯したらしいということ。彼女は男はもう戻ってこないだろうと思うが、心では男を待たずにはいられない。ある日、一人住まいしている家に戻ると、中に人がいるような不審な気配がする。強姦の珍しくない土地柄は、彼女に正しく身の危険を察知させたが、彼女はふと願ってしまう。もしや、男が帰ってきたのではと。その一瞬の判断の揺らぎが、彼女を酷薄な運命のさなかに投げ入れる。何人もの男に組み伏せられて、半死となった彼女の魂は、御嶽の森を彷徨い、その深い森のなかで、首をくくって息絶えている男の死体に出会う。死んだおばあの声も聞こえる。今ならまだ間に合うから戻れと。おばあに促されて、森から戻った彼女の魂は、畳の上で、無惨な姿のまま仰向けに横たわる自分をもう一度見る。裸の身体にスカートだけのねじれた腰の下、脚の間から血を流し、咽喉やふくらはぎには葡萄色の痣ができている。うっすらと目を開き、かろうじてまだ息があるらしいその自分。

今なら戻れる、というおばあの言葉を彼女は反芻し、自問自答する。戻りたいかと。彼女は涙をこぼしながら、答えを出す。「もういい」。彼女の魂は、今はもうどこへもゆかずガジュマルの木のしたに居る。


昨年12月にインドで起きたレイプ事件の顛末もすさまじいものがあった。ニューデリーで23歳になる女子医大生が乗合バスに乗車中、6人の男にレイプされ、最後はバスから放り出されて亡くなったという事件だった。
その翌月には、ビハールで集団レイプされた32歳の女性が殺害され、木に吊るされた状態で発見されている。インド内務省による発表では、国内で年間約2万件のレイプ事件が起きており(届けのあったものだけだろう)、女性達が、「政府は我々の母や姉妹の安全を守れない」として抗議デモを起こしている。

守れないどころか、国家が、うまい口車にのせて、「母や姉妹」を、あるいは「娘」を、兵士の「慰安」のために供出さえさせた国もある。英霊の御霊は恭しく祀りながらも、そこで無惨に息絶えた「母や姉妹」たちの魂は、時に薄笑いとともに記憶の彼方へ葬られようとする。その薄笑いはどんな心あってのものか知りたいと思う。
by kokoro-usasan | 2013-05-16 03:23 | つぶやき


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