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狂人の春

新しい季節。学校も職場も節目。組織内の人間として、過不足なく働けているか、家族として目配りは怠っていないか、友人として不義理はしていないか、社会人として不勉強になりすぎていないか、我知らず、そんなふうに省みてしまう機会が増えるせいなのか、わたしのような面倒くさがりな人間は、そこで気を引き締めてみるというより、漠とした虚無感に囚われてしまいそうになるのでした。

児童養護施設のドキュメンタリーを見たり、少年の矯正施設に勤める友人の近況を考えてみたりするなかで、自分自身の、それはそれで、あまり平均的ではない家庭環境のことを重ね合わせてみると、こうした虚無感の幾許かは、おそらく子どもの頃から抱えている懐かしいサガのひとつでもあるのだと思えます。

ぼんやりとあてどなく一人の時間を過ごしていることは、おそらくは、とても微妙な塩梅の「不安」であり、その「不安」は、むしろ、わたしには懐かしい故郷のようなところ、帰ってゆくことを許されたただひとつの家庭のようでもありました。「不安」という家族のいる家庭なのです。なぜ、そこに戻ろうとするのかと、誰かに責められたとしても、それ以外のどこに居場所があるのか。優しい言葉の先に、いつもご都合主義な崖が口を開けて待っていることを、おそらく、児童養護施設の子どもは、実感しているでしょうし、同じ境遇でないにしても、わたしにもそれは判ります。

こうした子どもたちは、もしかしたら、「狂人」に、時々救われます。社会から白い目で見られる人たちの挙動や、その人の目の中に潜んでいるものを、じっと見つめて、判り合えないことになっているそれらの魂の咆哮や怯えの正体を一心に探ってしまう。正論で、分かり合えると畳みかけてくるようなおためごかしな社会の言葉とは違う、判り合えないと見放されがちな魂の震えの受け止め方を、知りたいと欲する。なぜなら、それは、あまりにも、自分と似ているから。

無論、こんなことは、「つぶやき」です。そんな物思いを前面に出して、わたしは生きてなどいません。安心してください。でも、いつか研ぎ澄まされた狂人になってみたいという憧れが心のどこかにないかといわれたら、「まさか」とはいえないような気もして。こんなことを考えるのは、はやり、「木の芽どき」というやつですね。こまったことです。

結構長いつきあいになりつつある以前の職場の同性の友人に、先日10年ぶりに再会して、自分と同じように、ずっと働き続けている彼女の、か細い肩が、とても愛しく思えました。メールするね、と言って別れ、あとで送ってくれたメッセージを読んで、彼女が、この曲を好きなことがわかりました。いつまでも少年のような男性がいるのと同じで、いつまでも乙女のような女性もいるのですよね。彼女と、春の野原でサンドイッチを食べるひとときを、ふっと想像しました。キリンジ、好きなのね。わたしも。 さぁ、そろそろ、仕事に行ってきます。

「さよなら デイジーチェイン」 キリンジ

by kokoro-usasan | 2013-03-24 12:16 | 音楽 | Comments(0)


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