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une voix きみにエールを。

快晴。きのうあたりから、扁桃腺が腫れて喉が痛いのだけれど、朝食と洗濯のあと、玄関先に小さな椅子を出して座る。最初は、ベージュ色の大人しい上着をはおっていたが、考え直して、かなり鮮やかな黄色の上着に着替えた。目立ったほうが、いいに決まってる。よし、これでスタンバイOK。しばらく、外の大通りを伺っていたけれど、寒いせいか、トイレにゆきたくなり、急いで家に戻る。なんてこったい。なんか、これは、すごくタイミングの悪いことになりそうな予感。

飛ぶように、門に戻ったけれど、あー。やっぱり。先頭ランナーは、その僅かな隙に、もう通り過ぎており、わたしが出迎えたのは、おそらく2番手のランナー。「が、がんばれっ!」と声を出したら、扁桃腺の腫れのせいか、声が裏返って、しょぼくれた掛け声になってしまった。気を取り直して、次からは、元気に!

今日は、地元開催の「第63回夢街道駅伝」の日なのだった。毎年行われ、公道を走る駅伝としては、国内最大規模ということだ。今回は、498チームがエントリーし、福島の中学校2校も招待されて、午前10時、八王子駅北口前をスタートした。我が家は駅伝の走路でもある大通りに面しているのだけれど、これまで一度も、外に出て、応援したことがなかった。仕事で不在だったせいもあるし、たまたま在宅していても、2階の窓から、ちらりと覗くくらいだった。それに、閑静な住宅地のせいか、その走路は、いつも、長閑なもので、沿道に人が立ち並んでにぎやかな声援を送るというスポットでもなかった。

今年は、仕事が午後からだったので、午前中に通り過ぎるランナーたちのために、むくむくと応援熱が高まって、「よし、やったるで!」という気持ちになった。ビタミンカラーの上着まで着込んでスタンバイしておきながら、最初のランナーを見逃すとは・・・。とほほ・・・だ。「なんでそこで、トイレにゆくかね。」昔のボーイフレンドが、わたしのタイミングの悪さをいつもからかっていたその声を思い出す。あはは。スンマセン。

通り過ぎるランナーたちは、老若男女。ぴちぴちした若鮎の群れもあれば、そうでない一団もある。そのひとりひとりに、拍手し、声をかけた。もともと、ひとけのない走路だから、ランナーたちも、わたしが目に入りやすかっただろうと思う。わたしは、「声」の威力を信じている。もちろん、それはいい意味でも悪い意味でもだけれど、声ひとつで、その場の空気が変わることは多々あるし、届かなそうな小さな声が、実はしっかりと届いて、なにかが動き出すということもあるのだと。声援を受けて、しっかりとわたしの目を見た人、目は前を向いたままだけれど、かすかに頷いた人、通り過ぎたあと、うっしゃーっと気合を入れなおしていった人、届いている、届いていると思う。

どうもわたしは、「走る」人に訳もなく感動してしまう人間で、箱根でも、マラソンでも、見ていると、なぜだか、涙がこぼれてしまう。それは、死んだ父も同じで、一緒にテレビを見ていると、おのおの、好き勝手に目頭を押さえて感動していることがよくあった。一瞬で勝ち負けの決まる競技もあるが、あの単調な「自分との闘い」の姿が、他人事に思えないせいかもしれない。

後続になるほど、とぎれとぎれの一団になってゆく、そのランナーたちのなかに、なんと、昨年、母がお世話になった大学病院の看護婦さんがいらっしゃった。とても、よくしてくださった、姉御肌の、といってもまだ若い看護婦さんだった。大学病院でチームを組んで出場しているらしい。スリムとは言い難い彼女は、ちょっと苦しそうに、顎がやや上がり気味になりながら懸命に目の前を通り過ぎていった。ひときわ大きく「がんばれ!」と応援したけれど、まさか、それが患者だったひとの家族だとまでは気づくことはないだろう。看護士の仕事はハードワークだ。それで、駅伝に出ようと挑む体力と、意欲に、また、ぐっときてしまい、傾いて苦しそうな背中を、見えなくなるまで見送った。ナンナンダロウ、ナンナンダロウ、ハシルッテ。ナニニチョウセンシテルンダロウ、カレラハ。

昔、ボクサーだった知人の試合に招待され、その苛酷な試合におじけづいて、声援ひとつ送れずに、終ってしまったとき、あとで、彼に、「あなたの声が聞こえませんでした」と言われたことを、ずっと忘れずにいる。自分はなんて根性なしだと思ったからだ。

わたしの声はけっして大きくはない。通りも滑舌もよくない。でも、大事なときに、黙っているひとにはなりたくない。あれから、ずっと、そう思っている。







※追記

福島からエントリーしたふたつの中学校チームは、中学生の部で、男子が準優勝、女子は見事優勝だった。
よかったなぁと思う。一生懸命、応援したし・・・。

でも、ね・・・・・。
この大会も実はそうだったのだけれど、なにかイベントをすると、「復興支援」というような言葉が最近はみなセットになっている。都知事(都民じゃない、都知事が、だ。ここは、はっきりしておきたい。)が誘致しているオリンピックも、復興支援だなんて言うけれど、あんなの「便乗商法」だ。本当に、福島を支援したいなら、もっと、先にやるべきことはたくさんあるはずだと思う。現場は、疲弊し、いまも苦しんでいる。オリンピックに出せるお金があるならば、すべて福島の復興そのものに当てればいいではないかと思う。オリンピック村を建設するお金があるなら、そこに、「福島村」を用意して、復興が軌道にのるまで、困っている福島県民をすべて受け入れてあげればいい。そして、復興が調って、それらの人が無事また福島に帰ることができたときこそ、その村を福島復興の記念施設として、オリンピック村として再利用し、祝復興のオリンピック開催を計画すればいい。もちろん、それは、夢物語だと一蹴されるかもしれないが、それでも、自分がもし、福島県民だとしたら、東京が、復興支援と銘打って、オリンピックで「ひともうけ」を目論んでいるのを、嬉しく思うとは思えない。わたしたちは、もうすこし、ディーセントということを考えないといけないのじゃないだろうか。まず、隗より始めよ、自分の胸に今一度、それを問うてみようと思う。
by kokoro-usasan | 2013-02-10 13:08 | 日々 | Comments(0)


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