天沼寿子さんの本を手がかりに。

e0182926_2249432.jpg書店で平積みになっていたこの本にはっとしたのは、帯に「抗がん治療を受けない選択」とあったからです。迷わず購入しました。わたしがずっと気になっていたことへの一つの回答がここにあると思いました。嬉しかったし、励まされた。読んでよかったと思います。一歩、前へ進んだ感じがします。自分の人生を自覚的に生きる必要性。もううっかりぼんやりではいけないのだと感じ始めていた矢先だったのです。

「身ぎれいな」なんて題されていると、死はそんなにきれいごとではないよとアレルギーをおこされるかたもいると思うのですが(わたしもちょっとそういうとこあるかもしれません。でも・・・)、それは、天沼さんの個人としての人生の選択、ポリシーとしての表明ですから、そこのところは、各人のポリシーで、大事なのは「終いじたく」ということを考えてさせてくれるということです。

血縁のないわたしを最後に看取る人が誰なのかわたしは想像することができません。今の課題は養母をとにかく最後まで見守ることです。彼女より先に死ぬわけにはいかないという思いがあります。なぜなら、彼女もまた血縁のない人だからです。これまで、わたしの心は、母をどうするかというところで止まっていたのですが、現在入院中の母を病院に置いて、がらんとした家でひとり眠るとき、今、自分の心臓が止まったら、母のこと、家のこと、仕事のこと、さぞかし、第三者のかたたちを煩わせてしまうことになるだろうと思い始めました。「明日のことは思い煩うことなかれ」と聖書にはあるかもしれませんが、「思い煩う」のではなくて、時を迎える準備を始めることは、御心にかなっているのではないかという気もします。

そのときにいつも思い出すのは養父を見送ったときの後悔です。80近かった父に、医師は抗がん治療を迫り、「しない」のであれば、もはや病院ではすることがないから退院してもらうことになると説明しました。病院とは病いを治すためにあるところで、治療せずに死を待つために用意しているベッドはないということなのです。死にそうになっている父を退院させる?わたしはその時、言葉は悪いのですが、その医師が死神のように見えてしまったものです。どうするのか決断を下すのは、わたしの役目でした。そのときになって、わたしは「緩和医療」という選択肢があるのではないかと気づいたのですが、事態はそれについてよく考え段取りをとる時間を与えてはくれず、結局父は抗がん治療の苦しみのなかで旅立ってゆきました。延命措置をとらないと一言で言っても、そこには無数の選択肢があり、「延命措置をとらない場合の措置」をどうするかは、医師ではなく患者側の明確な意思表示が必要なことなのだと思い知りました。あのときのショックは今も忘れられません。それから、少しずつ、死をどう迎えるかということを考えるようになりました。

斎藤茂太さんの「いつか死にゆく人としての小さなケジメ」という本に、命あるものはみな死ぬのだから、自分の死を直視し受け入れるケジメはつけておくべきだろうと書かれてありました。現代の進んだ延命医療に無自覚に縋ってしまうことで、人間から自らの「寿命を全うする」という感覚が失われ、死が単に「医療の敗北」「病気への敗北」という意味合いに限られてとらえられてしまうことの怖さ。「死」は「敗北」ではないと、モタ先生は言いたかったのです。

そしてまた、上野晴子さんの「キジバトの記」の最後、ガンが再発した晴子さんが、かねてからの考えどおりに自らホスピスに入られる記述もわたしにはとても印象深かった。まだ自分がホスピスに入ることになるとは思ってもいらっしゃらなかった頃に、すでに晴子さんは「ホスピス研究会」の会員になり、セミナーに通っては少しずつ知識を増やしておられたのです。わたしは、こういうかたこそが本当に知性ある人というのではないかという思いがしました。聡明な人だなぁと。

冒頭でご紹介した天沼寿子さんも、そういう聡明な方だったのだと思います。
「カントリーモール デポー39」という伝説的なアンティーク雑貨のお店を作られ、日本におけるその世界のパイオニアとして活躍された天沼さんは、がんが再発したとき、生活の質が著しく阻害される抗がん治療をもう受けないことに決め、限界まで様々な工夫をこらしながら、居心地のいい自宅で仕事を続けられました。そして先月、自ら青写真を描いた緩和ケアのサポートを受けられながら旅立ってゆかれました。この本が発売されるのを見ることなく旅立つことになるのを承知のうえで、「感謝をこめて」という言葉で筆を擱かれた天沼さん。わたしは、養母さえうまくその生活の質を維持してあげられない力不足に、キモチの芯が定まらない日々なのですが、天沼さんが実践されたことを参考にして、もう少し、今後、母や自分自身に必要になってくるかもしれない緩和ケアについて学んでみたいと思います。わたしも、医療の敗北ではない「死」を迎えられたら嬉しい。父の死、その死のありかたは、とても辛く、大きな後悔をもたらしたけれど、父が自分の死を差し出して、おまえはこれをよく見て、自分の生き死にを学べと導いてくれているのだと考えてみたいと思います。

えらそうなことを言ってますが、わたしも家族、親族がたくさんいたら、家族のなかの誰かにそれなりにお任せして旅立ってゆけばいいと思ったと思います。でも、いかんせん、わたしはひとり。どうやって送り出してもらうことを願うのか決めておかないと、周囲のひとにとんだ迷惑をかけてしまいますから、よりいっそうよく考えておかないといけません。そう思ってみると、これはやはり、生きることを考えることと同じなんだなぁって、よく言われることにたどり着くのでした。


天国の天沼さん、すてきな本を書いてくださってありがとうございました。
 天沼さんの気持ちを至らぬながらも受け取ったひとりの読者がここにいます。
 どうぞ安らかに。


 < 帯の言葉 >
 私は69歳、ひとり暮らしです。独身で子供もいません。胆管がんの手術の一年後67歳の時に、がんが再発しました。再発したら、「抗がん治療はしない」と決めていました。今も延命のための治療行為は特にせず、緩和ケア科で、進行具合を調べてもらい、鎮痛剤などを服用しながら今までどおりの生活を送っています。なぜ、このような選択をしたのか、どのような準備をしているのか、本書にあますことなく書きました。どなたかの一助になればと。
                                               天沼寿子




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by kokoro-usasan | 2012-11-26 23:37 | | Comments(3)
Commented by http:// at 2012-11-27 22:31 x
私には、今、家族がいるけれども子どもはおりません。
一応、田舎では「本家」としてやってきた5代目なので、夫には婿に入ってもらったものの、夫婦そろって「子どもはいなくてもいいよね」と今に至っております。
父(この人も婿)の兄弟とは疎遠で、母は一人っ子。というわけで、われわれ夫婦でわが家の家系にピリオドが打たれるということになります。
夫婦して散骨がいい、樹木葬はどうか、田舎の墓には入りたくないと言ってますが、作っちゃった墓どうしたものか・・・たぶん、そういうことが今後の課題になってくるかも。
田舎なので集落の共同墓地で、お寺は墓にはかかわっていません。集落の人にお願いするか、妹の子どもたちにお願いするか、われわれが生きているうちに墓を更地にするか(それもなあ、じいさんの代の親戚がいるからなあ)・・・というような重苦しい人間模様があったりします。
夫母は、さっさと寺の墓地を解約して納骨堂にそっくり引っ越しさせちゃって、「私が入ったらそれでおしまい」と言ってます。
田舎は土地余り状態だから納骨堂なんてないし、土地が余っているくらいなら墓を余らせておいてもいいか。まあ、よくないけど。
Commented by kokoro-usasan at 2012-11-27 23:20
♪ななしさん。(だれだかわかりますけど。笑)
ふふ。緩和ケアの話だったのですけど、そうですね、お墓も問題ですよね。うんうん。こんな話をするのも、気持ちが片足あっちがわ、という後向きな気持ちではなくて、そのへんのことを自分なりに覚悟してあったら、逆に、今を精一杯生きられるんじゃないかと思えてきたのです。あくまでも、わたしの場合は、ということなので、辛気臭い話題だなぁって敬遠するかたもいるとは思うのですけれど・・・。許されるならば、なにかぬくもりのある死を死にたいなぁって思うのです。ぬくもりのある生を生きたいってことなんでしょうね、つまり。
Commented by めざ(ときどき名無し) at 2012-11-28 00:13 x
仕事柄、「へき地医療の現状」などの記事の校正などをしていますが、最期をどのように迎えるかがたびたび話題にとして取り上げられています。
特に医師一人の診療所しかない地域ではどうするか、施設に入所している独居の方でも家に帰りたいという方を、さまざまな医療スタッフ(医師は一人でも、看護師、理学療法士などいろいろな職種の人)が協働して家で最期を看取ることができた・・・という記事を散見します。
これからはこうした試みが積極的にされるようになるのでは・・・と思いながらも、家に帰った独居の方の最期のあとは・・・というのも気になるところではあります。
ヘルパーさんが「身寄りのない方のお世話をしていて、生前に葬儀の手配をするからとお金を預かって葬儀社に予約に行ったことがある」と話してくれたことを思い出しました。予約というのもなんですが、先払いということですね。

それにしても、ときどき名無しになるのはどうしてかしら?
名無し・・・それも「http://」、いっそそういう名前になったろか(笑


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