節分
ゆうべ、真夏の浅草を舞台にした山田太一の「異人たちとの夏」を読み終わり、枕もとの灯りを消した。感想はもっとあとになるだろう。まだ、異人たちが、わたしの周りを消え残りながら浮遊しているからだ。
朝。天気予報の通り、氷点下だった。外気はもちろん部屋の中も氷点下だ。居間のガスストーブをつけたら、気温センサーが、温度ではなく、「L」となっていたので、なるほど、「低いのだな」と、ちょっと苦笑した。氷点下は表示できないセンサーなのだろう。それでも、朝は来ているのだ。朝刊を取りに、外のポストまで出て、そのまま庭の霜柱と戯れると、また家の中に入った。今、庭で元気なのは蝋梅くらいで、霜にあたってしまった庭草たちは、みなぐったりとしている。日が高くなれば、もうすこし、持ち直すものもあるだろうと思う。小鳥たちは、まだ姿を見せない。
昼。先ほどまで、メジロやシジュウカラで賑わっていた庭も、正午になって静かになった。ドコイチャッタンダロ。昼寝?そんなわけあるまいに。苦笑。眠りといえば、唐突だけど、「崖の上のポニョ」を見にいったとき、ポニョが眠くなってしまう場面になると、わたしは妙に緊張した。好奇心で、ぶらぶら観に行っただけのこともあり、宮崎駿の「メッセージ」というものを、じっくり考えてみる熱意もなく、スクリーンを見つめていたのだけれど、「眠くなってくる」ポニョの姿は、わたしにはなにか痛切なものを突きつけてきて、あ、ポニョが眠ってしまうじゃないか、ソウスケ(でしたっけ?)、どうするんだ、と、内心おろおろした。大津波よりも、この、うつらうつらし始めるポニョにこそ、この映画の「とっかかり」はあるように思えた。ポニョは眠ってしまうのだ。自分の存在を忘れられてしまうと・・・。あの、腑抜けのようになったポニョは哀れだった。
今、世の中のひとは、みな眠たいのではないか。おのおのがお互いに、相手を眠くさせてしまっているのではないか。その存在を忘れることで。
今日は節分。母が、恵方巻を食べたいと言う。もう文字は読めないのだけれど、このあいだ、新聞の折込広告を見ながら、スーパーの恵方巻の写真に目の行った母は、それを指差しながら、「ほしい」とつぶやいた。
そういえば、離れて暮らしていた頃、節分の前に母から電話がかかってきて、家に寄れと言う。寄ったら、恵方巻が何本も用意されていて、ほら恵方巻だよ、と、自慢げにそれの載った大皿をわたしの前に出す。そんな大きいのを、何本も出されてもなぁと思うけれど、「ほら、ガブっと」「ほら、ガブリ!」と母の合いの手が入るので、とりあえず、一本がぶりとやったのだった。
ぼんやりした目で、広告の恵方巻を指差し、「これ」「これ、ほしい」という母に、「ん。じゃ買ってきてあげる」と言いながら、そんなことを思い出した。
思い出すことだ。
朝。天気予報の通り、氷点下だった。外気はもちろん部屋の中も氷点下だ。居間のガスストーブをつけたら、気温センサーが、温度ではなく、「L」となっていたので、なるほど、「低いのだな」と、ちょっと苦笑した。氷点下は表示できないセンサーなのだろう。それでも、朝は来ているのだ。朝刊を取りに、外のポストまで出て、そのまま庭の霜柱と戯れると、また家の中に入った。今、庭で元気なのは蝋梅くらいで、霜にあたってしまった庭草たちは、みなぐったりとしている。日が高くなれば、もうすこし、持ち直すものもあるだろうと思う。小鳥たちは、まだ姿を見せない。
昼。先ほどまで、メジロやシジュウカラで賑わっていた庭も、正午になって静かになった。ドコイチャッタンダロ。昼寝?そんなわけあるまいに。苦笑。眠りといえば、唐突だけど、「崖の上のポニョ」を見にいったとき、ポニョが眠くなってしまう場面になると、わたしは妙に緊張した。好奇心で、ぶらぶら観に行っただけのこともあり、宮崎駿の「メッセージ」というものを、じっくり考えてみる熱意もなく、スクリーンを見つめていたのだけれど、「眠くなってくる」ポニョの姿は、わたしにはなにか痛切なものを突きつけてきて、あ、ポニョが眠ってしまうじゃないか、ソウスケ(でしたっけ?)、どうするんだ、と、内心おろおろした。大津波よりも、この、うつらうつらし始めるポニョにこそ、この映画の「とっかかり」はあるように思えた。ポニョは眠ってしまうのだ。自分の存在を忘れられてしまうと・・・。あの、腑抜けのようになったポニョは哀れだった。
今、世の中のひとは、みな眠たいのではないか。おのおのがお互いに、相手を眠くさせてしまっているのではないか。その存在を忘れることで。
今日は節分。母が、恵方巻を食べたいと言う。もう文字は読めないのだけれど、このあいだ、新聞の折込広告を見ながら、スーパーの恵方巻の写真に目の行った母は、それを指差しながら、「ほしい」とつぶやいた。
そういえば、離れて暮らしていた頃、節分の前に母から電話がかかってきて、家に寄れと言う。寄ったら、恵方巻が何本も用意されていて、ほら恵方巻だよ、と、自慢げにそれの載った大皿をわたしの前に出す。そんな大きいのを、何本も出されてもなぁと思うけれど、「ほら、ガブっと」「ほら、ガブリ!」と母の合いの手が入るので、とりあえず、一本がぶりとやったのだった。
ぼんやりした目で、広告の恵方巻を指差し、「これ」「これ、ほしい」という母に、「ん。じゃ買ってきてあげる」と言いながら、そんなことを思い出した。
思い出すことだ。
by kokoro-usasan
| 2012-02-03 12:26
| 日々
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閉じられていないもの
by kokoro-usasan
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