二者択一にはしないでほしいと思うのです。
沖縄の知人が、3月18日から、福島の一組の家族を受け入れている。家族はほとんど着のみ着のままの状態で、沖縄にやってきたらしい。理由は、もちろん、原子力発電所の事故が発覚したからだ。小学生になったばかりの息子さんに放射線の影響が出ることを懸念したのだと思う。この迅速な決断について、昨夜、同僚と話しあっていた。「自分だったらどうするか」という問いだ。親として、最も影響を受けるであろう子供の将来をどう考えるか。もはや行政になんとかしてくれと詰め寄っている場合ではないと、この家族、村重さん一家は判断したはずだ。数年後、我が子になんらかの障害が出たときに、「なぜ、お父さんは、あのとき、すぐに他の土地に逃げてくれなかったの」と聞かれたら、どう説明すればいいのか。
なんとかしてくれと行政に文句を言ったのだよ、頑張ったのだよ、と釈明するよりも先に、子供を安全な場所に連れ出すという選択が親には出来る。これは、子供が自ら選択できる問題ではない。親の覚悟がいるのだ。
震災が起きてから、わたしがずっと葛藤してきたのは、ここだった。現実を見据える知識が、目前にある現実のリスクを回避する決断へと大切な者たちを導かないのであれば、それは、知識だけで、知性とは呼べない。
わたしに子供がいたらどうするか、という問いにずっと苦しめられていた。無論、わたしに子供はなく、自分ひとりのことでいえば、リスク回避最優先でなくても構わないと思える。たが、親だったら、と、考えずにはいられないのだ。子供がいたら、と。
それは、それぞれの親に任される問題かもしれない。他人が口を挟めない問題でもあるだろう。
けれど、3月18日の時点ですでに疎開(疎開とは言わないだろうが)を決め、今は沖縄の小学校に息子さんを通わせている一家の、その親御さんの決断は、自分の中にある潜在的な「依存体質」、国が自分を守ってくれるんじゃないかという幻想に、ある種の打撃を与えるのだ。
「自分だったらどうするか」昨夜の同僚との雑談に答えは出なかった。二人の子供の母親でもある同僚は、何か非常に困った顔をして、「共同体」を出てゆくことへの不安が、命の危険さえ、「きっと、大丈夫だよ。みんな一緒だもの」という一体感を選ばせてしまうことへのジレンマにひたっているようだった。
できることならば、親に、共同体なのか(それは経済基盤も意味するが)、子供なのかと、二者択一を迫らなくてもいいようなシュミレーションを、幾通りか提示し、この場合はこう、この場合はこう、というバックアップの保証をいくつか約束してあげられないだろうか。
やがて出てくるだろう健康被害が、本当に気が気ではないのだ。
by kokoro-usasan
| 2011-06-09 17:40
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