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雑感

冷たい雨。桜の木の芽はまだ堅いけれど、樹皮は日一日と灰桜色の紅を含んできており、花の季節が近いことを知らせる。木の内部は、次の命のための「色」をいつも蓄えている。だから、桜も、染色に使うとき、花が咲く前の樹皮からは桜色が抽出され、花が咲き始めたあとは、今度は新緑の為の、黄緑色を抽出するようになる。(と、これは、わたしだけの考えで、本に書いてあったわけではないので、信用しないでくださいね。でも、経験上、そう感じるのです)

足の先が悴む。今日の計画停電はすべて中止になったと防災情報が入った。午後になったら、食料を買いにスーパーに行ってみよう。地震があってから、ずっと職場に出ていたが、今日はオフになった。天気がよければ洗濯をしたかったけれど仕方ない。

こんな話は、男性の読者がいるかもしれないので、少し気後れするけれど、地震の翌日、まだ、物資が普通に流通していたスーパーで、わたしは生理用品を買った。生理になる予定はなかったのだけれど、今後、更に大きな地震が来たとき、私自身は避難所で仕事にあたる役目があったので、生理になって、それを気がかりに思うようでは、しっかり仕事ができなくなると思ったからだ。それに避難所では生理用品がいつも不足すると聞いていた。なにかあったときに、少しは役立つだろうと思った。しかし、なにかあったのは他ならぬ自分で、地震がショックだったのだろうか、身体は不思議だ、わたしは突然生理になってしまった。

地震、津波、原子力発電所の事故、予想されてはいても、何時本当に起こるかは、誰にも予期できなかったことが、次々に起こる中、たとえば、わたしの住む東京も、相次いで、更なる震災に遭遇する怖れは十分にあった。間違いなく海底プレートは打撃を受けているわけで、その動きはこれで終息したのではなく、本格的に始まったと考える方が妥当だ。

私はもう赤ん坊を産んだり育て上げたりできる年齢でもなくなっているのに(政治家で果敢にそれに挑んだ人もいるが、それには経済力が必要というものだろう。あとは勇気)生理はまだあって、世の中が騒然としているときにも、なにか甲斐甲斐しく、自分の面倒も看てやらなければならないのだった。

程なく、被災地で生理用品が不足しているというニュースを聞く。女性ならば皆それを居たたまれない思いで聞くだろう。けれど、それは、命を産み、育むものが、そこにいるという証しでもあり、わたしたちは、やがてそこからまた、1歩を始めてゆくことになるのだ。どうか、お体を大切に、と思う。

組織は今まさに異動の時期で、そうでなくても慌しい時期に、イレギュラーな対応を様々に迫られる。誰もそれをおくびにも出さないが、各官庁でも、おそらく、そういうドタバタは起きている。誰もが、身体の変調を押しても、やるべきことをやろうとしている。やるべきことをやっている人をよく見、そうでない人のこともよく覚えておくべきだ。物事がおさまったときに、平然と後者が出て来たときに、ノーという、ただ一言ノーという正義を持っていてほしい。正義は振り回すものではなく、ただ、その一言の、ノーのほうが尊いことが多い。

きょうもまた、とんでもなく支離滅裂でごめんなさい。支離滅裂な雑感も、2年、3年後にみると、なるほどと思うことがあるのを期待しよう。はかない期待だけど。
by kokoro-usasan | 2011-03-21 12:24 | 日々 | Comments(2)
Commented by めざ at 2011-03-21 13:21 x
女の読者の目からは、ちっとも支離滅裂には感じませんよ。
人は自分の身体を抱えながら組織に身を置き、身体の変調、組織の変動、社会の変革、自然災害にいたるまで、さまざまな変化に対応しながら生きていかなくてはならない。
生きていくとは、まさにそういうことですよね。
一瞬一瞬の積み重なりとは、常に変化があるからであって、何も変化がなければ「一瞬」にこだわる必要はないのだから。

わが家も幸いにして(あえて「幸いにして」と書きます)、次世代を担う子がいませんので、放射性物質が押し寄せてきても多少の分量ならば適度にあしらって受け止めようと思っています。
大量被ばくはすぐにダメージを受けますが、発がん性が高まる程度ならば、まあよいではないかと私自身は思っています。
若い方々はそうはいきませんけれども。
人生半分過ぎたので(まだ半分と言い張るのかよ、という人もいますが)、今回のことで新しくがんができても、それが見つかるのは早くても10年後、普通は20年から30年後。
向こう50年間の予定が少し縮まるかもしれないけれども、予定はいつだって未定だから、今はあまり深く考えないでおく。
Commented by kokoro-usasan at 2011-03-21 14:23
めざさん、コメントありがとう。

一瞬一瞬の積み重なりとは、常に変化があるからであって、何も変化がなければ「一瞬」にこだわる必要はないのだから。

というくだりに、はっとさせられました。本当にそうですね。
原子力発電所の事故の修復のために、大量被爆覚悟で任務に当たられた方たちの会見を見ながら、大事な人をそこへ送り出すことを余儀なくされた家族にお詫びとお礼を申しあげたいとおっしゃった方の心中を思い、本当に切なかったです。それを余儀なくさせたのは、私たち自身でもあるからです。でも、そうやって、命をつなげてゆこうとする姿をまのあたりにする一方で、それに逆行する事態もけして途絶えることがない。このことの支離滅裂も深刻です。わたしも、まだ人生半ばかしら?1年先のことも、このごろ判らない気がしているけれど、「一瞬」を忘れずにいようと思います。




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