しもぶくれ5歳。
ひどく久し振りに押し入れにしまってあった古いアルバムを眺めた。三枝誠さんという
整体の先生の本を、最近続けて2冊読み終わったところで、その本の一節に、
人間は、だいたい5歳くらいのときに、自分の核となる部分を、顕わに出しているものなので、
自分を見失いそうになったときは、5歳のころの自分をよく思い出してみるといい、
というようなことがさらりと書かれていたのだ。
自分を見失いそうになっている、というより、すっかり見失ったまま、呑気に生きている
わたしだが、ふと、自分の5歳のころはどんなだったろうかと思った。
アルバムを引っ張り出してきて眺めていると、苦笑したくなる写真が圧倒的で、
だんだん、暗澹たる気持ちになってきた。
「この子どもは、はっきり言って、うす馬鹿である」
という結論以外のどこにも着地できそうにない。「馬鹿」ならまだ潔いのだが、
「うす馬鹿」という感じが、我ながら哀れに思える。
要するに、どの写真も「ぼーーーーーーーっ」としているのである。
5歳の自分がそれだとすると、もしかしたら、わたしは、今も自分を見失っていないのかも
しれない。(・・・・・・)
それにしても、わたしは、なぜあんなに、茄子のような「しもぶくれ」だったのだろうか。
針で、ほっぺのあたりをちょいと突付くと、ぷしゅっとしぼみそうなくらい、シモブクレチャッテ
いるのだった。おかげさまで、今は大分、空気が抜けて、まぁ、ある意味で貧相になったの
でありましたよ。ぷしゅ。
整体の先生の本を、最近続けて2冊読み終わったところで、その本の一節に、
人間は、だいたい5歳くらいのときに、自分の核となる部分を、顕わに出しているものなので、
自分を見失いそうになったときは、5歳のころの自分をよく思い出してみるといい、
というようなことがさらりと書かれていたのだ。
自分を見失いそうになっている、というより、すっかり見失ったまま、呑気に生きている
わたしだが、ふと、自分の5歳のころはどんなだったろうかと思った。
アルバムを引っ張り出してきて眺めていると、苦笑したくなる写真が圧倒的で、
だんだん、暗澹たる気持ちになってきた。
「この子どもは、はっきり言って、うす馬鹿である」
という結論以外のどこにも着地できそうにない。「馬鹿」ならまだ潔いのだが、
「うす馬鹿」という感じが、我ながら哀れに思える。
要するに、どの写真も「ぼーーーーーーーっ」としているのである。
5歳の自分がそれだとすると、もしかしたら、わたしは、今も自分を見失っていないのかも
しれない。(・・・・・・)
それにしても、わたしは、なぜあんなに、茄子のような「しもぶくれ」だったのだろうか。
針で、ほっぺのあたりをちょいと突付くと、ぷしゅっとしぼみそうなくらい、シモブクレチャッテ
いるのだった。おかげさまで、今は大分、空気が抜けて、まぁ、ある意味で貧相になったの
でありましたよ。ぷしゅ。
by kokoro-usasan
| 2010-07-25 22:01
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