不在に寄す

e0182926_11503520.jpg同僚が貸してくれたワイエスの画集を今日返そうと思い、凍てついた朝の部屋でもう一度眺め直していた。カーテン越しに窓からの光が差し込み、画集に影を落としている。それも含めて、ワイエスの光だな、と思い写真に収めた。

この絵のタイトルは「アルヴァロとクリスティーナ」(1968 水彩)という。ワイエスの作品は、冬を感じさせるものが多く、この作品もそんな感じがするのだが、実は夏の作品らしい。すでに彼は1952年にも、この印象的な青い扉を題材に、タイトルもそのまま「青い扉」という作品を描いており、右側の高い窓から入る光線と室内の様子が、彼にとって、とても印象深いものだったことがうかがえる。

この場所は、クリスティーナとアルヴァロのオルソン姉弟が住む家であり、ワイエスはクリスティーナをモデルとしてよく作品を描いていた。しかし左の作品を描いた1968年、この姉弟はすでに他界しており、つまり、彼は、住人のいない家で、これを描き、姉弟の名をタイトルにしたことになる。後年、彼は語る。「彼らは死んでしまったが、それでもなお、力強くそこにいたのである」

まさしく。
不在とは、そういうものであるに違いない。不在をあなどることはできない。不在の豊かさが胸にしみる。





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# by kokoro-usasan | 2017-12-09 12:15 | 日々

これが。

e0182926_1125687.jpg書店で偶然見つけたプリーモ・レーヴィの新刊(改訂版)を電車の中で読み始める。乗車時間が短いので、最後に記載されていた「若者たちへ」という著者自身の短い「序文」にまず目を通すことにした。アウシュヴィッツから生還したこの著者が、1973年、若者にむけて書いた言葉に慄く。

ーそして何よりもファシズムはまだ死に絶えていない。ある国ではより強化され、また別の国では虎視たんたんと復讐を狙っている。ファシズムはいまだ「新秩序」を約束するのを止めていないー

2017年の今、その死に絶えていなかったものが、あからさまに息を吹き返し、自ら敬礼の仕方を覚えることにいそしむひとを増やし始めていることが切なすぎる。

悲惨な隠蔽があり、その隠蔽を可能な限り解明する人道的作業が次にあった。しかし、時が経ち、その解明の不足部分をあげつらうことで、悲劇そのものがなかったのだと逆転して憚らなくなってゆく心性にわたしは到底与し得えずにいる。




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# by kokoro-usasan | 2017-12-08 12:24 |

人間を。2

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続「無意識に人間を撮るシリーズ」

随分昔のことになるが、職場の近くにある書店の前で友人と待ち合わせしていた。仕事が終わって急いで駆けつけると、友人は書店の向かい側の地面にぐったりと足を投げ出して座り込んでいた。この写真の男性は、人通りの多いこの場所で悠然とタバコを燻らせていたけれど、友人は魂が抜けかけているような沈痛な面持ちで、もし顔見知りでなかったら、怖いと感じるくらい荒んだものを体からにじませながら、通り過ぎる人たちを睨んでいた。いや、彼があのとき睨んでいたのは、もっと違うものだったかもしれないけれど。なぜ、そこまで傷ついているのか、冷たいかもしれないが、わたしは彼に問わなかったし、彼もなにも触れなかった。ただ、よっこらしょと立ち上がるのを手伝って、一緒に歩き始めただけだ。

写真の男性は、むしろ、どこか充足しているようにも見えた。いずれにせよ、「こんなふうにわたしもできるだろうか」 なにかとても強いその問いかけが自分を底から押し上げるようにしてシャッターを切らせた。






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# by kokoro-usasan | 2017-12-07 09:22 | 追想

人間を。

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いい機会だから「無意識に人間を撮る」シリーズにしよう。この写真も忘れがたい。ひとりで死ぬことを、暖かい毛布にくるまって眠れることのように錯覚できる時間というのがある。この男性が、わたしの視界をゆっくりと横切っていったとき、なにかとても懐かしいものが胸に満ちたのだった。




追記
印象深い写真なので、これまで何度か紹介したことがあるのですが、このブログでも既に紹介していたのに気づきました。
http://kokousa.exblog.jp/15218785/
写真を撮ったのは2002年、このブログで前回紹介したのは2011年、そして、今年は2017年。そのたびに、添えるキャプションが違うことが、気恥ずかしくもあり。

そういえば、若さゆえなのか、もう二度と書けないだろう研ぎ澄まされた表現を、自分の日記のなかに認めることがごく稀にあり、過去の自分に嫉妬します。一方で、「そうは言い切れなくなる自分」を労わる思いも芽生えます。ここを過ぎて、もっと過ぎて、たとえば、5年後があるとするなら、わたしは、この同じ写真を見て、どんなキャプションをつけるのだろう、ふと心が宙をさまよいました。








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# by kokoro-usasan | 2017-12-06 14:19 | 追想

雑感

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無意識に人間を撮ってしまう。このご時世だから、気をつけないと、カメラを取り上げられて「肖像権が」と注意されてしまうこともあるかもしれない。この写真は2002年10月、ポンピドゥー美術館でのもの。イブ・クラインの作品の前で、子供たちが、クライン・ブルーについてのレクチャーを受けていた。みな、思い思いの格好。


ところで、そんな懐かしい写真とは関係なく、社会情勢への不安は日々募る。
岩波の「世界」12月号に掲載された笠原十九司氏の寄稿が心を捉えて離さない。

歴史修正主義。洗脳を力強い抱擁のように受容してしまう精神性は、ある意味祝福された境地といえるのかもしれないが、自他を疑う心をどこかに内在させていない情動がわたしは怖い。





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# by kokoro-usasan | 2017-12-06 11:32 | 追想

瞳のなかの水

e0182926_11505686.jpgこのネコちゃんの写真、以前どこかで見てなんとも言えない表情が印象的だったので保存しておいたのです。出典がわからなくてすみません。

最近、自分のスナップ写真が提出用に一枚必要になったのですが、あらためて撮るのも気がすすまず、古いのを探していました。古いといっても、もちろん、ここ数年のものですけれど。アルバムにはるでもなく、無造作に箱や封筒に入っているそれらを一枚一枚眺めていると、だんだん、自分が誰だかわからなくなってきて、当惑します。50年も生きていると、自分の脳内で一定の姿形を形成している「自分」がおり、それと、写真のなかの自分が、どうも重なってこないような、誰か別人のような感覚がしてくることがあるのです。いや、精神的におかしくなっているわけではないと思うのですが・・・。

言うなれば、何歳くらいのときの自分が、「自分」の一定の姿形として規定されているかということなのかもしれませんね。たとえば、わたしの母が、最近撮ってもらった自分の写真を見て、「あらぁ、だれ?このおばあさん・・・?」とまじめに訊いてくるのは、けしてウケねらいではないのです。

今年になって、母が入退院を繰り返すうちに、精神状態にも異常をきたしてしまい、仕事を続けながらでは介護が限界にきたとき、それでも、なんとか一緒に暮らしてゆく方策はないものかと悩むわたしに、ケアマネさんが、意外なほど、冷淡な態度を取りました。わたしはそれを内心恨んで、一時期、お互いの信頼が揺らいだことがありました。口には出しませんでしたが、不満を感じている感じは、ケアマネさんにも伝わっていたでしょう。けれど、ケアマネさんもまた、毅然としていたのです。たまりかねて、わたしは以前お世話になったことのある別のケアマネさんにも相談してみました。すると、そのケアマネさんは、とてもとても優しい親身な態度でわたしに接してくれました。ですが、結論は、「限界」ということで一緒でした。

今、母とわたしの関係は、当時と変わり、ショートステイを利用することで、365日のつきっきりの介護からは解放されました。毎晩、何度も起こされて母をトイレまで連れていっては寝かしつけるというようなこともなくなりました。そのときは、それを、なにも考えずに、やりこなしていたのです。まだ、できる。まだ、やれる、と思っていました。

でも、今回、自分の写真を見ながら、ケアマネさんがわたしを突き放した意味がわかるような気がしました。どの写真も、どの写真も、わたしの目は泣いているのです。同僚たちと仲良く笑っているときでさえ、わたしはなんだか泣きそうな顔をしていました。これが、わたしのこの10年だったのだと思います。そのことを無念に思うわけではありません。この10年、わたしが心の中で考え、悩み、乗り越えてきたものは、非常に大切なことばかりで、どんなやつれた顔になったとしても、わたしは心から感謝しています。

ただ、傍目には「限界」に見えていたのでしょう。医療ではありませんが、ある種の「ドクターストップ」を周囲のかたがかけてくれたのだと思います。母があんなに手のつけられない状態になったことも、もしかしたら、母自身が、「もうわたしにかまうな」と、わたしを諦めさせるためだったのではないかと考えてしまうことさえあります。今はショートステイ先で、わたしを嬉しそうに優しく迎えてくれます。

少し介護の手間が楽になったとはいえ、そのやつれた感じは、今も変わりありません。目の暗さも、なんだか染み付いてしまうのですね。でも、もともと、そんなにきらきらした人間ではないので、高望みはせず、この暗い目に、なにか、もう少し、優しい光がいつも灯っているようになったらいいなと思います。

この日々のなかで、気づいたことをひとつ、わたしは書いておこうと思います。自分の寿命だって、わからないわけですから、出し惜しみしないでね。

幸せって、なんだろうか、と考えていたのです。
で、今はこんなふうに思っています。

幸せは「なる」ものではない。「気づく」ものだ、って。






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# by kokoro-usasan | 2017-11-20 12:36 | 日々

ご無沙汰です。

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ご無沙汰しています。実のところ、どうしてそこまで付け焼刃で中身の伴わない美辞ばかりで政治が行われているのか、まったく納得できません。「革命」「革命」と、一体いくつ「革命」と名のつく部署を作れば気がすむのでしょうか。「革命担当」とはこれいかに。政治や歴史や哲学を少しでも真面目に学んだことのあるひとなら、あまりにも恥ずかしくて口にできないような言葉の誤用、乱用は、目に余るものがあります。コマーシャル業界なら、その誤用、乱用、換骨奪胎の妙味で仕事をするということもあるでしょうけれど、政治がこれでは、だんだん、その言葉の意味をどう解釈しているかで、相手と全然、話が通じなくなってしまいます。今でさえ、例えば、「極左」だの「極右」だのと言ってなにかを罵っている発言などを見ると、ネットに書き込みして暇な時間をつぶしている「極左」や「極右」が日本にはずいぶんたくさんいるんだなぁと不思議な気持ちになります。

と、久しぶりなのにいきなり愚痴から始まって恐縮です。わたしは、社会の出来事に当惑しながらも、穏やかに暮らしています。でも、この穏やかさが、つかの間の幸運であり、奇跡であることを最近はよく噛みしめています。いい本、いい音楽、いい景色、なにかずしりとくるものを味わいたい。


生き行くは楽しと歌ひ去りながら幕下りたれば湧く涙かも   近藤芳美

短歌を始めたという友人に、こんな歌を見ましたと上の歌を添えてメールしたら、お返しに自作の歌を送ってくれました。

去りながら楽しと歌う口の端に浮きし孤独を我は忘れじ


もう長く会っていない友です。





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# by kokoro-usasan | 2017-11-18 01:27 | 日々

日記帳

e0182926_0541279.png今年もあと2ヶ月というところに来てしまった。一応日記帳を毎年更新しているのだけれど、年によって、ぎっしり書き込まれている年と、失踪でもしていたのかと自分で困惑するくらい書き込みのない年がある。白紙が多い年は、それなりに理由があるのだろうが、書き込まれていないので、何年かすると、その理由も忘れてしまう。

今年も結構空欄が多い。いや、空欄だらけだ。現実に起こっていることの悩みが深すぎると、日記でその事実に向き合う気力もなくなるのだろうか。悩んでいることを切々と書けるときは、まだ、その悩んでいる自分を、たとえ自虐的にであってさえ、美化する余裕があるのかもしれない。今年はもう自虐的になっている余裕すらなく、家族を守り支えることに費やされた。その困難は今も続いているけれど、家族というものを考える上で、自分がまだ未熟であることにも直面したし、今後ますます、そこに気づかされることも多いに違いないと思う。だが、気づかないでいるよりも、それは、どんなにありがたいことかとも思えるのだ。

家族の寿命もそうだが、自分自身の寿命もそうはるか遠い未来ではない年齢になり、今年もつい先日、来年の日記帳を(いつも同じもの)買ったのだけれど、そのとき、ふっと、心細い気持ちを抱くようになったことは、若い頃にはなかった感覚かもしれない。


なんだか、森と水のあるところに
行ってみたいなぁ。

そうだ、来年は森に行こうかな。
鬼が飛び上がって笑うほど、気の早い話をしてしまった。





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# by kokoro-usasan | 2017-10-26 01:45 | 日々

古本市

e0182926_1938286.jpgパリを歩き回った日から、もう15年も経つのだから、人生は本当にあっという間の出来事なのかもしれない。


勤め先で毎年秋に開かれるお祭りが終わった。昨年、古本市を同時開催したところ、大変好評だったので(なにしろ、代金は「お気持ちで」という古本市なので、子供たちも、10円で選び放題なのだ)、今年はさらにコーナーを増やして、お客様を呼び込んだ。台風まじりのあいにくのお天気にも関わらず、たくさんのかたにお越しいただき、ほんわかとしつつ撤収作業を終えた。

かねてから、職場で一箱古本市をやってみたいと思っていたのだが、思うばかりで着手できずにいたら、施設内の図書室の係りのかたたちが、廃棄処分の本が勿体無いということで、昨年から急に古本市が始まった。わたしが思い描いていた古本市とはちょっと違うけれど、値付けもなにもなく、ものすごくアバウトにやっているのが、それはそれで、なんとなくいじらしいというか、素人くさくてどこか懐かしい気持ちになった。ペットボトルに少し着色しただけの「貯金箱」が各所に置かれていて、お客さんはそこに自分の「お気持ち」を投入している。言ってはなんだけど、みなさん、「お気持ち」がかなり、ささやか、だ。(苦笑)無着成恭の本に、500円を投入したわたしは、係りの人たちに、神様のように崇め奉られた。いやいや。

実は、職場の同僚が、この古本市に何冊か自分の本を提供していて、自分が提供した本の売れ行きが気になるらしく、お祭り会場の別の場所で、それとなく、「いま、古本市で、すごい掘り出し物があったよー」と自分の本を宣伝して、まんまと売り切ったらしい。わたしも提供したく思っていたのに、他の仕事にかまけているうちに、出しそびれてしまった。そうか、自分が出した本が売れたかどうか、そわそわと、なんども確認しにいったりして、その時間は、なかなか楽しいのかもしれないな。売れ残ったら寂しいけど。

お祭りの最終日、古本市はどうなったかなと見にいった。大分、減っていた。ご近所に住む高齢のかたたちが、幾分、身辺整理のように供出してくださった本が多く、眺めていると、ちょっとしんみりする。ふと目をやった段ボール箱の文庫本のなかに、新潮社の「現代名詩選(中)」があるのを知って胸が高鳴った。わたしは、その文庫本で「詩」に出会ったのだ。中学生のとき、駅前にあった個人経営の小さな書店で見つけた。

室生犀星、萩原朔太郎、日夏耿之介、佐藤春夫、堀口大學、西條八十、佐藤惣之助、村山槐多、中川一政、高橋元吉、宮沢賢治、尾崎喜八、金子光晴、吉田一穂、八木重吉、高橋新吉、萩原恭次郎、壺井繁治、岡本潤、小野十三郎、中野重治、小熊秀雄、草野心平、山之口貘、尾形亀之助

再会が懐かしくて、ラインナップを全部書き出してしまったけれど、これらの詩人の詩を、何度も何度も読み返したものだ。(残念ながら、わたしは暗誦というのができなくて、さっと、口をついて出てこないのが、いつも悲しいのだけれど。友人で、すらすらと出てくる輩がいて、すごーく悔しい。)

どなたかわからないけれど、この本を供出してくださった方に感謝。自分のものが行方不明になってしまっていたので、今度は大切にしようと思う。ページをめくると、当時の感受性が戻ってくるようで、(戻ってはこないけど・・・)、どきどきする。嬉しい。




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# by kokoro-usasan | 2017-10-24 20:47 | 日々

物語の構築


過去(たとえば戦争)の記憶を、甲乙に分かれて言い募るようなとき、彼らが目くじらたててこだわるのは厳密には記憶ではなく「(戦争)物語」についてで、自分が知っている「(戦争)物語」と違うストーリーが「本当だ」と言われるとヘソを曲げてしまうように見える。英雄か国賊か、物語は変幻自在だ。

だが、どの記憶も確かに人間の記憶であることから目を背けず、ありえたかもしれない別の物語、別の選択肢を、将棋の棋士の見通しのように何手先までも諦めずに模索し、その先に、なんらかの和解の物語を創作する力を持ったひとたちが、今は必要なのではないかと思う。

たとえ、それが創作であったとしても、その創作で、50年、100年、市民の命を延命できる策を講じることが、本来の為政であるようにも思う。その意味で、日本国憲法は、起草の経緯によらず、よくこの国を守ってくれた。政治家は凡庸だったが、憲法が優れていたことで、よくこの国は守られたのだ。

現在の首相が「悲願」にしなければならないほど、わたしは、この憲法に苦しめられてきただろうか。この憲法にずっと苦しんできたのは、おそらく日本ではなく、どこか他の国だろう。改憲そのものはあり得ない話とは思わないが、悲願の物語には、50年先どころか、3年先の命も見えてこない。



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# by kokoro-usasan | 2017-10-10 15:22 | 日々


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